「祈り」は「神頼み」とも「願掛け」とも違う

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今日はこのあと、愛宕神社での正式参拝イベントに参加させていただく。

神社への正式参拝は今年になってから定期的にするようにしている。

1月は赤坂氷川神社、2月は神田明神、3月は大阪の住吉大社、そして4月は江島神社と愛宕神社。

来月は日程が合わずイベントには参加できないが、九星気学の最重要日「同会」が4回もあるので、最大吉方位の西の神社で正式参拝したいと思っている。

そして、正式参拝ではない通常の参拝は、今年になってから、カウントミスがなければ毎日続けている。

麻布や鎌倉に滞在しているときは自宅近くの神社に参拝することが多いが、最近ランニングの距離が徐々に延びてきていて、それに伴って行動半径が広くなり、行ける神社が増えて楽しい。

そして旅の期間は旅先の神社にご挨拶回りをすることになる。

先日の名古屋と金沢への出張では、名古屋で3箇所、金沢では7箇所の神社に参拝できた。

で、こうして日々祈り続けているわけだが、一部の方に誤解があるようなので、「祈り」についてちょっと書いておきたい。

僕が毎日神社に参拝していることに対して、「神頼みはみっともない」と言った人がいてビックリした。

その人は、僕が神社で「自分のことを何とかしてくれ」と頼んでいる、と思っていたのだろう。

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立花岳志

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コメント1件

いつも読ませていただきます。
キリスト教の祈りについて気になった所があったのでコメントさせていただきます(クリスチャンなので)。

確かに神に対して罪人であることを認め、許しを貰うではあるけど、キリスト教の祈りはそれだけではありません。
同様に感謝する祈りもあり、自分自身だけでなく、大切な人、全ての人たちへの祈りもあります。
このエッセイを読んだ人がキリスト教の祈りの意味を勘違いしてしまわないかと思ったので、書かせていただきました。

祈りは神頼みと違うというのは同感です。たっちーの祈りに対する深い思いを感じたが良かったです。
ありがとうございました。
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