遼州戦記 保安隊日乗 3 季節がめぐる中で 9

「じゃあお言葉に甘えて」 
 カウラはそう言うと要と誠をつれて隊長室に入る。嵯峨の双子の娘の姉、茜が主席捜査官としてこの庁舎に出入りするようになって、一番変わったのがこの隊長室だった。
 少なくとも分厚く積もった埃は無くなった。牛タンを頬張る明華の足元に鉄粉が散らばっているのは、ほとんど趣味かと思える嵯峨の銃器のカスタムの為に削られた部品のかけら。それも夕方には茜に掃き清められる。
 猛将、知将と評される嵯峨だが、整理整頓と言う文字はその多くの知識を紐解いても見当たらない言葉だった。茜の配属以前は部屋の床はまず嵯峨が付き合いで頼まれた骨董商に出す書画や茶道具の極書を記す為に流した墨汁で彩られ、そこに拳銃のスライドを削った鉄粉がまぶされ、その上に厚い埃が層になっていた。
 特にカウラは几帳面で潔癖症なところがあるので、この部屋に入るのを躊躇することもあったくらいだった。とりあえず今では衛生上の心配はしないで済む程度の部屋になっていたので誰もが嫌な顔せずに焼肉を楽しむことが出来た。
「ちょっとリアナ。レモン取って」 
 明華はそう言うと七輪の上で焼きあがった牛タンを皿に移す。
「ほら、皿ならここにあるぜ」 
 そう言うと嵯峨は借りてきた猫のように呆然と突っ立っている誠達の手に皿を握らせる。接客用テーブルの上に並ぶ牛タン。おそらく二頭分くらいはあるだろうか。それを贅沢に炭火で焼いている嵯峨。
「叔父貴、酒はどうしたんだよ」 
 嵯峨が焼いていた肉を横から取り上げた要が肉にレモン汁をたらしながら尋ねる。嵯峨は察しろとでも言うように横を見た。そこには要をにらみつけている明華がいる。要は肩をすぼめてそのまま肉を口に入れた。
「そう言えば今日も明石中佐は同盟司法局からの呼び出しですか?」 
 カウラは大皿から比較的大きな肉を取って七輪の上に乗せる。
「まあな。法術関連の法整備とその施行について現場の意見を入れないわけにもいかないだろ?まあ俺が顔を出せれば良いんだが、俺はお偉いさんには信用無いからな」 
 そう言いながら嵯峨は焼きあがった肉にたっぷりとレモン汁を振りかけた。
「それより叔父貴。明石が本庁勤めになって、第一小隊にちっこいのが配属になるって噂、本当なのか?」 
 要のその言葉に、口に肉を放り込みながら見つめる嵯峨。
「なんだ、ランに会ってきたのか?」 
 嵯峨は口の中で肉の香を確かめるようにかみ締めながら答える。
「ああ、ランの件は本当よ。アンタ等を一人前にしようと思ったら教導のプロに頼むしかないでしょ?」 
 静かに肉をかみ締めていた明華があっさりとした口調でそう答えた。
「マジかよ……」 
 要はそう言いながら一人、肉に箸を伸ばさない。
「嘘ついてどうするの?」 
 それだけ言うと明華は牛タンを口に放り込む。誠は要を見つめた。ようやく要も決心がついたように肉に箸を伸ばすが、どこかしら躊躇しているところがある。
「迷い箸は縁起が悪いな」 
 そう言う嵯峨は彼女が取ろうとした肉を奪って七輪に乗せる。
「でも、本当においしいわよ。要ちゃんも早く食べないと!」 
 そう言って肉をひっくり返すリアナ。
「そう言えば許大佐はクバルカ中佐とは旧知ということですが……」 
 カウラが水を向けると、肉をかみ締めていた明華が微笑みながら箸を置く。
「まあね、あの娘には何度か煮え湯を飲まされたこともあるから。遼南内戦の央都攻防戦の頃からの付き合いだから、もう十四年の付き合いってことになるわね」 
「え?十四年って……許大佐はさんじゅっ……」 
 誠が口を開いたとたんに腹部に要の拳がめり込んだ。それを見て明華は要に親指を立てて見せる。
「おい、誠よ。女性に年の話をするんじゃねえよ」 
 嵯峨はむせる誠に冷ややかな視線を向ける。
「でも殴ることは……」 
「昔から言うじゃねえか、愛ゆえに殴るって」 
 得意げな要のタレ目が腹を押さえて前かがみの誠の目の中に映る。
「愛?」 
 嬉しそうにリアナが要を見つめた。そしてカウラが皿から七輪に移そうとした肉を取り落とす。真っ赤に染まる要の顔。
「誤解だ!こいつのことなんて何にも思ってねえからな!」 
 大きく手を振る要を、生暖かい視線で見つめるリアナ。その時、隊長室の扉が開いた。
「失礼します!」 
 そう言って入ってきたのはアイシャと仲間達。運用艦『高雄』の管制官、パーラ・ラビロフ中尉と副長就任で正操舵長に出世したエダ・ラクール少尉の二人と、なぜか居る技術部火器整備担当のキム・ジュンヒ少尉の三人だった。そして当然のように皿と箸を持って入ってくる。
「なんであんた等が来るのよ?」 
 肉をかみ締めながらあからさまに嫌な顔をする明華。
「ああ、キムは俺が呼んだ。どうだい?やっぱりファクトリーロードのカートリッジは相性悪りいか?」 
 嵯峨は立ち上がると、執務机の後ろから七輪を取り出す。炭は十分におきている。
「まあ何社か試したんですが、胡州造兵工廠のが最適ですかね」 
 そう言うとまっすぐ歩いてきたキムは手馴れた調子で七輪の上に次々と肉をのせていく。
「今度は誰の拳銃、見繕ってるんだ?」 
 明らかにごまかそうとしている要にリアナが相変わらず生暖かい視線を送っているが、嵯峨は机の上から一丁の拳銃を取り上げた。
 気がつけば嵯峨の手には見かけない大型拳銃が握られている。
「ルガー?」 
 その特徴的なトルグアクションに視線を奪われる要。
「んなもんあるなら俺のコレクションにするよ。こいつはモーゼル・モデル・パラベラム。昔、オーストリアの伍長殿の起こしたどんぱちが終わってから作られたリバイバルバージョンだ。P08程じゃ無いがガンショーとかでは結構いい値がつくんだぜ」 
 嵯峨はそう言うと素早くマガジンを抜いた。
「こりゃあずいぶん趣味的なチョイスじゃねえか。神前の豆鉄砲と交換するのか?」 
 そう言いながら手を伸ばす要。全員は彼女の手の動きに目を向ける。何度か安全装置をいじる要。
「なんだよ、じろじろ見やがって。オメエも持ってみるか?」 
 そう言うと肉を噛んでいたカウラに銃を手渡す。彼女も何度か手にした銃の薬室を開いては覗き込んでいる。
「あと二、三マガジン撃ってから調整するからな」 
 そう言いながら再び皿から牛タンを七輪の上の網に載せる嵯峨。食事を済ませたというアイシャも黙って彼が載せた肉を素早く取り上げて焼き始めた。
「グリップはウォールナットのスムースですか?」 
 カウラから渡された拳銃のグリップを撫でながらパーラがキムに尋ねた。滑り止めの無いオイルで仕上げたグリップがつややかにパーラの手の中で滑っている。
「俺はチェッカーの入った奴が好みなんだけど、オリジナルが良いって隊長が言うんでね。撃ってみて問題があるようなら交換するけど」 
 そう言うとキムは半焼きの肉を口に放り込む。
「拳銃談義はそれくらいにして、隊長の殿上会出席のための留守の勤務のシフトは……」 
 アイシャのその言葉に黙って手を上げる明華。
「それより私の知り合いに新しい職場を見たいという奇特な人が来るけどそちらの対応は……」 
 笑顔を要に向ける明華。明らかに気分を害したとでも言うように、要はパーラの焼いていた肉を奪い取って口に入れる。情けない顔をするパーラに、リアナが気を利かせて自分の焼いていた肉を渡した。
「どっちも了解しているよ。シフトはこれが終わったら全員の端末に流す。そして明華の件は俺のところにも連絡が着たから好きにしろって言っといた」
 明華が怖くて嵯峨は渋々麦茶を飲んでいた。
「それにしても殿上会で家督相続の承認……降りるんですか?普通そう言うのはしっかりした理由が無いと難しい気がするんですけど……」 
 誠はこの雰囲気に耐えられずにそう言った。そんな誠を無視するように要は彼の焼いていた肉を自分の口に入れる。空気を読めと棘のある視線を送ってくる明華だが嵯峨は笑顔のまま口を開いた。
「まあ、上座の兄貴と大河内卿には根回しは済んでるよ。それにこの前の近藤事件で俺に貸を作った連中もこの件では俺と同調することになってる。あえて言えば烏丸卿の一派だが……」 
「響子か。あいつはそれほど弱くはねえよ。確かに烏丸の被官の下級貴族の連中は親父を目の仇にしてなんでも反対で通すつもりだろうが、特権階級が胡州のお荷物で腐敗の元凶だってことぐらいわからねえほど馬鹿じゃねえよ。それに自称愛国者ってのも使いようがあるもんだ」 
 そう言って誠が載せた肉を再び奪い取って口に入れる要。
「烏丸女公爵とはお知り合いなんですか?」 
 誠のその言葉に、呆れたというように要は天を見上げた。
「誠ちゃん!」 
 突然そう叫ぶと、アイシャが体を押し込んで誠の手を握る。
「烏丸響子様と言えば要ちゃんの第二夫人よ。良く覚えて……」 
 そこまでアイシャが言ったところで要はアイシャの頭に拳骨を食らわせた。
「テメエどこまでアタシを百合なキャラにしたがるんだ?」 
「だって……私も要のことが……」 
 そう言って下を向くアイシャ。その姿を見て急に要は彼女に背中を向ける。しばらくアイシャのカミングアウトに沈黙する部隊長室。
「本気にした?ねえ、本気にした?」 
 間を計ったように要の手を掴んで飛び跳ねるアイシャ。
「うるせえ!」 
 そう言って要はそのままパーラの焼いていた肉を取り上げて口に放り込む。パーラは泣きそうな表情で要を見つめる。
「要ちゃん!」 
 それまで黙々と肉を食べていたリアナが突然テーブルを叩いた。
「わかったよ……」 
 そう言うと口から肉を出そうとする要。パーラはさすがに首を振る。
「あんたら本当に子供ねえ」 
 そう言いながら一人専用の焼肉のタレを肉につけて食べる明華。その時、また隊長室の扉が開いた。
「いい匂いがするんだな」 
 そこに居たのは幼い容貌のランだった。先ほどの話とは違って突然のランの登場に要とアイシャはあんぐりと口をあけて彼女を見守っている。
「ご苦労さん。お前も食っていけよ」 
 渡された書類を執務机に投げた嵯峨が声をかける。
「飯は食ったからな。それにここの歓迎会は春子のとこでやるんだろ?一応予約はしておいたぜ」 
 そう言うとそのまま出て行こうとするラン。
「さてと、ランが来たってことは第二小隊の三号機も到着したってことね。それじゃあ私も仕事に行かなきゃね」 
 そう言って立ち上がる明華。彼女が差し出した皿を受け取るリアナ。
「もう終わり?」 
「そうだよ。クラウゼ、片付け手伝ってくれるか?」 
 そう言いながら肉の乗ったトレーにラップをかぶせる嵯峨。アイシャはそのまま立ち上がると、パーラとエダ、それにキムに目で合図をする。
「それじゃあお姉さん。報告書がありますので失礼します!」 
 アイシャはそのまま引きとめようと手を上げるリアナを残して部屋を出て行った。
「それじゃあ要ちゃんとカウラちゃん。手伝ってね!」 
 逃げられないように二人の腕をがっちり掴んでリアナがそう言った。見詰め合う要とカウラだが、いつの間にかキムとエダ、そしてパーラの姿はなくなっていることに気付いてあきらめる。
「あのー、僕は?」 
「ああ、誠君はたぶんランちゃんが用事があるって言ってくるわよ」 
 リアナはそう言うと火箸で網を集めているカウラの監督をはじめた。
「行ってこいよ」 
 そんな嵯峨の言葉に追い出されて廊下に出ると、ハンガーから響くランの叫び声が聞こえた。誠はとりあえずハンガーへと向かった。
「オメエ等!邪魔すんじゃねえよ!」 
 ランの叫び声が聞こえて、誠は管理部の前の手すりから身を乗り出した。三号機、誠の専用機はすでに定位置に固定されていた。
 しかし、その正面には奇妙な箱が置かれている。
 高さは5メートルくらい、良く見れば先月解体を担当した仮設住宅を組みなおした物だった。その隣では吉田とシャムがランとにらみ合っている。
「吉田少佐!」 
 階段を駆け下りた誠を珍しいものを見るような目つきで見つめる吉田。
「ああ、良い所にきたな」 
 そう言いながら吉田は腕組みをしているランをにらみつける。
「コイツを外まで運んでくれねえか?」 
 吉田が指差している建物の中から甘えたような動物の声が聞こえる。
「これって……」 
「うん!グレゴリウス19世の家だよ!」 
「13世だろうが!」 
 名前を間違えたシャムをはたく吉田。そんな二人を見ながら恐る恐る誠はランを見つめた。小さな体を一杯に伸ばして誠を見つめるラン。中佐という肩書きは伊達ではなく、どう見ても小学生にしか見えない彼女だがその見えない圧力と言うものを感じて誠は冷や汗を流した。
「こんなもの作ってんじゃねえよ。明華!」 
 ランはそう言うと控え室から出てきた明華に声をかける。
「作っちゃったんだからしょうがないじゃない。それにこれなら人力で何とかなるでしょ?丁度、説教も終わったところだし……」 
 そう言う明華の後ろから西達整備班員が出てくる。
「神前も手伝いなさい」 
 明華の言葉に押されて目の前の箱に群がる隊員。
「じゃあいっせいに力を入れるのよ!」 
 明華の合図に隊員達は力を込めて踏ん張った。突然バランスが崩れて黒い塊が入り口から飛び出てきた。巨大な熊。近くの隊員が恐怖で手を離してプレハブが床に落ちる。
「なんだ!シャム。入ったままだったのか!」 
 怒鳴りつけるランにシャムは頭を下げている。飛び出した熊、グレゴリウス13世は逃げ惑う整備班員を追い回していた。
「どうにかしろ!」 
 腹を抱えてこの有様を見つめている吉田の尻をランが蹴り上げた。
「なにすんですか!」 
 そう言い返すものの腕組みしてにらみつけるランに、吉田はあきらめてグレゴリウス13世のところに行ってその首輪を握って動きを止める。
「今のうちよ」 
 そう言う明華の顔色を見た西が仲間を集めて再びプレハブを持ち上げる。
「大変ですわねえ」 
 外から戻ってきた茜が汗を流して熊の家を運んでいる誠達を優雅に扇子をはためかせながら見つめている。
「茜もやるか?」 
 そんなランの言葉に扇子で口元を押さえる茜は首を横に振った。
「早く運べよ!」 
 ランはそう言うと隅を持っている誠の尻を蹴り上げる。
「そんなこと言っても……」 
 泣き言を言う誠を横目に見ながらグレゴリウス13世とシャムと吉田がじっと彼を見つめていた。
「さあ!私も応援よ!」 
 その後ろにはいつの間にかアイシャが来てグレゴリウス13世の頭を撫でていた。
 そろそろとハンガーを出たプレハブ小屋はグラウンドをゆっくりと移動する。
「ほら!もっと急ぎなさいよ!」 
 はっぱをかける明華。誠の額に汗が浮いた。
「大変ねえ、誠ちゃん」 
 そう言いながらアイシャがハンカチで誠の額を拭う。冷たい視線を整備員から浴びて沈黙する誠。
「オメエなあ。もっと力入れて運べ!」 
 今度は誠の尻を蹴り上げるラン。小柄な彼女だが、その一撃に手が滑りそうになる誠。
「クバルカ中佐。そんなに苛めなくても……」 
 心配そうにアイシャが口を挟むがぎろりと言う音でもしそうな調子でランがアイシャを見上げた。
「クラウゼ。私はこいつ等の管理をタコから引き継ぐんだからな」 
 ランはそう言うとさらに手を滑らした整備員たちの尻を蹴り上げ続ける。
「そうよねえ。清海(きよみ)はちょっと甘かったかも知れないわね。少しは鍛え上げないと脱走で有名な遼南帝国軍が出来上がっちゃうものねえ」 
 そう言いながら次々と自分の部下を蹴り上げていくランを見守る明華。ようやくファールグラウンドから畑に向かう空き地に到着したところで吉田が手を上げた。
「手を挟むんじゃないわよ!私は怪我で休みますなんて認めないからね!」 
 そう声をかける明華。この騒ぎを見て駆けつけたレベッカが心配そうに整備員達を見つめている。プレハブの小屋は静かに雑草の上に置かれた。グレゴリウス13世を連れたシャムが早速中に入る。隊員達の安堵のため息。誠もまた悠然と我が家を見て回るグレゴリウスに笑みを浮かべながらプレハブの隣に腰を下ろそうとした。その時背中に気配を感じた。
「それじゃあお前の腕前見せてもらうぞ」 
 作業服の襟を掴まれて誠が振り向く。ランははるかに大きい誠を掴んでずるずると引きずり始める。
「大丈夫ですよ!逃げたりしませんから!」 
 そう叫ぶ誠を鋭い目つきでにらみながらランはようやく手を離した。
「そうだ、クラウゼ!」 
 シャムと一緒にグレゴリウス13世と遊んでいるアイシャを呼ぶランの一声。アイシャはそのまま跳ね上がるように立ち上がるとそのまま駆け足でランのところまでやってくる。
「お前も付き合えよ。カウラの機体のシミュレータなら使えるんだろ?」 
 そう言ってつかつかとグラウンドを横切ってハンガーに向かうラン。誠とアイシャはお互い顔を見合わせるとその後に続いた。

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