遼州戦記 保安隊日乗 3 季節がめぐる中で 4

 シンはコンクリートの壁に亀裂も見えるような東和陸軍教導部隊の観測室に向かう廊下を歩いていた。まだ早朝と言うこともあり人影はまばらである。それでもアラブ系の彫りの深い顔は東和軍では目立つようで、これまで出会った東和軍の将兵達は好奇の目でシンを見つめていた。
「あれ?シン大尉じゃないですか!」 
 高いテノールの声に振り向いたシンの前には、紺色の背広を着て人懐っこい笑顔を浮かべる小男が立っていた。
「高梨参事?」 
 笑顔を浮かべて歩み寄ってくる男、高梨渉(たかなし わたる)参事がそこにいた。
「いやあ奇遇ですねえ。今日はまた実験か何かですか?」 
 シンは余裕を持って笑って向かってくる小柄な男を相手に少しばかり身構えた。東和国防軍の予算調整局の課長という立場の高梨と、保安隊の予算管理を任されているシンはどうしても予算の配分で角を突きあわせる間柄だった。しかもこの高梨と言う男はシンの上司である保安隊隊長、嵯峨惟基特務大佐の腹違いの弟でもある。
 ムジャンタ・バスバ。嵯峨と高梨の父親は20年以上前には名ばかりの皇帝として遼南帝国に君臨していた。実権を奪われて酒色に溺れた暗君。そんな彼が残したのは百人を超える兄弟姉妹だった。その中でも父と対立して第四惑星胡州に追われて嵯峨家を継いだ嵯峨惟基(さが これもと)と、父に捨てられたメイドの息子として苦学して東都大学を首席で卒業して軍の事務官の出世街道を登っている高梨渉は別格だった。両方の知り合いであるシンだがさすがに二人の父への思いを聞くわけにも行かず、それでいて興味があっていつかは確認してみたいと思いながら今まで来たことを思い出して自然に高梨の前で笑みをこぼしていた。
「そう言う渉さんは監査か何かですか?」 
 少しばかり自分の空想に呆れながらシンは話しかける。
「いえ、今日はちょっと下見と言うか、なんと言うか……とりあえず教導部隊長室でお話しませんか?」 
 笑顔を浮かべながら高梨は歩き始める。神妙な表情を浮かべる高梨を見ると、彼が何を考えているのかわかった。
 シンの西モスレム国防軍から保安隊への出向は今年度一杯で終わる予定だった。事実、西モスレム国防軍イスラム親衛隊や遼州同盟機動軍の教導部隊などから引き合いが来ていた。さらに保安隊は『近藤事件』により、『あの嵯峨公爵殿のおもちゃ』とさげすまれた寄せ集め部隊と言う悪評は影を潜め、同盟内部の平和の守護者と持ち上げる動きも見られるようになって来た。
『政治的な配慮と言うところか』 
 シンはそう思いながら隣を歩く同盟への最大の出資国である東和のエリート官僚を見下ろした。予算の規模が大きくなればパイロットから転向した主計武官であるシンではなく、実力のある事務官の確保に嵯峨が動いても不思議は無い。
 そう考えているシンの隣の小男が立ち止まった。
「シン大尉!待ってくださいよ。体長室はここですよ……それにしてもなんだか難しい顔をしていますね」 
 シンは立ち止まって自分の思考にのめり込んで起した間違いに照れながら高梨のところに戻った。そのまま高梨はさわやかな笑顔を浮かべながら教導部隊部隊長の執務室のドアをノックする。
『ああ、オメー等か。来るんじゃねーかと思ってたよ』 
 教導官と言う部屋の主に似合わない幼女の言葉がインターホンから響いて、自動ドアが開いた。
 中を覗くシン。そこでは大きな執務机の向こう側で小さな頭が動いている。
「高梨の旦那は久しぶりだな」 
 そう言って椅子から降りる8歳くらいに見える少女がそこにいた。身に纏っているのは東和陸軍の上級士官の執務服。胸の略称とパイロット章が無ければ彼女が何者か見抜くことができないだろう。しかしシンもこの少女が先の遼南内戦で共和軍のエースとして君臨し、東和亡命後は実戦経験のほとんど無い東和軍では唯一の実践的な戦術家であることを何度かの教導で身をもって知っていた。
「まあ、立ち話もなんだ。そこに座れよ」 
 少女はシンと高梨に接客用のソファーを勧める。
 彼女、東和陸軍第一教導団教導部隊長クバルカ・ラン中佐は二人がソファーに腰掛けるのを確認すると自分もまたその正面に座った。
 クバルカ・ラン中佐。
 噂では年もとらず、首を落としでもしない限り死ぬことは無い『仙』と呼ばれる存在だとか噂するものもいたが、シンは特に詮索はしないことにしていた。
 それは近藤事件以前は存在そのものを伏せられた存在だった。
 この遼州と言う星は、学説にも寄るが数千万年から新しく見ても200万年前に栄えた宇宙文明の生体兵器の製造実験場だったと言う説もあることをシンも知っていた。自分の法術発動能力である干渉空間内部での発火能力。いわゆるパイロキネシス能力も遼州人の能力のひとつだった。そんな地球人に無い力の存在が公になる以前に母に力を絶対に使うなと言われたことが頭をよぎった。そして出来る限り表舞台から隠れてボイスチェンジャーで大人を装って教導を続けてきた苦労人のランをしみじみと眺めていた。
「なんだよシン。そんなに心配か?オメーのところの新人がよ」 
 何かを考えているようなシンの姿を見てランはそう言うとテーブルの上の灰皿をシンの前に置いた。
「いいんだぜ、我慢してたんだろ?」 
 気を使う小さな上官に頭を下げながら、シンはポケットからタバコを取り出した。
「高梨参事が一緒ってことは人事の話か?アタシもまー……おおよそでしか知らないんだけどな」
 そう言うとランは胸の前に腕を組んだ。教導隊と言うものが人事に介入することはどこの軍隊でも珍しいことでは無い。しかもランは海千山千の嵯峨に東和軍幹部連との丁々発止のやり方を仕込まれた口である。見た目は幼くしゃべり方もぞんざいな小学生のようなランもその根回しや決断力で東和軍本部でも一目置かれる存在になっていた。
「要するに上は首輪をつけたいんだよ、あのおっさんに。それには一番効果的なのは金の流れを押さえることだ。となると兵隊上がりよりは官僚がその位置にいたほうが都合がいいんだろ……って茶でも飲みてーところだな」 
 そう言うとランは手持ちの携帯端末の画像を開く。
「すまんが日本茶を持ってきてくれ……湯飲みは三つで」 
 ランは画面の妙齢の秘書官にそう言うと二人の男に向き直る。その幼く見える面差しのまま眉をひそめてシンと高梨を見つめる。
「まあ予算規模としては胡州とゲルパルトが同盟軍事機構の予算を削ってでも保安隊に回せとうるさいですからね」 
 そう言いながら頭を掻く高梨。自動ドアが開いて長身の女性が茶を運んでくる。
「胡州帝国の西園寺首相は隊長にとっては戸籍上は義理の兄、血縁上は叔父に当たるわけですし、外惑星のゲルパルトのシュトルベルグ大統領は亡くなられた奥さんの実家というわけですしね。現場も背広組みはとりあえず媚を売りたいんでしょうね」 
 シンはそう言うと茶をすすった。
「実際、東和あたりじゃ僕みたいな遼南王家や西園寺一門なんかの身内を司法局という場所に固めているのはどうかって批判はかなり有るんですが……、まあ大国胡州が貴族制を廃止でもしない限りは人材の配置が身内ばかりになるのは仕方ないでしょうね」 
 静かに高梨は手にした茶碗をテーブルに置いた。湯飲みで茶を啜りながらシンは横に座る小柄な高梨を観察していた。それなりの大男の嵯峨とシンの胸辺りの慎重の高梨。体格はかなり違うがその独特の他人の干渉を許さない雰囲気は確かに二人が血縁にあることを示しているように思えた。そして嵯峨の母方の血縁である手に負えないじゃじゃ馬の姫君のことが頭をよぎる。
「西園寺と言えば……シン。お前のところの青二才どもは元気みてーだな」 
 ランはそう言うと再び携帯端末を開いて画面をシンと高梨から見えるように置いた。開いたウィンドウには宇宙空間を飛ぶ保安隊の主力アサルト・モジュール、05式が映し出されていた。誠のいる第三小隊のシミュレータでの戦闘訓練であるが、三機のアサルト・モジュールの動きは組織戦を重視していたシンが隊長をしていた頃に比べてちぐはぐなものだった。
 襲い掛かる仮想敵のM10に勝手に突っ込んでいく二番機西園寺要大尉。それを怒鳴りつける小隊長のカウラ・ベルガー大尉。そして二人の女性士官に怒鳴り散らされながら右往左往する誠の痛い塗装の05式乙型。
「これじゃあアタシに話が来るわけだよ。まるででたらめな機動じゃねーか。明石や吉田は何も言わないのか?」 
 ランの幼く見える瞳がシンを見つめている。
 正直、シンも上官である保安隊実働部隊長の明石清海(あかし きよみ)中佐や、システム運営担当で明石の右腕でもある吉田俊平少佐が全く第二小隊に助言をしないのを不思議に思っていた。第二小隊の小隊長のカウラは東和軍のアグレッサー部隊の出身とは言え、指揮官としての実戦経験は先の近藤事件が初めてだった。彼女が製造時に戦闘知識を脳に焼き付けられる『ラストバタリオン』と呼ばれる人造人間だとしても、瞬間湯沸かし器並の暴走娘、要を部下に抱えれば苦労することはシンも予想していた。
 要の実家、西園寺家は胡州の四大公の筆頭の家柄、そして要はそのたった一人の姫である。確かに庶民派で知られる父西園寺基義の影響を受けて柄の悪いところはあるが、プライドの高さだけは胡州貴族らしいとシンも思っていた。それに胡州陸軍の暗部とも言える非正規戦部隊の出身と言うこともあり、軍でも日のあたるところを歩いてきたカウラとは全くそりが合うはずもなかった。
 目の前のシミュレーションの画面では敵をどうにか撃退した後に起きる二人の喧嘩と、誠のうろたえる姿が映っている。
「まあ二人とも筋は良いみてーだがな」 
 ランは苦笑いを浮かべている。隣の高梨に視線を向けたシンが見たのはあきれ返っているキャリア官僚の姿だった。すぐにシンの視線に気が付いた高梨は目を逸らして空の湯飲みを口に運ぶ。
「まあこれもあのおっさん一流の布石なのかも知れねーな。第二小隊が問題児の塊と言うことになれば、必然的にそれを押さえられる人物を同盟法務局に異動させる必要があると上は考えるだろう。そうなるとアタシくらいしか候補はいねーわけだ。結果、できあがるのは遼南内戦のエースのうち二人が在籍する緊急時即応部隊。さすがに予算をケチる理由が少なくなる……はず……」 
 茶を飲み終わったランの目の前にモニターが開く。そこにはヨハンの姿が映っていた。
「実験準備完了しました。観測室までお願いします」 
 ヨハンの一言にランは腰を上げた。シンはようやくこの小さな上官の関心が自分からこれから始められる実験に移った事に安堵したように立ち上がった。高梨もまた興味深げにそんな二人を見上げる。
「まー……いいや、そこらへんは今度あのおっさんに直接確かめることにするわ。じゃー行くぞ」 
 そう言うとランは教導官室を出ようとする。シンと高梨もその後に続いた。
「なんか話を蒸し返すみたいでなんなのですが、明石中佐が異動になるってことですか?」 
 シンの言葉にランは腕を胸の前に組んだままその鋭いまなざしで行く手を見つめている。
「同盟法務局が公安と保安隊、それに法術特捜に関する交渉ごとをする人材が欲しいって話だからな。それなりに交渉ごとのできる前線部隊出身者となるとそうはいないから」 
 そう言うランの言葉に頷く高梨。
「あの人は保安隊では珍しく上の受けは良いですからね……ああ、それとシン大尉も良いですよ」 
 壁にひびの目立つ廊下を歩きながら立ち止まって敬礼をしてくる部下達の前を通り過ぎながら、三人は管制室へ向かうエレベータに乗り込んだ。
 沈黙が支配するエレベータを降りたシン達の前に広がる管制室の機器の壁。その中で一際大きな二百キロを越える巨大な体を椅子にようやく乗せながら、大きな手に似合わない小さなキーボードをいじっている男がいた。
「どうだ、シュペルター中尉」 
 声をかけたランに、巨体の持ち主ヨハンは何も言わずに振り返るとそのままキーボードで端末への入力を続けていた。
「とりあえず非破壊設定での指定範囲への砲撃を一回。それから干渉空間を設定しての同じく非破壊設定射撃。どちらも隊長が失敗した課題ですね」 
 モニターに目を向けたまま語るヨハンの言葉に高梨は眉をひそめた。
「兄さんが失敗ですか?」 
 高梨にとっては腹違いの兄、嵯峨惟基が失敗をするということが信じられないことだった。だが、その言葉を聞いて作業を中断したヨハンの顔はきわめて冷静だった。
「あの人の法術能力は確かに最高の部類に入るんですが、制御能力には著しい欠点がありましてね。まあ法術能力の封印をろくに解除の技術も無いアメリカ陸軍が興味本位で解いたものですから……どうしても制御にかかる負担が大きすぎるんですよ」 
 そう言ってまたヨハンはモニターに向き直る。シンは周りを見回す。目の前には巨大なモニターが三つ。一つは背後から誠の乗る05式の姿を大写ししている。その隣のモニターには演習場全域に配置された法術反応の観測の為のセンサーの位置が移っている。どれもまだ緑色で法術反応を受けていないことが表示されていた。そしてその隣の一番左のモニターはコックピットの中で静かに腕組みをしている誠の姿が映されていた。
「しかし、この指定範囲。ホントにここすべてを効果範囲にするのか?やりすぎじゃねーの?」 
 手元に並ぶ小さなモニターで巨大な演習場のすべてを映し出しているのをランは見つめた。シンは再び大画面に目をやる。演習場の各地点に置かれた法術反応を測定する機器のマーカー。そこに映る地図がこの演習場の全域を表示しているのは何度と無くフランス系のアサルト・モジュールばかりを乗り継いできた彼が現在保安隊に配備されている05式への機種転換訓練で嫌と言うほど見た地形なのはすぐに理解できた。そしてセンサーが置かれている範囲は誠が試作法術砲を構えている地点から奥は三十キロ、左右は二十キロというほぼ演習場の全地域であることもすぐに気が付いた。
「この範囲を活動中の意識を持った生物に法術ダメージでノックアウトする兵器か。確かにこれは脅威ですね」 
 この二月。時にCQB訓練やシミュレータを使っての訓練と言う名目で第二小隊の訓練に狩り出されたこともあるシンから見ても、誠の干渉空間制御能力の上昇は著しいものだった。シンのパイロキネシス能力は自らの干渉空間に敵を招き入れることで発動する能力である。だが、誠の作り出す干渉空間はシンのそれを侵食しながら展開する性質のものだった。
 自らの作り出した空間の侵食に気付いた時には、すでに誠とツーマンセルで動いている要やバックアップのカウラが訓練用の銃をシンの背中に向けている。あの室内戦闘では嵯峨と並ぶ実力の持ち主である保安隊警備部のマリア・シュバーキナ少佐ですら、誠の展開する干渉空間への侵食は不可能だと言い切っていた。彼女に言わせれば誠にとってシンや自分の能力は見つけてくださいと自分で叫んでいるようなものだと言うことも聞いていた。
 だが、どれも範囲としては広くて600メートル四方。今回の試射の範囲とは桁が違った。それだけの広域にわたって干渉空間を形成する。シンは目の前のむちゃくちゃな実験に半ば呆れていた。
「本当にこれだけの範囲を制圧可能な兵器なんて……」 
「シンの旦那。誠の実力からしたら計算上は可能なんでね。そうでもなければこの演習場を午前中一杯借り切るなんて無駄なことはしませんよ」 
 ヨハンはようやくデータの設定が終わったと言うように伸びをしている。
「じゃあ見てやっか、あの餓鬼の力がどれほどなのかよ」 
 そう言うとランは空いている管制官用の椅子に腰を下ろした。

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