遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 20

「起きてください!クリスさん!」 

 ドアを叩く音、そしてキーラの甲高い声が部屋に響く。起き上がったクリスは隣のベッドにはまだハワードは戻ってきていないことを確認した。昨日の一件を記事にまとめて、そのままシャムとキーラの二人と雑談をしたあと、難民が現れたら起こしてくれるよう頼んでクリスは仮眠を取っていた。

「ああ、ありがとう。来たんだね」 

 クリスはいつものように防弾ベストを着込むとドアを開けた。敬礼するキーラに自然とクリスの頬は緩んでいた。

「ありがとうジャコビン曹長」 

「キーラでいいですよ」 

 キーラはそのまま帽子を深く被りなおしながら歩くクリスの後に続いた。

「こう言うのはやはり何度も取材されているんですか?」 

 白いショートの髪をなびかせて着いてくるキーラを振り向くと、クリスは思い返していた。

「あまり無いねえ。どの国も組織も恥は公にはしたくは無いものさ。自分達の政策で生活を破壊された国民がいるという事実は上層部の人間には不愉快以外の何物でもないからね」 

 そう言うと上がってきたエレベータに二人は乗り込んだ。

「昨日は徹夜かい?」 

「ええ、隊長のあの機体が馬鹿みたいに整備に時間がかかるんですよ。実際、あんなに手間がかかる機体なら今のスタッフじゃ運用は無理ですよ」 

 そう言われてキーラのつなぎを見てみた。比較的きれい好きな彼女にしては明らかに油のシミや埃が浮き出して見える。

「これという時の切り札に使うんだろうね、あの人は」 

 そう言うとクリスは開いたエレベータの扉を抜けて本部ビルの扉に手をかけた。夜明け直前と言った闇の中にテントが見える。しかし、昨日まで英雄の降臨に沸いていたゲリラ達の姿は見えない。不審そうなクリスの姿を悟ったキーラが声をかけた。

「ああ、彼等は北天街道までの工事を行う為に移動しましたよ」 

「なるほどねえ」 

 外に出ると、格納庫での作業音以外の音がしないので少し寂しくもあった。

「補給線の確保に兵力を割くのは隊長の昔の教訓なんでしょうね」 

 キーラはそう言うとそのまま村のはずれまでクリスを案内して来た。クリスも渓谷に沿って続く細い道を眺めながら、夜明けの寒空を眺めていた。

「しかし、夜通し行軍とは」 

「仕方が無いでしょう。北兼台地南部基地の司令官に吉田俊平が招聘されたそうですから」 

 キーラの言葉に暗澹たる気持ちになりながら、ようやく先頭を走る北兼軍のホバーのヘッドライトが目に入ってきてクリスはそちらに目を向けた。

 そんな言葉を聞きながら街道を眺めてみた。近づいてくる重装甲ホバーの上で、北兼軍の兵士が笹に竜胆の嵯峨家の家紋入りの旗指物を振り回している。近づくに連れて、その隣でその兵士の肩を叩いて笑いあっているのがハワードだとわかった。

「クリス!待っててくれたのか!」 

 ハンガーの前にドリフトで止まったホバーから飛び降りたハワードが抱きついてきた。

「どうしたんだ、テンションが高いじゃないか」 

「それより医療班を呼んでくれ。怪我人がいる」 

 真顔に戻ったハワードの言葉にキーラはそのまま明かりのついている野戦病院に走った。

「戦闘があったのか?」 

「いや、落石を避けようとして足首を痛めたらしい」 

 そう言うハワードの後ろから、兵士に支えられて十二、三歳くらいの少女が降り立つ。足首に巻いた包帯が痛々しいが、兵士達の笑顔に釣られるようにして彼女は笑っていた。

「じゃあ難民の本隊も無事なのか?」 

「ああ、俺は彼女の手当てが済んだらまた引き返すつもりだがね」 

「じゃあ俺も付いていくよ」 

 クリスが答える。少女はクリスの姿を不思議そうに眺めていた。病院から出てきたのは別所だった。

「どうしたんだね?」 

 別所は駆けつけると、旗指物を持った兵士が指差す少女に目をやった。

「足首か。しかし、それ以上に栄養状態が心配だ。誰か彼女を背負って来てくれないか?」 

「じゃあ俺がやるよ」 

 明るくハワードは言うとカメラケースをクリスに渡して少女の前に背を向けた。少女は恐る恐る大きなハワードの背中に乗っかる。

「じゃあ行きましょう、先生」 

 ハワードは別所の胡州海軍の制服を気にせずそのまま病院へと向かった。

「楠木少佐!」 

 キーラは続いて難民を満載したバスの列を先導している四輪駆動車に叫んだ。

「ジャコビンじゃねえか!それより炊事班を起こせ!炊き出しをやるぞ」 

 広場に止まったバス。屋根の上には家財道具が括り付けられている。ドアが開いても難民達は降りようとしない。

「順番に降りてください!テントがありますから休めます!」 

 体に似合わない大声を張り上げた楠木の言葉に引かれて降りてきた難民達を見てクリスは衝撃を受けた。

 バスを降りてきた難民達に笑顔が無ければ、クリスは目を背けていたのかもしれない。敵基地に群がる彼らを遠巻きに見るのと、目の前で見るのが違うことは覚悟をしていたが、それは戦場に向かうどこのキャンプでも見慣れた光景とは言え、かなりクリスの心をえぐる光景だった。骨と筋だけにやせこけた母親に抱かれて口は開けてはいるが、泣き声を立てる体力も無い乳児。老人は笑ってはいるが、その頬肉のこけた姿が痛々しい。義足の少年。きっと地雷でも踏んでしまったのだろう。屋根の上の包みに手を伸ばす男の右腕のひじから先は切断されていた。

「酷いものだね」 

 たぶんこのような状況を見るのが初めてと思われるキーラが硬直しながらバスから降りる難民を見ているのを見つけてクリスは声をかけた。

「彼等は逆らったわけではないんでしょ?何故……」 

「戦争って言うので戦って死んでいく兵士はまだ幸せな方さ。戦場に住んでいたと言うだけで武器も持たない彼らにとっては生きていること自体が地獄なんだよ」 

 今度は赤十字のマークをつけた北兼軍のトラックが到着する。先ほどの少女の登場で仮眠を取っていた要員まで動員されたようで、野戦病院からは看護婦や医師達がトラック目指して走り出す。

 病院から出てきたハワードがクリスのところにカメラを取りに来た。

「クリス、まだ来るぜ」 

 冷静にそう言うと、ハワードはクリスからカメラを奪い取ってトラックに向かい駆け出していく。トラックから静かに担架に乗った難民達が運び出される。うめき声、泣き声、助けを呼ぶ声。戦場の取材で何度も聞いた人間の声のバリエーションだが、クリスはそれに慣れる事は出来なかった。隣に立っているキーラは初めてこういった光景を目の当たりにするのだろう。クリスは彼女の肩に手を添えた。

「こんなことが起きてたんですね。私達が訓練をしていた間にも」 

「そうだ、そしてこれからも続くんだ。この内戦が終結しても、敗者の残党は民兵組織を作ってゲリラ戦を続けることになるだろう。それが終わるのもいつになることだか……」 

 クリスのその言葉に、キーラの目が殺気を帯びて見えた。彼女の怒りにかつて自分が従軍記者をはじめたばかりのことを思い出した。それはアフリカの内戦だった。記者達は政府軍と国連軍の広報担当者の目の届く範囲だけの取材を許されていた。そこの難民は栄養状態もそれほど悪くなく、政府軍と国連軍のおかげで戦争が終わろうとしていると答えた。まるで版で押したかのように。

 そんな光景に嫌気のさしたクリスが広報担当者の目を盗んで山を越えたところの管理されていない難民キャンプでの光景は今も脳裏に張り付いている。

 積み上げられる餓死者の死体、見せしめに銃殺される反政府ゲリラへの協力者、もはや母の乳房にすがりつく力も無く蝿にたかられる乳児、絶望した瞳の遊ぶことを忘れた子供達。クリスはすぐに国連軍の憲兵に捕らえられて、その光景を一切報道しないと言う誓約書を書かされて、そのままその取材は打ち切りになった。

 クリスはそんな昔話を思い出しながら、ただバスを降りていく難民達を見つめていた。

「嵯峨中佐はこれを偽善者ごっこと呼んだが、君はどう思う」 

 自然とクリスの口からそんな言葉が漏れた。キーラの肩は震えていた。

「ごっこでも何でも、どうして誰もこんなことになるまで手を出さなかったんですか?」 

 言葉が震えている。キーラは泣いていた。以外だった。クリスにとって戦う為に作られた神に背く存在の人工人間のキーラ。彼女が感情を露にしている光景があまりにも自然で彼女の生まれに拘ってこうして黙っている自分がおかしいように感じられてくる。

「いつもそうだよ。戦争ではいつもこうなるんだ」 

 声がしてクリスが振り返った先には民族衣装のシャムが立っていた。いつもの明るいシャムではない。彼女の目はようやくたどり着こうとしている渓谷に沿って続く難民の群れに向いていた。車、馬車、牛車。ある者はロバにまたがり、ある者は自らの足で歩いている。クリスもキーラも彼らから目を離すことは出来なかった。日の出の朝日が彼らを照らす。強い熱帯の日差しの中でその残酷な運命を背負った難民達の姿が闇の中から浮き上がって見えた。

 髪は乱れ、着ている服は垢にまみれた。こけた頬が痛々しく、その振られることの無い腕は骨と筋ばかりが見える。護衛に出た北兼の兵士から配られたのだろう。誰もが手にしている難民支援用のレーションだが、いつ襲ってくるかわからない右派民兵組織に備えてか、手をつけずに大事そうにそれを抱えていた。

「どいてくれ!病人だ!」 

 サイドカー付きのバイクにまたがった兵士がサイドカーに老婆を乗せて難民の列の中を進んでくる。テントの下に寝かされている病人達の間から別所と看護士達が止まったバイクに駆け寄っていく。

「シャムちゃんは見たことがあるんだね。こんな光景を」 

 クリスは黙って難民の様子を窺っているシャムに尋ねた。

「この道をね、いっぱい通ったんだよ、こう言う人が。みんな悲しそうな顔をして北に逃げるんだ。でも誰も帰ってこれないよ」 

 静かに話すシャムの言葉を聞いて、再びクリスは難民の列に目を向けた。朝日を浴びて空から輸送機がハンガー裏の空き地に降りてくる。国籍章は東和。ハンガーにたむろしていた兵士が着陸する垂直離着陸の輸送機の方に駆け出した。

「支援物資ですね。私も行きます」 

 そう言うとキーラは輸送機に向けて走り出した。シャムもその後に続く。クリスはこの光景を見ながらただ呆然と立ち尽くしていた。

「もう三十年、いやそれ以上かもしれないな。地球人がいるかどうかなんて関係なくこんな光景が繰り広げられてきた」 

 後ろで声がしたのでクリスは振り向いた。タバコを吸いながら嵯峨は静かに座っていた。

「見てたんですか?」 

「まあね」

 そう言いながらタバコをふかす嵯峨。彼もまたこの国の動乱に運命をゆがめられた存在だと言うことを思い出してクリスは言葉を飲み込む。

「しかし、ここらで終わりにしたほうが良いよね」 

 嵯峨は立ち尽くしているクリスにそう言って立ち上がって伸びをした。

「あなたにはこの状況を終わりにするべき義務があると思いますよ」 

 クリスは本部に消えようとする嵯峨の背中に叫んだ。

「そうかも知れませんね。だが俺も神じゃない。でもまあ、ベストは尽くすつもりはありますよ」 

 嵯峨はそのまま本部に向かった。クリスは再び難民達の方に目を向けた。彼等の群れの中に向かって本部の裏手の倉庫から大量のダンボールを運び出す兵士の一群が現れた。そして輸送機からの荷物を運び出す隊員と合流してテントの下で受付の準備をしている管理部門の隊員の姿が見える。それを仕切っている伊藤を見つけるとクリスはそこに駆けつけた。

「ずいぶんと準備がいいですね」 

「なにか問題あるんですか?……そこ!それは炊き出し用の白米だろ?そのまま食えるものを持って来いって言ったんだ!」 

 伊藤に怒鳴りつけられた政治局の腕章付きの下士官が頭を下げながら持ってきたダンボールを運び出す。

「戦争にはね、タイミングと言う奴があると隊長から言われてましてね。あなたに連絡を取ったのはこの日のためってこともあるんですよ。見ての通り遼南は貧しい。先の大戦では遼州枢軸三国と浮かれていたが、この有様を見てわかるとおり貧しい国なんですよ」 

 伊藤の口からの言葉が悔しさに満ちていた。クリスは彼の前に積み上げられていくレーションの山を見つめていた。難民達はすぐにそれを見つけて集まり始める。

「待ってください!数は十分にありますから!」 

 受付でキーラが支給品に次々と手を伸ばす難民達に声をかけていた。シャムが大きな鍋の下に入り込み火を起こしている。奥の仮説の診察室で別所は運び込まれる栄養失調の子供達の胸に聴診器を当てている。そしてハワードはそれらを一つ一つ写真に収めていた。それでもまだ難民の列は途切れることなくこの村に向かって続いていた。

「それにしてもこんなところを攻撃されたら一撃じゃないですか?」 

 クリスの言葉に伊藤は呆れたような視線を送る。

「エスコバルもそれほど馬鹿じゃありませんよ。上空で東和の攻撃機が警戒飛行を続けている。西部戦線では人道にうるさいアメリカ軍を主体とした地球軍が戦闘中だ。どちらも難民に共和軍が襲い掛かれば手加減せずに攻撃を仕掛けて共和軍が壊滅するくらいのことはわかりますよ」 

 伊藤はそう言うと上空を見上げた。いつもよりも低い高度を飛ぶ東和の偵察機が見える。

「しかし、スパイを難民にまぎれさせるなどのことはしているんじゃないですか?」 

 クリスが食い下がるのを見て伊藤は笑みを浮かべた。

「それはあるでしょうね。それに北兼台地南部基地の指揮官が吉田俊平にすげ代わったらしいですからそこはこっちとしては苦しいところですよ」 

 難民の食料を求めて集まる数が多くなってきた。それに対応するようにまだ帰還したばかりでパイロットスーツを脱いでもいないセニア達のパイロット連中までも、隣のテントに詰まれた缶詰の配布を手伝い始めた。

「ああ、あいつ等まで手伝い始めたか。すいませんね、俺も働かなきゃならなくなりましたんで。取材は自由でいいですよ。ここの困窮が宇宙中に知らされたならそれだけ難民への支援も集まるでしょうから……俺も隊長もどこまで行っても偽善者なんでね」 

 そう言うと伊藤はセニア達のところに駆けていった。クリスは一人になると、難民達を見て回ることにした。怪我人はそれほど出ていないようだが、医療スタッフが設置した大型のテントは一杯になりつつあった。点滴のアンプルの入った箱が山のように積まれているのが見える。クリスは嵯峨がこのことを予定していたことを確信した。

 走り回る別所と、懲罰部隊の階級章を剥がされた制服のままの医師が走り回っている。その周りを駆け回る看護師達も緊張した雰囲気に包まれていて、クリスは取材をすることを断念した。

 邪魔にならないように病院のテントを離れて散策するクリス。ゲリラが残していったテントには仮眠を取ろうと難民達が次々に腰を下ろしていた。疲れ果ててはいたが、クリスがこれまで見てきたどのキャンプの難民達より目が光に満ちていると感じた。

 昨日はカネミツの整備を行っていた菱川重工の技術者達が、それぞれダンボールを抱えて、中に入った水のボトルを配っている。クリスはそんな群れを抜けて村の広場にたどり着いた。いつものように朝の光の中、夜露を反射して光る塔婆の群れ。

 一人の少女が花を手向けていた。クリスが近づいていくと、その隣の大きな黒い塊が彼に振り向いた。

「元気か?熊太郎」 

 そんなクリスの言葉に舌を出して答える熊太郎。シャムは墓の一つ一つに花を配って回った。

「今日もお墓参りかい?」 

 シャムは振り向くと静かに頷いた。

「しばらくは君の友達も静かに眠れそうだね」 

 クリスは静かに墓に額づく。そんなクリスを見ながらシャムは笑顔を浮かべた。

「でもこれで戦いが終わるわけじゃないよ」 

 シャムはきっぱりとそう言い切った。見上げるシャムの向こう、広場は高台になっていて、難民の列が渓谷のヘリに消えるまで続いているのが良く見えた。

「これだけの難民をさらに北上させるとなると、難しいかねえ」 

「きっと陛下がなんとかしてくれるよ」 

 その声には強い意志が感じられた。クリスはシャムの瞳を見つめる。熊太郎は黙って二人を見守っている。

「ああ、こんなところにいたんだ!」 

 そう言って息を切らして走ってきたのはキーラだった。

「二人とも食事を早く済ませてください!それとシャムちゃん。昨日シャワー浴びなかったでしょ」 

「だって目に泡が入ると痛いんだよ!」 

「駄目!ご飯が終わったら一緒にシャワー浴びましょうね。熊太郎もシャワーが大好きなんだから」 

 キーラの言葉に自然とクリスの頬が緩んだ。

「さあ、行きますか」 

 クリスはそう言うと立ち上がった。シャムもそれを見て立ち上がる。

「なんか僕だけ遊んでるみたいで済まないねえ」 

「いえ、ホプキンスさんはそれが仕事なんですから」 

 クリスの言葉に黙って視線を落とすキーラ。

「いつまで続くんでしょうか?」 

 歩き出したキーラがクリスに尋ねた。彼女の白から銀色に見える髪が台地から渓谷を伝う風になびいている。

「ゴンザレス政権にはまだ余裕があるね。西部戦線では苦戦しているが、中央戦線では激しい消耗戦が展開されているらしい。現在の状況を見れば東和の権益の地である北兼台地をどちらが抑えるかで状況はかなり変わると思うよ。当初は地理的価値が無いとされてきたが西モスレムが三派を通じてこの内戦に干渉すると言う状態になるような気配だから、その国境線の喉首に当たる北兼台地は戦略的要衝の意味を持ってくる」 

 坂道を元気良くシャムが駆け足で下っていく。その後ろにつき従う熊太郎が心配そうにクリスとキーラを見つめている。

「あの人はどこまで先の状況を読んでいるのかな」 

 クリスはそう言って熊太郎の頭を撫でると急な坂道を滑らないように慎重に下り始めた。

「あそこに並ぶんですか?」 

 キーラは本部ビルを通り抜けてそのままハンガーの前の大なべに群がる難民の列へと足を向ける。良く見れば人民軍の制服を来た隊員達もその列に並んでいた。

「これも隊長の意向ですので」 

 そう言うと鍋から百メートル以上離れた最後尾に並ぶ三人。

「すみませんねえ、私は後でいいですから。前にどうぞ」 

 前に並んでいる老婆が三人に前に行くように薦めた。

「いいですよ、ここで待ちますから」 

「お嬢さん兵隊さんでしょ?だったら……」 

 そんな老女の一言に首を振るキーラ。

「いえ、いいです本当に」 

「そうかい、じゃあ私は少なくしてもらおうかねえ」 

 苦笑いを浮かべるキーラ。クリスもそれにあわせた。列は比較的早く流れていた。準備周到に用意された鍋と椀。いつも最上階の厨房にいる炊事班の面々が手際よく難民や兵士にスープを配っていく。

「パンなんだ。私パンよりおコメがいいなあ」 

「シャム!贅沢言わないの!」 

 キーラと熊太郎がシャムをにらみつける。シャムは舌を出すとそのまま鍋の方に向いた。スープと受け取ったパンを口にする難民や兵士の群れを伊藤達人民党の政治局員が整理している。

「あの人も苦労性だな」 

「今回の難民受け入れの件で北天から呼び出しがかかっているらしいですよ」 

 クリスにキーラが耳打ちをした。明らかに人民党本部に戻ればかなりの叱責を受けることは間違いないというのにそんなこととは関係なく伊藤達は鍋に並ぶ列の周りで食事をしようとする難民達をテントに誘導している。

「本当に材料が足りるのかね」 

「大丈夫ですよそれは。ホプキンスさんが隊長と出かけた後に東和の人道物資の空輸がありましたから。数日分は材料の心配はしないで済むって言う話しですよ」 

 そう言うとキーラはようやく渡されたスープの木の椀とスプーンをクリスに渡す。

「すべては予定通りというわけですか」

 クリスは目の前で椀を渡されて目を輝かすシャムの姿を観察していた。

「熊太郎の分ももらったの?」 

「あ!忘れてた!すいません、もう一つください!」 

 シャムは立ち去ろうとする食器を配る炊事班員に声をかけた。

 食べる場所が無くて、クリス、キーラ、シャム、熊太郎は鍋の裏手をぐるりと回った。薪を割る音が響いている。クリスは釣られるようにその音の場所へ向かった。薪を割っていたのはシンとジェナンだった。原木の山を崩して運んでいるのはライラである。

「御精が出るんですね」 

 キーラはそう言うと原木を一つ、椅子代わりにして座る。クリスもシャムも彼女の真似をしてそばに座った。

「まあ、このような状態を見て手伝わないわけには行かないだろ?それに北兼台地の戦いの間は世話になるんだ。少しは役にたっておかないと立場も無いしね」 

 そう言うとシンは原木に斧を振り下ろす。中心を離れたところに振り下ろされた斧に跳ねられて、原木が草叢に転がる。

「見てられないよ。ちょっとかしてね」 

 すでにスープを飲み終えていたシャムがシンのはじいた原木を取り上げた。彼女はそのままシンから斧を受け取ると、原木を正面に置く。

「えい!」 

 滑らかに振り下ろされた斧は的確に原木の中心に振り下ろされ、みごとな薪が出来上がる。

「君、慣れているねえ」 

「うん!」 

 シャムは褒められて嬉しそうに笑った。

「じゃあ、君のやり方を参考にさせてもらうよ」 

 シンはそう言うとシャムから斧を受け取った。

「そう言えば食事はどうしたんですか?」 

 キーラが椀を空にするとジェナンに声をかけた。

「ああ、シン少尉はラマダンの最中だからと言うことで夜明け前に食べたいと言うことでもう済ませたよ」 

「まあ、ジハードの間は断食の中断も許されているんだが、共和軍には大規模な動きも無さそうだからね。中央戦線で一進一退の攻防戦が展開している今、南都軍閥もそちらに出動中。静かなものですよ」 

 シンは照れ笑いを浮かべながら斧を振り下ろす。

「大変ですねえ」 

「そうでもないさ、ようは慣れだよ」 

 シンが斧を振り下ろすが、また中心を離れたところを叩いて原木は草叢に転がった。

「やっぱりシャムちゃんのようには行かないな」 

 シンはそう言うと、原木を取りに草叢に歩いた。

「いつまでそうしているつもりだ?」 

 シンは原木を拾いながら手に薪を持ったまま立ち尽くすライラに声をかけた。その視線は厳しくクリスをにらみつけている。

「お前の仇は嵯峨中佐だろ?ホプキンスさんは関係無い」 

「そうですか?この人の記事一つで、あの人でなしは救国の英雄になるかもしれない」 

「それがどうした」 

 シンは原木を抱えたままライラをにらみつけた。

「英雄ってのはな、敵から見れば悪魔のように見えるものだ。あらゆる人を救うなんてことが出来るのは神だけだ。あの人もどこまで行っても人間なんだ。こうして軍に属して戦うことになれば敵には恨みを抱かれる」 

「でもあの男がしたのはだまし討ちですよ!花山院直永に売られた父上を……」 

 シンは食って掛かるライラから離れて、再び手にした原木を台の上に乗せた。

「しかし、おかげで東海の戦いでは難民は生まれなかった。こう言う悲劇が起きなかったということで評価するべきだ。俺は少なくともそう思っているよ」 

 そう言ってシンは斧を振り下ろした。今度は芯を捕らえた斧が原木を真っ二つに裂いた。

「確かに緒戦の奇襲で気弱な軍閥指導者の花山院直永を怯えさせ、そこにつけこんで主君を差し出せと迫ったやり方はきれいとは言えないがな」 

 そう言うとシンはもう半分に割ろうと斬った薪を立てる。

「だが、それが結果として被害を最小にする方策だったのは事実だ。それは認めてやるべきだと俺は思うがな」 

「でも……」 

 ライラの声を後ろに聞きながらシンは再び斧を振り下ろす。

「納得できないのはわかるよ。いや、納得できる方がどうかしてる。だが、俺が言いたいのは今は敵討ちよりもするべきことがあるんじゃないかってことだ」 

 割れた薪を拾うとそのままシンは一輪車の荷台に薪を放り投げた。

「ちょっとライラ、気分転換だ。コイツを鍋のところまで運んでくれ」 

 ライラは不服そうな顔をしながら一輪車に手を伸ばす。

「手を貸すよライラ」 

「いいわよ、こんなものくらい一人で……きゃあ!」 

 ジェナンの助けを断ってぞんざいに伸ばしたライラの手が一輪車のバランスを崩して薪を散らばらせる。

「ほら、言わんこっちゃ無い」 

 ジェナンは一輪車を立てる。そして二人は薪を拾い始めた。

「仕事増やしてどうするよ」 

 シンはそう言うと自分で原木の山に手を伸ばして、ちょうどよさそうな薪を台の上に乗せた。

「しかし、これからどんな手を打つつもりなのかな、あの御仁は」 

 そう言うと森の中では異物のようにしか見えない保養所だった本部ビルをシンは見上げた。

「英雄を必要とする時代は不幸だと言うが、その通りかもしれませんね」 

 ライラとジェナンが薪を運んでいった後で、ようやく一息ついたシンはそう言いながら斧を地面に置いた。クリスもキーラも食事を終えて、椀を片手に座っていた。

「あなたは嵯峨と言う人物を英雄だと思いますか?」 

 クリスのその言葉に、タバコに火をつけたシンは含みのある笑顔で答えた。

「英雄と言うのが時代を変える人材と定義するのなら、彼は間違いなく英雄ですよ。北天の包囲戦で見せた彼の共和軍に対する調略活動の腕前は軍政家としての彼の本領を見せたようなことになりましたしねそれに失敗していれば我々も出会うはずも無い。北兼軍はアメリカ軍に、三派は共和軍に追い詰められ、私は良くてテロリストとして永久指名手配。悪ければ神の国に導かれていた」 

 満足げに言ったシンがすっかり日が昇った空を見上げている。所詮はゴンザレスの配下の第一軍団に対する恐怖で動いている各州の部隊指揮官の弱みを突いての嵯峨による切り崩し。これにより統率を欠いた部隊に以前から気脈を通じていた南部三県出身の指揮官を抱きこんで北天包囲部隊を背後から奇襲し敗走させた嵯峨の知略は現在の共和軍の劣勢と言う状況を作り出した。その事実を知るだけにクリスはシンと言う東モスレムの将校と言う第三者の立場で嵯峨をどう見るかが気になっていた。

「ゴンザレス大統領は北天包囲戦ですべてが終わると思っていたが、直下の精鋭部隊を投入しなかったのが裏目に出たと言うことでしょう。現在は地球の同盟軍に支えられている共和軍の支配地域もどれだけ陥落までの時間を稼げるか、そして自国の兵の損害はどれくらいかと本国の首脳陣の頭をなやませている状況なんじゃないですか」 

 クリスは手にした椀を握り締めて髭面の青年士官を見つめる。名の知れた戦術家であるシンも嵯峨と言う男をこき下ろすことなどできないようだった。

「そしてこんな状況を舌先三寸で作り上げた人間がいる。彼が英雄ではないわけは無い」 

 シンはそこまで言うといつの間にかくわえていたタバコから煙を吐き出す。

「ですがね、あの人は英雄とは呼ばれたくないらしい」 

 静かにクリスの顔を見つめるシンの言葉は続く。

「ライラの肩を持つわけではないが、あの人のやり方は時に冷酷で悪意に満ちている。この難民の移動も彼の策謀の結果かと私は疑ってますよ。出来すぎているようにやってきた東和空軍の動きを見ても、あの人物がすべてのシナリオを書いたのは明らかだ。人の不幸を利用するやり口はいつか行き詰る」 

「確かにそれはそうかもしれませんね」 

 手にした椀を転がしながらキーラはそう漏らした。

「私は思うんですが、あの人は自滅したがっているんじゃないですか?」 

 クリスのその言葉にシンは静かに頷いた。

「確かにそれは言えるかもしれない。あの人とは昨日かなり長い時間話しこんだわけですが、時折、遠くを見ているようなところがあるんですよ。まるで心に穴でも開いてるような目で遠くを見る。私などそこにいないかのようにね。……それにあの人は守りたいものを守れなかった人だ」 

 シンの言葉、それは嵯峨の妻エリーゼの死をさしていた。義父を狙ったテロで、胡州の空港に降り立ったとたん暗殺された愛妻。東和の武官から戦地の憲兵部隊へ配置転換されることに伴って分かれて帰国させた家族を襲った悲劇。嵯峨の自虐的な笑顔はそこから生まれてきているのかもしれないとクリスは思った。

 シンはそう言うと静かに胸のポケットから写真を取り出した。クリスはそちらに体を乗り出す。そこには緑の髪のパイロットスーツを着た女性が写っていた。彼女の髪の色を見れば出自が人工的なキーラと同じ『ラストバタリオン』であることは容易に想像できた。

「恋人ですか?」 

 身を乗り出したキーラの言葉に恥ずかしそうに頭を掻くシン。

「彼女には今回の作戦のお守りだとは言ってあるんだけどね」 

 苦笑いを浮かべるシンの顔が生き生きとして見える。クリスはそんなシンを見ながら立ち上がった。

「ノロケ話を聞くほど暇じゃありませんか?」 

「そう言うわけじゃないんですが、この本部の主の顔を拝もうと思いましてね」 

 クリスはそう言うと椀を舐め続けているシャムを置いて歩き出した。

「シャムちゃん!シャワーを浴びるよ!」 

「嫌だよ!目が痛いの嫌だよ!」 

 クリスは後ろで叫んでいるキーラとシャムのやり取りを後ろに聞いて、テントの並び立つ空き地から本部ビルを目指した。

 そんなクリスの目の前、本部ビルの前に子供達の一群が出来ていた。クリスが近づけば、その子供達の手にはカブトムシやクワガタが握られている。

「じゃあ、次の対戦相手は誰だ!」 

「はい!アタシ!」 

 そう叫んだ少女の前、子供達の歓声の中、座り込んでいるのは嵯峨だった。一際大きなカブトムシを手に持った彼が、薄汚れた桜色のワンピースを着た少女のクワガタを受け取ると、板の上に二匹を乗せる。

「じゃあ、これで勝てば十二連勝だぞ!」 

「僕のも、次は勝てるよ!」 

「馬鹿だなあ、あんまり連続で対戦すると死んじゃうぞ。俺は次はコイツを出すつもりだから」 

 嵯峨がそう言って取り出したのは大きなクワを翳すクワガタだった。

「じゃあ!はじめ!」 

 嵯峨の言葉に虫の激闘が始まる。

「あのー」 

 クリスは笑顔を振りまく子供達の間を抜けて嵯峨の隣に立った。

「ちょっと待ってくださいよ!」 

 嵯峨はそう言うと自分のカブトムシをせきたてる。目の前の少女も自分のクワガタの角が嵯峨のカブトムシの体の下に差し込まれたのを見て雄叫びを上げる。

「やべえ!」 

 嵯峨のカブトムシは連戦で疲れたのか、そのままじりじりと後退を始めた。

「行っけー!」 

 少女の心が届いたようにクワガタはじりじりと土俵の外へと嵯峨のカブトムシを追い立てる。

「だめか?だめか?」 

 嵯峨の言葉に戦意をそがれたように、カブトムシはそのまま土俵の下に落ちた。

「やったー!次はアタシが対戦するよ!」 

 嵯峨は頭をかきながら立ち上がる。子供達は次に誰が少女のクワガタに挑戦するかを決めるじゃんけんを始めた。

「すいませんねえ、ホプキンスさん。つい童心に帰ってしまって」 

 そう言いながら嵯峨は本部ビルに歩き始めた。

「しかし、ずいぶん用意が良いんですね」 

「ああ、あの虫は今朝、採って来たんですよ。まあ、シャムに取れそうな場所を教えてもらいましたから」 

 嵯峨はいつものように胸のポケットにタバコを漁っていた。

「ああ、タバコ切らしちまったか」 

 そう言うと嵯峨はそのまま本部に入る。人影がまばらなのは早朝だということよりも難民に手を奪われてるからだろう。

「まあ、みんな良く働いてくれますよ」 

 クリスの意図を読んだかのようにそう言いながら嵯峨はそのままエレベータに乗る。

「これからどうなるんですか?」 

 クリスの問いに、表情も変えない嵯峨。

「まあ、北天や遼北には受け入れを頼めるわけも無いですからねえ。とりあえず西部の西ムスリム国境に現在仮設住宅を建設中というところですな」 

 いつにも無くすばやく動く嵯峨、彼は真っ直ぐ自分の執務室に入った。机の上にはいつの間にか出ていたコンピュータの端末が置かれていた。嵯峨は執務室にどっかりと腰を落ち着けるとその電源を入れる。

「ゲリラは後方の設備建設に従事させるわけですね」 

「まあ、あの連中もいつまでも追いはぎの真似事をさせとくわけには行かないでしょ?」 

 そう言うと嵯峨は黙々と端末のキーボードを叩き始めた。

「ずいぶん余裕があるんですね」 

「余裕?そんなものありませんよ」 

 一瞬、画面から目を離した嵯峨の瞳はいつものようにどろんとして生気を感じないものだった。そのままその視線はモニターに釘付けになる。そのキーボードの入力速度は異常と思えるほど早かった。本当にこの人物は北天からの書類を読んでから判断しているのか、クリスには疑問だった。

「今、ここを攻撃されたらおしまいなんじゃないですか?」 

「ああ、それはないなあ」 

 嵯峨は今度はモニターを見つめたままで即答した。

「吉田は金をもらって仕事をしてるんでしょ?依頼内容に無いことは絶対しない男だ。まあ、こっちから手を出すまでは動きゃあしませんよ」 

 キーボードを叩く速度は全く落ちることが無い。

「ですが、攻撃は最大の防御で……」 

「腕や名前を売る必要の無い兵隊さんなら絶好のチャンスと見るでしょうね。いくら難民が死のうが勝てば良いわけですから」 

 淡々と作業を続ける嵯峨。

「だが戦争屋で吉田俊平クラスになると金が払えるクライアントは限られてくる。大手の財閥の民間軍事会社や今回みたいに直接政府と契約をすることになるわけですが、あんまりえぐいことをやれば信用に関わる。あいつも今動くことが得策ではないことぐらいわかっているんじゃないですか?」 

 嵯峨はキーボードを叩く手を止めると、机の引き出しからタバコの箱を取り出した。

「隊長!」 

 大きな声とともに乱暴に執務室の扉が開けられる。入ってきたのは楠木だった。

「おい、ノックぐらいしようや」 

「そんな悠長なことを言う……」 

「大須賀のことだろ」 

 新しいタバコの箱を開けて一本取り出すと火を点す。クリスが楠木の顔を見ていると彼は泣いていた。戦場でのこの不敵な男の目に浮かんだ涙。それでクリスは一つの命が消えたことを理解した。

「あいつは覚悟していたはずさ。潜入作戦というものはいつだってそうだろ?見つかれば間違いなく殺される。それを覚悟で共和軍に入ったんだ」 

「わかってますよ!それは。でも……」 

 泣いている楠木。鬼の目にも涙と言う言葉がこれほど当てはまる光景をクリスは見たことが無かった。

「じゃあ泣くより仕事してくれよ。明華が難民の最後尾を警戒してるんだ。いい加減帰してやりたいだろ?」 

「わかりました!」 

 楠木はそう言うと敬礼をして執務室を後にする。

「工作員が消されたんですか?」 

「まあね」 

 嵯峨は静かにタバコをふかす。視線が遠くを見るようにさまよっている。

「下河内連隊時代からの子飼いの奴でね。楠木とははじめは相性が悪くて俺もはらはらしてたんだがあの地獄を生き延びたことでお互い分かり合えたんだろうな」 

 煙は静かに天井の空調に吸い込まれていく。

「吉田少佐の仕業ですか?」 

「だろうね。共和軍にはそれほど情報戦に特化したサイボーグは多くない。特に北部基地にはあいつしかいなかったはずだから情報の枝をつけて探りを入れるようなことが出来るのは吉田一人だろうね」 

 クリスはそこで北部基地で出逢った成田と言う士官を思い出していた。

「もしかして大須賀さんは成田と言う偽名を使って無かったですか?」 

「良くご存知ですね」 

 静かにクリスを見つめる嵯峨。だが、嵯峨の珍しく悲しみをたたえた瞳を目にしてクリスは語るのをためらった。

「まあ、俺が吉田の立場でも同じことをしただろうからね。恨んだところで大須賀は戻ってこないんだ」 

 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付けた。

「そろそろかな?」 

 そう言うと嵯峨は立ち上がった。

「何がですか?」 

「お迎えですよ。一応、ここは人民軍の基地ですから、難民の方達の移動をお願いしたいと思いましてね」 

 立ち上がって伸びをする嵯峨。クリスは彼より先に部屋を出た。本部の前では子供達の群れを仕切っているのはシャムだった。熊太郎にはそれより小さい子供達が集まり、撫でたり叩いたりしている。

「楽しいかい?」 

 大きなクワガタで相手のカブトムシをひっくり返したシャムがニコニコと笑っている。

「うん!そう言えばホプキンスさんは今度は私の機体に乗るんだよね」 

「ああ、嵯峨中佐にはそう言われているけど……」 

「よろしくね!」 

 そう言うとまたシャムはカブトムシ対決の土俵に集中した。いつの間にか広場には軍のトラックが到着している。クリスはそちらに足を向けることにした。移送可能な病人が担架に乗せられてトラックの荷台に運ばれていく。

「クリス、来てたのか」 

 その様子をハワードは写真に収めていた。

「これだけの数のトラックを集めるとは……」 

「それだけあの嵯峨と言う人物に力があるということだろ?力は人を惹きつけるものさ」 

 ハワードはクリスを振り向きもせずにシャッターを切り続ける。

「難民でも北兼軍に志願したのもいるんじゃないか?」 

「ああ、さっき受付をやっていたが、ゲリラ連中と同じく後方送りだね。右派民兵組織はかなり深くまで潜入しているとか言ってたから警備任務にでも就くんじゃないのかなあ」 

「あくまで手持ちの兵力で北部基地を押さえるつもりなのか?あの人は」 

 語調が強かったのか、ハワードがクリスを振り向いた。

「ずいぶんと入れ込むじゃないか。俺達はあくまで合衆国の敵を取材しているんだぜ」 

 ハワードの顔に笑みがこぼれる。

「そう言うお前はどうなんだよ」 

 その言葉を聞くとハワードはゆっくりと立ち上がった。

「誰が正義で、誰が悪などということは単なる立場の違いだと言うことは俺も餓鬼じゃないんだからよくわかるよ」 

 それだけ言うと彼は再び担架の列にレンズを向ける。

「それぞれが収まるべき鞘に収まった時、この戦争は終わるのさ」 

 ハワードはそう言うと再び中腰になって、トラックに運び込まれる担架を写真に収めた。

 次々と運ばれる病人を乗せた担架。それを積み終わると北への道を急ぐトラック。運転しているのは民族衣装のゲリラである。彼らに支給する軍服は足りていないようだった。

「手回しが良いと、仕事をしていても楽だね」 

 そう言って話しかけてきたのは別所だった。その隙のない態度に思わずクリスは身を固めた。

「病院の方は?」 

「ああ、今は一息ついてるところだよ。休んでいるのは軽症の患者ばかりだからとりあえず一服しようと思いましてね」 

 そう言うと別所は笑った。どこか人を緊張させるようなところがある。クリスは彼にそんな印象を持った。

「このまま帰られるんですか?」 

 クリスの言葉に別所は無言で頷いた。出て行くトラック、また入ってくるトラック。今度は子供連れを中心とした難民がトラックに乗り込んでいる。

「嵯峨中佐か。実に欲が無い人だ」 

 クリスの言葉をはぐらかす別所。クリスはその言葉を不快に思って別所を見つめた。

「わかるよ、君の気持ちも。彼に野心があれば君はここにはいなかっただろう。しかし、嵯峨中佐には利用されているよ、君達は」 

「それで良いんじゃないでしょうか?」 

 クリスは自然に出た言葉に自分でも驚いていた。

「確かにあの人は人民軍の西部戦線での中核を担わされている。しかも相手はアメリカ軍などの地球の精鋭部隊。そして今度は吉田俊平という化け物の相手までさせられることになる。でもあの人はこのくだらない戦いを終わらせる早道としてそれを選んだ」 

「ずいぶん入れ込んでいるんだね」 

 別所の言葉を聞いたとき、クリスは自分が迷っていないことに気付いた。

「確かに、はじめはただの戦争マニアだと思ってましたよ、あの人を。だが、そう言う見方が次第に変わって行って、今こうして彼を頼りに逃げ延びてきた人達を見てわかりました」 

「そういう見方も有りますね。北兼王、ムジャンタ朝の廃帝の称号だけではこれだけの民が動くのは説明がつかない。人を惹きつける才能に恵まれている。それは認めますよ」 

 そう言うと別所は再び病人の待つテントへ向かう。クリスもまた、子供達を写真に写すハワードのところに歩き始めた。

「ああ、いましたね。ホプキンスさん!」 

 駆けてきたのは伊藤だった。珍しく動揺している伊藤を不思議そうにクリスは見つめていた。

「どうしたんですか?慌てて」 

 周りの親子連れの難民が不思議そうな顔で、息を切らして立ち止まった政治将校の様子を伺っていた。

「ちょっと……待ってください……」 

 相当走り回ったのか、伊藤はネクタイを緩めてうつむきながらしばらく息を整えていた。

「大丈夫ですか?」 

 クリスの言葉に苦笑いを浮かべる伊藤。

「実は嵯峨隊長が会わせたい人物がいると言うことなので来てくれませんか?」 

 思い当たる相手が想像できず、クリスは当惑した。難民や胡州海軍の施設である別所で十分クリスは衝撃を受けていた。それを上回る人物らしいと思うと心当たりが無かった。

「あの嵯峨さんがですか?」 

「行ってこいよ、俺はしばらく写真を取る」 

 ハワードはフィルムの交換をしながらクリスに告げた。

「そうか、じゃあ伊藤中尉、お願いします」 

 ようやく息を整えた隼は愛想笑いをするとそのまま本部へと歩き出した。本部の前では北部への出発を前にしてシャムに礼をしている親子連れの姿が見えた。彼らから見ても、黙って隣で座っている熊太郎が珍しく見えるらしく、撫でたり引っ張ったりしている。

「こちらです」 

 そんなほほえましい光景も目に入らないといった伊藤だった。彼がいつに無く緊張しているのはすぐに感じ取れた。本部ビルは相変わらず閑散としていた。だが、伊藤が厳しい視線を送る先に居る武装した人民軍の兵士が居るところから見て、人民政府の高官が来ているらしいことがわかった。

「本当に私が来て良かったんですか?」 

 クリスは小声で訪ねるが、伊藤は答えようとはしない。エレベータに乗り込む。

「なんだよあの仰々しい警備。まるで囚人じゃねえか」 

 ゆっくりと上がっていく箱の中で、伊藤は吐き捨てるようにそう言った。その憎たらしげにののしる様子をクリスは不思議に思いながら昇るエレベータの感覚を感じていた。着いたのは最上階のロビー。嵯峨が目の前の点滴を受けている老人と話を続けているのが見えた。

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