遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 25

「入るよ」 

 そう言いながらクリスは一つの廃屋の崩れかけた扉を開いた。その中にはシャムと熊太郎が寄り添うように座っていた。天井は崩れ、空が見える。シャムはそんな空を見上げるわけでもなく呆然とただ座っていた。

「どうしたんだ。元気が無いじゃないか?」 

 そう言うクリスに向けて笑いかけてくる笑顔が痛々しく感じて、彼は思わず天を見上げた。次第に夕焼け色に染まり始めた空が、崩れた屋根の合い間から見ることができる。光っているのは今の時間なら第四惑星胡州だろう。

「明日なんだね」 

 シャムはそう言うと熊太郎の喉を撫でてやった。気持ちいいと言うように熊太郎が目を細める。

「戦力的にはかなり拮抗しているからね。しかも相手は伝説の傭兵吉田俊平少佐だ……」 

「わかってるよ。みんな黙ってるけど、明日はたくさん人が死ぬんだよ」 

 悲しげな瞳がクリスを捉えた。そこにあるのは恐怖ではなく不安だった。かつての友達のように部隊の隊員達が死の危険に晒されることになる。その事実が彼女の表情を曇らせているように見えた。

「確かにそうだろうね。南部基地を落とされれば、それまで静観していた反政府組織やゲリラが一斉に雪崩を打って人民軍側に寝返るだろう。吉田少佐も馬鹿じゃない。それなりの戦力を用意してくるはずだ」 

 そんな言葉に再びシャムは下を向いてしまった。

「お話できないのかな……。その吉田って人」 

 静かに、熊太郎に話しかけるようにシャムはつぶやいた。ぽつりと呟いた言葉。その言葉にクリスは少しばかり驚いた。

 戦場で少年少女の兵士が戦う様をクリスも何度か見てきた。追い詰められた反政府ゲリラなどにとって彼等の活躍は死活問題と言えるのも知っていた。そして彼等は憎悪と狂気を植え付けられて敵に突撃して死んでいくのも何度も見つめてきていた。

 だがシャムは明らかに彼等より冷静に見えた。憎むべき敵を倒すと言う大義で動く同情に値する狂気は彼女とは無縁だった。

「これが戦争だ。今なら引き返せる。なんなら俺が……」 

「嫌だよ逃げるのは!」 

 クリスの言葉をさえぎるようにシャムは叫んだ。

「アタシがいなくても誰かが代わりに戦うんだから同じことだもん!だから逃げないんだ!それに……」 

「騎士は敵に後ろを見せるものではない……て言うんでしょ?」 

 クリスは後ろからの女性の声振り返った。そこに立っていたのは明華だった。

「私もね、いろいろ調べたのよシャムちゃんのこと」 

 そう言うと彼女は熊太郎のそばに座ってその頭を撫でた。

「遼南帝国初代皇帝、ムジャンタ・カオラの下に集った七人の騎士。彼らは地球から捨てられた私達の先祖の自由のために立ち上がり戦った」 

 涙を拭きながら明華を見つめるシャム。

「その中にシャムラードと名乗る少女がいた。彼女は戦いを嫌いながらも剣を振るい敵を蹴散らし、そして胡州での大河内家の義勇軍が決起するまで遼南を根城にゲリラ戦を続けた」 

「明華さん、それは伝説の世界の話じゃないんですか?」 

 クリスは明華の言葉に飲まれながら口を開いた。

「ムジャンタ・カオラと七人の騎士が遼州独立戦争の終結後、どう言う生き方をしたのかまるでわかっていないのは事実でしょ?」 

 そう言って明華はクリスを見上げた。

「そんな馬鹿な!もう二百年以上前の話じゃないですか!」 

 クリスの言葉を無視するように明華はそのままうつむいているシャムの肩に手をおいた。

「ホプキンスさんも気付いているでしょ?彼女の話を信じるとすればシャムは四十過ぎのオバサンと言う結果になるじゃないの。二、三百年と言う時間を彼女があの森で過ごしていたとしても別に不思議がることじゃないでしょ?」 

 そう言いながら振り向く明華にクリスは言葉を返せなかった。この村が襲撃されてから二十年以上の年月が経っていることは間違いなかった。そしてそうなれば目の前の少女の年齢も計算できなくなってくる。

「二人には黙ってて悪かったけど、内緒でシャムちゃんの体組織の鑑定させてもらったのよ」

 立ち上がると明華は何事も無いように話し始めた。

「結果から言えば、彼女の細胞は老化も変性も起こさない奇妙なものだったのよ。つまりシャムちゃんは年をとらないってことが分かったの」 

 クリスは完全に打ちのめされた。シャムは明華の言葉の意味がわからないようでぼんやりと明華を見上げている。

「遼州は超古代文明の生体兵器の実験場だと言う仮説も聞いたことあるでしょ?兵器なら耐用年数が長ければ長いほど良いわよね。当然、戦争には熟練した軍人が必要になるから、この子みたいに不老不死であれば言うことはない……」 

 シャムが不思議そうに見つめてくるのに答えるようにして笑みを浮かべる明華。

「不老不死ねえ。信じがたい話だな」 

 クリスはそう言うと立ち上がった。

「第一、もしそうだとしたらもう地球文明がここに根ざして三百年だ。噂や自称三百越えの人物の話は聞いた事があるが、体細胞分析でことごとく否定されているって聞いてるけどな」 

 そんなクリスの言葉を聞いても明華はただ微笑みを浮かべるだけだった。

「私も今でも信じていないわよ。ただ、シャムちゃんはここにいる。そして二十五年前の北兼崩れの際に北兼側として滅ぼされた村で暮らしてきた。間違いなく言えるのはそれくらいのことよ。シャムちゃんの体細胞分析の結果も私が隊長に報告して処分させたわよ。つまらないことに使われたら面倒だしね」 

 明華はそう言うと再びシャムの肩を叩いた。

「今できることをやればいいのよ。確かに暴力でしか物事を測れない時代かもしれないけど、きっとその先にはそうでない未来があるはずだから」 

 そう言って明華はそのまま廃屋から出て行った。

「そうだよね。いつか変えなきゃいけないんだよね」 

 自分に言い聞かせるようにシャムはつぶやいた。クリスは明華の言葉とは関係なく、何者であろうと関係なく、目の前のあどけない少女を見守ることを決意した。

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