遼州戦記 保安隊日乗 3 季節がめぐる中で 3

 日差しを浴びて目覚めた誠は硬い簡易ベッドから身を起すとそのままシャワー室へと向かった。昨日あれだけ酷使した左腕を何度か回してみるが、特に違和感は無い。そのまま食堂で施設管理の隊員や教導官達に囲まれて食事をしたがそこにシンの姿は無かった。
 敬虔なイスラム教徒である彼が別のところで食事をすることはよくあることなので、誠も気にもしなかった。そして疲れた雰囲気の試験機担当の技師達を横目で見ながら携帯通信端末をいじる。
 特に小隊長のカウラからの連絡も無いのを確認すると急いで典型的な焼き魚定食を食べ終えて昨日のシンの指示通りハンガーへと向かった。
 一両の見慣れた05式専用の運搬トレーラーの周りに人だかりができている。
「マジかよ……」 
「写真撮って配ったりしたら受けるかもな」 
「アホだ……」 
 作業着姿でつぶやく陸軍の技官連中を見ながら、誠はトレーラーの隣のトラックの荷台から降りてきたヨハンと西、そして見慣れた整備班の連中を見つけた。
「神前さん!」 
 西が声をかけると野次馬達も一斉に誠の顔を見て口をつぐんだ。ちらちらと誠達を見つめてニヤニヤと笑う陸軍の将兵。
「とりあえずパイロットスーツに着替えろよ」 
 そう言うとヨハンはばつが悪そうに手にしていた袋を誠に手渡す。その表情は昨日の自分のミスを悔いるような様子が見て取れて誠は愛想笑いを浮かべた。
「いいですよ、気にすることは無いですから」 
 誠はそう言ってヨハンからパイロットスーツを受け取るとそのままトラックの中に入って着替えを始める。そんな彼等の周りを付かず離れず技官達が取り囲んでいるような気配はトラックの荷台の中でも良く分かった。
「おい!お前達。仕事はいいのか!」 
 外ではヨハンが叫んでいた。彼の階級が中尉と言うこともあり、ぶつぶつ言いながら陸軍の野次馬達は退散しているようだった。誠はそんな言葉に自嘲気味に笑うと作業着を脱いだ。
「まああいつ等の気持ちもわかるがなあ」
 荷台の外からのヨハンの皮肉たっぷりの口調。 
「駄目ですよシュペルター中尉。中で神前さん着替えているんですから」 
「そう言うがよ、西。あれ見たら誰でも突っ込みたくなるだろ?」 
 着替えながらも誠は二人の雑談を聞いていた。誠は胡州で起きたクーデター未遂事件、通称『近藤事件』での初出撃七機撃墜のエースとして自分の愛機にオリジナルの塗装を施すことを許される立場となった誠。そこで彼はアニメのヒロインキャラを描きまくった塗装を希望した。当然却下されると思っていたが隊長の嵯峨は大喜びでそれを許可した。
 そして生まれた痛車ならぬ『痛特機』の噂は銀河を駆けた。誠も暇なときにネットやアングラの同人誌などで自分の機体が紹介されているのを見るたびに暗澹たる気持ちになったがココまで来るともう後には引けなかった。頬を両手で叩いて気合を入れると誠はヨハンと西の雑談を聞きながら着替えを終えて外に出た。
「どうだ?調子は」 
 作業服に身を包んだシンが歩み寄ってくる。髭面が特徴の上官に礼儀程度の敬礼をする誠達。その姿に苦笑いを浮かべると手にしていた書類に目を通すシン。
「とりあえず神前は3号機の起動、西達は立ち会え。シュペルターは俺と一緒にデータ収集だ。本部に行くぞ」 
『了解しました!』 
 ヨハン達は今度はそれらしく一斉に敬礼をする。シンがそれを返すのを見るとすぐに西はトレーラーの運転席に走る。
「とりあえずコックピットに乗っちゃってください。デッキアップしますんで!」 
 西はドアの前でそう言うとトレーラーに飛び込んだ。それを見ながら誠はそのままトレーラーの足場に取り付いた。
 薄い灰色の機体の上を歩いてコックピットに入った誠は慣れた調子でエンジンの起動準備にかかる。この05式を本格的に動かすのは近藤事件以来である。だが、搭載された05式のシミュレーションで機能は散々使い慣れていた。シミュレータが配備されていない保安隊ではこの機体に保安隊の頭脳とも言われる吉田俊平少佐の組んだシミュレーションプログラムを走らせての訓練がその内容の大半を占める。主に近接戦闘、彼の05式乙型らしい法術強化型サーベルでの模擬戦闘。とりあえず接近できれば吉田達第一小隊の猛者とも渡り合える自信がついてきた。
「神前さん!各部のチェックはいいですか?」 
 広がる全周囲モニタの中にウィンドウが開き、西の姿が映った。
「ああ、異常なし。そのままデッキアップを頼む」 
 誠の言葉に西が頷くと誠の体が緩やかに起きはじめた。周囲が明るくなっていく、誠はハンガーの外に見える廃墟のような市街戦戦闘訓練場を眺めていた。そしてそこに一台のトレーラが置いてあるのにも気付く。
「西!あそこに見えるのが今日のテスト内容か?」 
 神前の言葉に、西はそのまま一度05式用トレーラーから降りてハンガーの外の長い砲身をさらしている兵器を眺めた。
「ああ、あれが神前さんのメインウェポンになるかもしれない『展開干渉空間内制圧兵器』ですよ」 
 淡々と答える西の言葉に誠はいまひとつついていけなかった。
「展開……干渉……?」 
「ああ、詳しいことはシュペルター中尉かシン大尉に聞いてくださいよ。僕だって理屈はよくわからないんですから。まあ来る途中でシュペルター中尉が言うには『干渉空間生成の特性を利用してその精神波動への影響を利用することにより敵をノックアウトする非破壊兵器だ』ってことなんですけど」 
 誠は正直さらにわからなくなった。
 自分が『法術』と呼ばれる空間干渉能力者であるということは近藤事件で嫌と言うほどわかった。空間に存在する意識を持った生命体そのもののエネルギー値の差異を利用して展開される切削空間、その干渉空間を形成することで様々な力を発動することができるとヨハンに何度も説明されているのだがいまいちピンとこない。
 デッキアップした自分の機体で待機する間、誠はただ目の前の明らかに長すぎる砲身を持った大砲をどう運用するのかを考えようとしていた。だがいつものように何を考えているのか良く分からない隊長の嵯峨惟基のにやけた顔が思い浮かぶ。そうなるといつものように煙に巻かれると諦めがついてきた。そしてそのまま深く考えずにじっと目の前の05式の20メートル近い体長と同じくらいの長さの大砲をじっと眺めていた。
「神前!起動は終わったか?」 
 別のウィンドウが開いてヨハンのふくよかな顔が目に飛び込んでくる。昨日の試合で見せた申し訳ないという感情ばかりが先行していた表情はそこには微塵も無かった。これは仕事だと割り切った彼らしいヨハンの視線が誠に向かってくる。
「今は終わって待機しているところです」 
 誠の言葉にヨハンは満足そうに頷く。誠はただ次の指示が来ることを待っていた。
「とりあえず東和陸軍の面々に見てもらおうじゃないか、05式と言うアサルト・モジュールを」 
 緩んだ顔でヨハンがそう言うと、あわせるようにして誠は固定器具のパージを開始した。
 東和陸軍の面々はハンガーの入り口で誠の痛特機を眺めている。薄い灰色の地に『魔法少女ルーラ』や『スクール&バケーション』などの上級者アニメのヒロインキャラを誠のデザインで配置した機体の塗装に彼等は携帯のカメラを向ける。
「凄いっすねえ、神前曹長。人気者じゃないですか!」 
 冷やかすように言う西を無視して誠は機体をハンガーの外へと移動させた。
「おい、西。頼むからあの野次馬何とかしてくれ」 
 神前の言葉を聞いた西が保安隊の整備員達を誠の足元に向かわせる。ハンガーの前に止めてあったトレーラを見下ろす。視点が上から見るというアングルに変わり、誠はその新兵器を眺めた。
 特に変わったところはない。
 これまでも法術や空間干渉能力を利用した兵器の実験に借り出されたことは何度かあったが、そのときの兵器達と特に違いは見えなかった。
『非破壊とか言ってたよな……』 
 誠はその長いライフルをじっと見つめる。しかし、その原理が全く説明されていない以上、それが兵器であると言う事実以外は分かるはずも無かった。
「神前。とりあえずシステム甲二種、装備Aで接続を開始しろ」 
 何かを口に頬張っているヨハンの言葉が響く。保安隊の出撃時の緊急度によって装備が規定されるのは司法実働機関である保安隊と言う部隊の性質上仕方の無いことだった。甲種出動は非常に危険度が高い大規模テロやクーデターの鎮圧指示の際に出されるランク。そして二種とはその中でもできるだけ事後の処理をスムーズにする為に、使用火器に限定をつけると言うことを意味していた。
『非殺傷兵器と言うことだから二種なのか……』 
 そう思いながらオペレーションシステムの変更を行うと、目の前のやたらと長い大砲のシステム接続画面へと移って行く。05式広域鎮圧砲。それがこの兵器の正式名称らしい。直接的な名称はいかにも無味乾燥で東和軍中心での開発が行われたと言う名残だろうと誠は思った。そのまま彼の機体の左手を馬鹿長いライフルに向けた。
『左利き用なのか?僕専用ってこと?』 
 そのまま左手のシステムに接続し、各種機能調整をしているコマンドが見える。
「接続確認!このまま待機します」 
 右腕でライフルのバーチカルグリップを握って誠の機体はハンガーの前に立った。

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