遼州戦記 播州愚連隊 動乱群像録 5

 胡州帝国海軍省の地下の会議室。主に爆撃などに備えてのシェルターの機能も兼ねているこの部屋に集まった若手の将校達の顔ぶれに明石は圧倒されていた。
 西園寺派でもその側近の赤松准将の直属の部下であると言うことで、明石達はこの『私的な』と冠されているがどう見ても政治的な色に染まりそうな会議の演壇の前、最前列に陣取ることが出来た。海軍では勢いの無い烏丸派は入り口のあたりで席にあぶれて、立ったままこの胡州の重鎮の言葉を聞こうと背伸びまでしていた。
「おう、ずいぶんと元気なのがいるじゃないか」 
 決して狭くは無い会議室に現れた白髪の老紳士は熱気で蒸し暑さすら感じる会議室を見渡すとその小柄な体に似合わない大声を響かせた。下座で拍手が起きると、それは次第に伝染して部屋を覆いつくした。
「お、福原寺の坊主がいるのか?どうした、今日は俺の通夜でもやるのか?」 
 明石の剃り上げられた頭を見て老紳士、保科家春一代公爵は高らかに独特の濁りがある声で笑う。周りのSPが明石をにらみつけているのを見て、明石は少しばかり緊張するのを感じていた。
「静粛にしたまえ!」 
 ざわめく若手の海軍将校達を前に一人の海軍准将の襟章が目に付く狐目の男が叫んだ。明石は周りの士官達を眺めてみた。明らかに明石の周りの西園寺派の士官達はその海軍准将、清原和人(きよはらかずと)参謀局次長を敵意の目で見ているのが分かった。
 保科家春の海軍での活動をすべて掌握していると言うこの高級将校の噂は明石も聞いていた。どちらかと言えば事務屋として定評のある清原准将は前線を支える指揮官の進路に進む将校には甚だ評判が悪かった。先の大戦で保科内閣による休戦条約締結までの物資管理を徹底して休戦まで戦線を維持できる補給計画の立案を行うなど、切れ者であることは誰もが認めたが、その才能を鼻にかけた人柄は海軍幹部からも疎まれるところがあった。
 席についてマイクを握ろうとする保科の前に置かれた水をコップに注ぎ差し出す清原。
「まるで、召使だな」 
 明石の隣に座っていた魚住がわざと壇上の保科と清原に聞こえるように叫ぶ。西園寺派の将校達が失笑を清原に与える。だが、まるで気にする風でもなく清原はそのままSP達の後ろに陣取って会議室に顔をそろえている若手の海軍将校達をにらみつけた。その切れ長の目ににらまれて、それまで笑っていた士官達が沈黙する。
「どうやら、この部屋には人を見た目で判断する人間がいるようだな。実に残念だ」 
 保科の第一声に後ろの立見席から拍手が起きる。前列に陣取る西園寺派の士官達がその拍手の方を振り返るのを見て保科は興味深げに台に立ててあったマイクを手に取り話を続けた。
「諸君の苦心については私も理解しているつもりだ。兵士の士気は下がるばかり、装備や装備は老朽化し、そして自分の給料も上がる見込みが無い。まあ、私も給金は今年も国庫に返上になりそうだがな」 
 その言葉に会議室の中央から後ろの士官達が拍手をする。大河内派と嵯峨派の士官も当然この議場には入場しているはずで、明石はこの状況を楽しむようにして壇上から見下ろしている小男がどういう持論を展開するのか確かめようとその大きな目玉で演台の上を見据えていた。
「なんでこんな老人にこれほどの若い将来ある人達から声がかかるのかは分からないが、とりあえず私の発言には期待しないで欲しい。今の胡州の窮状は私が何かを言って変わる状況じゃないんだ」 
 そう言い切って保科は聴衆である青年士官達を見回した。前列を占める西園寺派の将校は頷き、後ろに立ち並ぶ烏丸派の将校は言葉を飲み込む。
「だが、諸君等に希望を託す者として正直この海軍の状況は情けないものだと言わせてもらおう。国の存亡にかかわる状況で派閥争いにうつつを抜かす輩がこうして若者を先導すると言うのは非常に嘆かわしいものだ」 
「そうだ!」 
 立見席から声が飛んだ、すぐに前列からはその声に向けて野次が飛ぶ。そのまま会議室は騒然とした。振り向いて野次馬のような笑みを浮かべている魚住がいる。今にもその野次合戦に参加しそうな彼を何とか明石は押しとどめて座らせた。
 最前列でのこんなやり取りに背後に下がっていた清原がマイクに近づいてそれに手を伸ばす。
「止めたまえ!見苦しい!君等には誇りが無いのか!」 
 清原が叫ぶ。さらに西園寺派の将校が壇上の清原に野次を飛ばし、それに同調するように大河内派や嵯峨派の将校からも野次が飛んだ。
「黙りたまえ!君達は……」 
 そのまま保科の隣でマイクを握り締める清原を老人は押し止めた。そして黙り込む。しばらく野次の応酬が繰り広げられたが、黙ってその様子を見つめている保科の姿に次第に騒ぎは静まっていく。
「君達は何をしたいんだね。内戦かね、それともクーデターか?君達には義務があるはずだ。一つはこの国を守ること、そしてこの国のすべての住民の安全を確保すること。これが自分の役目でないと言うのならばここを去ってもらったほうが良い。出来ればそのまま軍から身を引いてもらいたい」 
 その言葉に数名の西園寺派の将校が席を立った。立見席でも数名が失望した目をして廊下へ消えていく。
「若いのは良いな。実に正直だ。枢密院の石頭の貴族達につめの垢を煎じて飲ませたいくらいだ」 
 乾いた笑いが聴衆に広がる。明石はそこで保科と言うこの国のカリスマの瞳が光るのを見た。
「今の危機的な状況の中。自己の保身の為の貴族制度の維持。これを本願にしている政治家がいる。そして軍内部にもその勢力は多い」 
 保科はそう言って後ろに立っている清原の顔を見る。表情を変えない清原を一瞥して保科はそのままマイクを握る。まばらな拍手が前列に広がる。魚住や黒田もそんな西園寺派の将校達と一緒に拍手をしていた。その様子に呆れたように明石はただ目を壇上の老人に向けた。
「だが貴族制なんていうものは所詮システムでしかない。それを優先して無益に他国との関係を悪化させるのは正直無駄な努力だ」 
「そうだ!」 
 今度は前列から声が飛んだ。立見席で再び囁きあう声が響くが保科老人は話を止めることが無かった。
「どんな社会も同じ地位に同じ人間がいれば腐敗するものだ。常に流動する社会が理想だと私は思っている。だが、それは難しい。特にわが国の貴族制度がそれを阻害していることは間違いない」 
 後ろの囁き声がさらに増すのが最前列の明石からも分かった。
「ただここで留意しなければならないのはわが国は現在孤立していると言う事実だ。既存の制度を完全に破壊して新しい制度を構築する。言葉で言うのは簡単だが、実際それを実行しようとすれば長期の政治的空白を生むことになる」 
 その言葉で今度は前列の西園寺派の将校が囁きあいをはじめる。だが、明石はこれまでの話し方が明らかに両派の将校を自分の話に集中させるための前振りだと思って次の言葉をつむごうとする保科の黒い目を見つめていた。
 壇上で保科老人は待っていた。壇上でマイクを手に一言も発せずざわめく聴衆を眺めていた。
 西園寺派と烏丸派の将校達はしばらく仲間内で話を続けていたが、現在この国を動かしている老人の沈黙を察して次第に声を潜めていった。
「現在。首相は烏丸君が勤めている。彼は実に才気あふれる人材だ」 
 その言葉に再び部屋が仲間で議論しあう状況に包まれる。だが、再び沈黙した老人の言葉を聞きだそうとすぐに静まった。
「だが、あえて言えば彼は正直度量が小さい。身内のことにばかり執着しすぎる」 
「気が小さいの間違いじゃないですか!」 
 明石の隣の魚住が叫ぶが、そこに奥で立っている清原が切れ長の目から視線を魚住に向ける。身を乗り出して睨み返す魚住。だが再び保科老人は黙り込んだ。
 沈黙。清原を挑発するような表情を浮かべていた魚住も次第に自分が浮いていることに気づいて黙り込む。そしてそれを確認すると老人は再びマイクを握り締めた。
「西園寺君は野党をまとめているが、彼の野心は私も鼻につくところだ。それが才能の裏書のあるものだとしてもどうにも胡散臭いところがある」 
 そう言ってまた沈黙する老人。彼の話術にはまったように聴衆の若手将校はじっと壇上の老人の言葉を聞くことに決めたように黙り込んだ。明石はそれでこの人物が只者ではないことを実感していた。
「野心に見合う実力のある人物を登用する。私は常にそう烏丸君に頼んではいるが、烏丸君はどうもそれを聞くつもりは無いようだ。少しは度量を見せろと言っているのだがね」 
 その言葉に西園寺派の将校は部屋の後ろに立って話を聞いている烏丸派の将校達に振り向く。
「だが、これでは政局は混乱するばかりだ。西園寺君の弟君の武陽帝、君達が言うとしたら嵯峨惟基陸軍大佐だが彼は的確に遼州諸国をまとめて遼州同盟を立ち上げた。東和、遼北、大麗、西モスレム。加盟を急ぐ動きが我々の頭越しに行われている」 
 最新のニュース。多くの士官達も同じようにこの国際政治の動きに目を向けているところだった。そして、その動きを左右しかねない胡州の重鎮であるこの老人の言葉に耳を貸そうとしていた。
「あいにく彼は胡州に同盟加入の話を持ってきてはいない。実に残念な話だ」 
 それまで黙っていた聴衆が再びざわめき始める。同盟設立に向けて水面下で活発な動きがあると知っていた将校達だが、その動きが胡州に及んでいないとこの国の指導的立場の人間の言葉で確認するとその事実はそれぞれの思惑や立場に変換されさまざまな言葉で語られ始めた。
 明石は隣の魚住が黒田に耳打ちしているのを見たが、気にせず再び壇上の老人を見た。
「胡州は遼州独立の旗を掲げた伝統がある国だ。私はその歴史に誇りに思っている。そして今、遼州が大きな変革期にあると言うのに、そこから突き放された。これは実に残念なことだと言わざるを得ない」 
 会議室の後ろの立見席の雑談がさらに大きくなる。同盟加盟により地球の脅威を押さえ込みたい、そして地球から課せられた貴族制の廃止等の改革案を反故にしたい烏丸派。ざわめきの原因を想像しながら明石はただ黙っていた。
「しかし、我々にも問題があると言うことがわかるな、ここに立ってみると。君達は同じ派閥の言葉で話すことしか出来ないほど主義主張に凝り固まっている。実に残念だ」 
 そう言うと保科老人はマイクを置いてしまった。驚いて後ろの清原が歩み寄る。
 老人は入り口で清原に止められて小声で話し合い始めた。明らかに焦ってまくし立てる清原の声にただ頷く保科老人。
「あなたしかいないんですよ!国をまとめられるのは!」 
 部屋の中央の嵯峨派や大河内派の士官の一人が叫ぶ。手拍子が始まる。それははじめは中間的な両派の士官だけのものだったが、次第に前列に陣取る西園寺派や立見席の烏丸派まで広がった。
 それを見て照れたように頭を掻くと保科老人は再び演台に戻った。
「それなら君達が態度で示せ!」 
 そう叫んで保科老人はSPを連れて退出した。それに続き明石達を一にらみして立ち去る清原准将。会議室は騒然とした。
「出るぞ」
 それまで一人黙り込んでいた別所がそう言った。明石も立ち上がり、あちこちで怒鳴りあいを始めた若手将校達を押しのけてそのまま会議室を出た。
「なんだよ。結局ただの説教じゃないか」 
 魚住の言葉に黒田も頷く。
「そうやろか?少なくとも同盟の話が胡州抜きで進んどる言うのが分かっただけで収穫やと……」 
 そんなことを言っている明石の視界に一人の陸軍大佐の姿が目に入った。
「安東大佐?」 
 別所が足を止める。
 安東貞盛。彼は赤いムカデの描かれた胡州軍制式アサルト・モジュール97式を駆り、奇襲と伏兵で進出を急ぐ連合軍をアステロイドベルトで翻弄した。その戦いは『胡州の侍』と呼ばれて、終戦後は彼の存在を不快に思った連合国への配慮のため事実上の軟禁生活を送っていた男だった。
 その伝説の名将が今目の前で保科老人と清原准将と雑談をしている。
「動くな。これは」 
 それだけ言うと別所はその光景を眺めている明石のわき腹をつついた。
「どういうこっちゃ?安東はんは……」 
「先月、烏丸首相は敗戦時の追放リストの見直しを行った。その中に安東さんの名前もあったと言うだけのことだ」 
 そう言う別所の声が震えているのを明石は聞き逃さなかった。
「これで陸軍の烏丸派の連中の意気が上がるなあ」 
 魚住はそう言いながらちらちらと安東大佐のいた辺りを振り返る。黒田もそれにならった。
「なに、軟禁されていたなまくらなど私達の敵じゃないはずだ」 
 自信をこめた声で黒田がそう言った。
「あれやな、保科はんももう現状は止められへんいうのがよう分かったわ。胡州はいつ火が入ってもおかしくない火薬庫になった。そう言うことやな」 
 明石の言葉に悲しげな表情で振り返った別所。そして彼はその言葉に頷くことしかできなかった。

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