遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 23

 本部は主を失ったと言うのに変わらぬ忙しさだった。事務員達はモニターに映る北兼軍本隊のオペレーターに罵声を浴びせかけ。あわただしく主計将校が難民に支給した物資の伝票の確認を行っている。

「要人略取戦……いいところに目をつけたな」 

 カリカリとした本部の雰囲気に気おされそうになるクリスにそう言ったのはカメラを肩から提げたハワードだった。

「すべては予定の上だったんだろうな、多少の修正があったにしろ」 

 クリスはそう言うとエレベータに乗る。

「待ってください!乗りますから」 

 そう言ってかけてきたのは御子神だった。

「中尉、そんなに急いで何かあったんですか?」 

 クリスのその言葉に肩で息をしながらしばらく言葉を返せない御子神。

「明日の出撃の時間が決まったので……」 

 そう言うと御子神は一枚の紙切れを出した。動き出すエレベータ。御子神はそのまま背中を壁に預ける。

「02:00時出撃ですか。ずいぶんと急な話ですね」 

 クリスの言葉に御子神はにやりと笑う。

「先鋒はセニアさんの小隊です」 

 そのままエレベータは食堂についていた。難民対策で休業状態だった食堂にはようやく普段の日常が戻り、忙しく働く炊事班員が動き回る。そんな中、窓際のテーブルでセニアとレム、ルーラが食事を始めていた。

「ずいぶん早いですね!」 

 そう言って黙々と食事をしている女性パイロットの群れにレンズを向けるハワード。

「撮るなら綺麗に撮ってくださいね」 

 そう言って白米を口に運ぶレム。セニアはデザートのプリンをサジですくっている。

「先鋒には便乗できる機体はありますか?」 

 クリスの言葉に御子神は呆れたような視線を送る。

「シャムもセニアさんの小隊付きですよ」

 食堂のカウンターでトレーをつかんだクリスは周りを眺めてみた。パイロット以外で食堂にいる兵士はいない。

「歩兵部隊は動かないんですか?」 

 その言葉に御子神は厨房を覗いていた目をクリスに向けた。

「それなんですが、楠木さんが隊長の方について行っちゃったので……」 

 そこまで言って御子神がはっとした顔になる。彼もまた伝説の存在として『人斬り新三』と呼ばれた嵯峨を知る世代だった。

「別にそのくらい予想がついてますから。バルガス・エスコバルとその直下のバレンシア機関潰しですね」

 そう言うクリスに曖昧な笑みを浮かべる御子神。クリスは黙って部屋を見回す。そこには出撃前の割には緊張感が欠けているようにも見えた。

「遅いっすよ!御子神の旦那!」 

 そう言いながら和風ハンバーグステーキを食べているのはレムだった。明華は静かにラーメンの汁をすすっている。隣のルーラとセニアは餃子定食を食べていた。

「じゃあ僕はカレーにするかな……」 

 そう言う御子神の向こう側に一人ライスに卵スープをかけたものを食べているシンがいた。

「何を食べているんですか?」 

 呆れたように尋ねる御子神をにらみつけるシン。

「ムハマンドの預言書で決められたもの以外口にできるわけないだろ?それに今は聖戦に向かうために取っている力だ。食事とは言わない」 

 吐きすてるようにそう言うと、シンは味が薄いのかテーブルの上の醤油をご飯にかける。

「シン少尉は敬虔なイスラム教徒なので……」 

 隣でカツカレーを食べているジェナンが言葉を添える。隣でボルシチをスプーンですくいながらライラが頷く。

「でも卵スープ……」

「私はこれが好きなんです!」 

 突っ込むクリスにシンはそう言い切った。

「いいじゃないか何を食べようが。俺がクリスの前に組んでたライターはユダヤ教徒だったけど、せっかく潜入した九州の右翼民兵組織のキャンプで出されたカニ料理にぼろくそ言ってそのままアメリカ兵に突き出されたこともあるぞ」 

 ハワードはそう言いながら受付でカレーうどんの食券を買う。

「俺はビーフシチュー……」 

 クリスは食券売りの事務官の女性に声をかけた。

「それはダミーです」 

 受付の若い女性事務官が答える。

「じゃあミートソーススパゲティー……」

「それもダミーです」

 クリスは唖然とした。

「じゃあ何でこんなにメニューがあるんですか?」 

「隊長の指示でダミーのメニューをつけたほうがなんとなくカッコいいということで……」 

 そう言う事務官に肩を落とすクリス。

「じゃあ卓袱うどんで」 

 そう言う御子神から遼北元を受け取ると事務官はプラスチックの食券を渡した。冗談で言ったメニューに淡々と頷いて食券を渡す事務員。

「なんでそんなのがあるんですか!」 

 クリスの言葉に事務官はもう答えるのをやめたと言うように無視を決め込んだ。

「それは隊長の趣味じゃないですか?」 

 苦笑いを浮かべながら食券を持って歩いていく御子神。

「なんで卓袱うどん?」 

 口元を引きつらせるクリスは食券を持ってどんぶりモノコーナーに向かう。

「はい!カレーうどんお待ち!」 

 そう言って炊事班の女性からどんぶりを受け取るハワード。

「悪いね」 

 そう言うとクリスを置いてそそくさとパイロット達のテーブルに座るハワード。

「じゃあお先に」

 卓袱うどんを受け取った御子神が去っていく。

「はいカレーお待ち」 

 皿を受け取ったクリスはそのまま御子神の隣の席に座った。

「しかし、君達も何も知らされていないんだね」 

 クリスの言葉に反応したのはシンだけだった。

「おそらく隊長は南部基地には現れないでしょうね。胡州公安憲兵隊。要人略取作戦を本領とする特殊部隊だ。普通に考えれば狙いは一つ」 

 明華が静かに汁をすすっている。

「胡州帝国遼南方面公安憲兵隊。通称『嵯峨抜刀隊』か……」 

 カレーうどんをすするハワード。

「その多くが戦争犯罪人として今でも追われる身分ですからね。まあ隊長の荘園でかくまっていたんじゃないですか?」 

 淡々と卓袱うどんを食べる御子神。胡州帝国の貴族制を支えている『荘園』制度。移民の流入によるコロニーの増設の資金を出した胡州有力者が居住民への徴税を胡州政府から委託されたことをきっかけとして始まった制度。西園寺、大河内、嵯峨、烏丸の四大公以下、800諸侯と呼ばれる貴族達の荘園での実権は先の敗戦でも失われることは無かった。特に嵯峨家は中小のコロニーを含めると125のコロニーの二億の民を養う大貴族である。先の大戦の戦争犯罪人をかくまうことくらい造作も無いだろうとクリスは思った。

「しかし君達を取材してわからないことが一つあるんだ」 

 クリスの言葉にセニアが顔を上げる。

「あの御仁がなぜ遼南にこだわるんだ?あの人にはこの土地には恨みしか持っていないはずだ。彼を追放し、泥を被るような真似を強要され、そして勝ち目の無い戦いに放り込まれたこの土地で何をしようというんだ?」 

 クリスのその問いに答えようとする者はいなかった。

「あの人は、なにか遠くを見ているんじゃないですか?」 

 しばらくの沈黙の後、御子神は口を開いた。

「遠く?」 

 クリスの言葉に御子神はしばらく考えた後、言葉を選びながら話し始めた。

「遼州人と地球人。あの人はその力の差は前の戦争で嫌と言うほどわかったはずです。だけど、同じ意思を持つ人類としてどう共存していくか。それを考えて……」 

「まさかそんな善人ですかねえあの御仁は」 

 ハワードの言葉に視線が彼に集中する。さすがに言い過ぎたと思った彼は視線を落としてそのまま食事を続けた。

「共存の理想系は東和だ。あそこはほとんどは遼州系の住民のはずだが、この二百年、国が揺らいだことは無い武装中立の強い意志と的確な情報判断の結果だろう」 

 そう言ったのはシンだった。ようやく奇妙な食材を飲み下して安心したように机の上にあったやかんから番茶を注いでいる。

「そんなことを考えているようには見えないんですがね」 

 そんなクリスの言葉にまた場が静けさに包まれる。

「御子神ちゃんは親へのあてつけってはっきりわかるからいいけど、あのおっさんはそんなことを言える年でもないし」 

 レムが冷やかすような視線で御子神を眺めている。

「レム。あのおっさんとは聞き捨てならんな」 

 そう言って出てきたのは飯岡だった。影の方で食事を済ませたようで手には缶コーヒーが握られている。

「じゃあ飯岡さんはどう考えるんですか?」 

 全員の視線を浴びて一瞬飯岡は怯んだ。

「強きを憎み、弱きを守る。それが胡州侍の矜持だ。俺はそのためにここに来た。あの人も同じく遼南にやってきた。確かに身一つで駆けつけた平民上がりの俺に対してあのお方は殿上人だ。当然軍閥の一つや二つ仕切っていてもおかしいことじゃあるまい?」 

 そう言い切る飯岡だが、クリスはその言葉に納得できなかった。正確に言えば、その場にいる誰一人納得していない。

「胡州も波乱含みだからな。ある意味自分の力量でどうにかなる遼南の方が、しがらみだらけの胡州よりは御しやすかったと言うことじゃないですか?」 

 御子神のそんな一言が一同の心の中に滞留する。クリスもそれが一番あの読めない御仁の考えに近いだろうと納得した。そのようにして箸を進めながらのやり取りはあまり意味があるものではなかった。クリスはそう思いながら周りを見渡した。

「そう言えばシャムはどうしたんですか?」 

 クリスの言葉に御子神はすぐに答えた。

「ああ、彼女なら食べ終わってますよ。どうせいつもどおり墓参りでしょう」 

 御子神はそう言うとやかんを引き寄せて番茶を湯飲みに注いだ。

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