遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 27

 爆発音が響いたのはまだ嵯峨達がトラックの荷台で座っている時だった。すでに銃声は町中のいたるところで発せられていた。混乱する共和軍の警戒網を通り過ぎるのはあまりにも容易く、刀の柄を握る焼酎の染みた嵯峨の手に力が入ることは無かった。

 そのまま警備隊を蹴散らして市役所の庁舎に繋がる市議会議場の車止めに停まったトラック。市庁舎から飛び出してきた共和軍の兵士達がすぐさまこれを止めようと駆け寄るが、鈍いサウンドサプレッサーつきのサブマシンガンの発射音が彼らの言葉を消し去った。荷台から黒尽くめの嵯峨の直参の隊員が降り立っていく。嵯峨もまた刀に手を伸ばしながらその後ろに続く。

 議場の入り口に立つ警備兵はすでに胸部に二三発の直撃弾を食らって虫の息だった。彼らの守る議場入り口の鍵をポイントマンの小柄な男の手のショットガンが破壊する。ようやく異変に気づいた守備部隊が彼らのトラックを包囲した時には嵯峨の率いる突入部隊は市役所庁舎に向かう渡り廊下への侵入を開始していた。

 目の前に現れた人物にはすべて隊員の7.62ミリ弾が叩き込まれた。そして隊員は一つ一つの部屋をクリアリングしながら進む。人影を見つけるたびに、手榴弾が投げ込まれ、一斉掃射が浴びせられる。

 嵯峨は的確にターゲットに向かう部下達の姿を満足げに眺めながら、タバコに火を点した。部隊は階段に突き当たると、予定された脱出路確保のために下に向かう部隊とエスコバルの暗殺のために上に上がる部隊に別れて進む。階段の上からようやく掃射が始まり嵯峨の部下達は黙って目だし帽から覘く瞳で嵯峨を見上げた。

「田舎の特殊部隊が動き出したみてえだな」 

 嵯峨は相手がエスコバル暗殺部隊だと確信すると先頭に立って、ようやく愛刀『長船兼光』を抜いた。エスコバルご自慢のバレンシア機関の兵士も初動が遅れたとは言え的確な反撃を始めているのを嵯峨は感じていた。上にへの階段を登る嵯峨の耳元にも、激しい銃撃戦の音が響いてくる。四階の制圧のために三名の部隊員を残すと、そのまま嵯峨は四人の下士官を率いて最上階の五階へと駆け上がった。

 何も無い空間にアサルトライフルのマズルフラッシュが浮かび、嵯峨の手前の壁に弾痕が記される。

「おい、光学迷彩かよ。やっぱり税金で装備そろえている連中はやることが違うねえ」 

 タバコをくゆらせながら嵯峨はそう漏らした。すぐさま彼はハンドサインを送る。最後尾につけていたグレネードランチャー射撃手が、ちかちかと光るマズルフラッシュの中央に対人榴弾を打ち込んだ。

 爆風が廊下を包み、煙が廊下に立ち込めた。すぐにその中に内臓を撒き散らして呻く敵兵が転がっているのが目に入った。走り出したサウンドサプレッサー付きの拳銃を持った嵯峨の突入部隊のポイントマンがもだえ苦しむ敵兵の頭にとどめの銃弾を撃ち込む。

「お前等はここで待て。後は俺の仕事だ」 

 嵯峨はそう言うと市長室に繋がる狭い廊下を歩き始めた。

 ゆっくりと特殊作戦時に愛用の地下足袋のおかげで音も立てずに歩いていく嵯峨。市長室の扉が開き、飛び出してくるバレンシア機関の兵士だが、嵯峨の手に握られた刀はその胴体にぶち当たり、そのまま防弾チョッキごと先頭の兵士を二つに裂いていた。もう一人の男が銃口を嵯峨に向けようとするが、男を引き裂いた嵯峨の刀の切っ先がまるで当然とでも言うように男の喉笛に突き刺さり、大量の返り血を嵯峨に浴びせて息絶える。

「もう終わりですかね」 

 嵯峨はそのまま引き抜いた刀を左肩に担いで市長室に入っていく。目の前で拳銃を机の上に置いたままじっと嵯峨の顔を見つめるエスコバル大佐がいた。

「やはり……来たのか」 

 そう言ってうっすらと恐怖をまとった視線を嵯峨に送るエスコバルを見て、嵯峨は立ち止まった。

「いつかはこうなる。あんたもわかっていたんじゃないですか?」 

 頬についた返り血を拭いながら嵯峨は微笑む。そんな嵯峨にエスコバルはただ引きつった笑みを浮かべるだけだった。

「何が……目的だ……金か?それとも……」 

 エスコバルはそう言うと執務机から立ち上がった。手に刀を握ったままソファーに腰掛けて灰皿にタバコのフィルターを押し付ける嵯峨。その正面に膝が笑っているのを悟られまいと言うように静かに腰掛ける。

「それにしてもアレですね。あんたの部下達。あいつ等が遼南最強とは……」 

 嵯峨はそのまま利き手ではない右手で胸のポケットからタバコを取り出す。左手にはまだ血を滴らせる太刀が握られていた。

「そうだ……君の部隊は最強だからな……」 

 そう言うとエスコバルも吸いかけの葉巻を取り出すと震える手を伸ばして机の上のライターで火をつける。そのままエスコバルからライターを受け取った嵯峨も新しくくわえたタバコに火を点した。

「終わったんだろ?私の部隊を無力化した今、君は目的を果たしたんだ……」 

 引きつった笑みを浮かべるエスコバルを見て嵯峨は大きなため息をついた。抜かれたままの剣からはバレンシア機関の隊員の血が流れ落ちている。憲兵隊の隊長として、混成連隊の殿として、そして今は軍閥の首魁として、何人の血をコイツは吸ってきたのだろう?そんな疑問が頭をよぎって、嵯峨は乾いた笑みを浮かべた。

「確かにあんたの部下は良くやったと思いますよ。米軍の情報支援も無い、前線を知らない将軍達は自分の私腹を肥やすことにしか関心が無い……」 

 そこで大きくタバコの煙を吸い込んだ嵯峨。その目の前のエスコバルの膝は完全に制御を離れて迫り来る恐怖の時を感じつつ震えていた。

「あんたの同僚達は北天戦の敗北からずっと亡命後の生活設計ばかりを頭に描いている。それじゃあ戦争にはなりませんわな」 

 嵯峨の右手のタバコの灰が床に零れ落ちる。

「もう勝敗は決まったんだ。これ以上の犠牲は無駄だと思わないのか?」 

 そう言ってエスコバルは立ち上がった。そしてそのまま彼は執務机に置かれた拳銃を手に取る。

「無駄と言う言葉?知りませんか?」 

 自分に向けられた銃口に嵯峨は大きくため息をついた。それを見つめるエスコバルの瞳は弱弱しく光った。そして立ち上がる嵯峨。

「立つな!」 

 拳銃を持つ手が震えていた。嵯峨はただ立ち上がると静かに握った刀をゆっくりと振り上げた。

「来るな!」 

 エスコバルの右手に力が入る。察した嵯峨はそのまま床に伏せて大きく刀を後ろに構える。銃声が響いた瞬間、エスコバルの右手は拳銃を握ったまま転がっていた。こもったような銃の発射音に警戒にあたっていた抜刀隊の黒ずくめの兵士が二人飛び込んできた。

 嵯峨はそちらを一瞥して手で発砲を止めさせる。右手が無くなったエスコバルの表情がさらに引きつる。

「これなら正当防衛ですかね……ああ、過剰防衛か」 

 そう言うと嵯峨は二の太刀でエスコバルを袈裟懸けに斬って捨てた。

 嵯峨は大きくため息をついた。その人民軍の佐官の制服はどす黒い血を滴らせていた。一息、二息。しばらく立ち尽くしたあと、右腕の袖に剣の刃を挟んで血を拭い去る。

「楠木、終わったぜ」 

 そのまま左手の小型通信機に嵯峨が語りかける。

「撤収準備は順調に進んでいます。制圧射撃をしていた支援部隊の連中から順次引き上げを開始しています」 

 楠木の感情を殺した声に静かに嵯峨は頷いた。

「全く、権力なんて持ったところで疲れるだけだって言うのにな」 

 そう言いつつ嵯峨は静かに階段を降り始めた。彼を追い抜いて降りていく部下達。時折、敵の残党に遭遇するらしく、銃声が断続的に響いている。

 嵯峨は吸い口の近くまで火の回ったタバコを投げ捨ててもみ消す。

「俺の仕事はここまでだ。シンの旦那はどう動くかな」 

 彼の頬に抑えがたいとでも言うような笑みが浮かんでいた。

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