負け試合でも健全なメンタルを保つには?(野球ファンの人生相談に住職が答えます:再掲)


*某野球ファンサイトに掲載していた人生相談です。当該サイトの閉鎖に伴い作者が再掲します。

負け試合でも健全なメンタルを保つにはどうしたらいいでしょうか?
住職に質問です。わたしは野球観戦が趣味の主婦です。シーズン中は月に2~3試合ほど試合観戦に行くのですが、負け試合の帰りは必ずメンタルが荒れてついついお酒を飲みすぎてしまいます。翌朝の二日酔いで毎回後悔しているのですが、これ以外の発散方法がわかりません! 負け試合でも健全なメンタルを保つにはどうしたらいいでしょうか?(パート主婦のお悩み)


 はい、これは特定のチームの熱狂的なファンにありがちなお悩みかもしれませんね。あ、申し遅れましたが、私は密教系某宗派の僧侶で、関東のとある県で小さな寺の住職をしております、泰源と申します。西武黄金時代の名投手、郭泰源とは特段、関係はございません。以後お見知りおきを。

 さて、拙僧もかつて、もう大昔ですが、高校時代に、関東に住んでおりながら、当時福岡に本拠を置いていたある球団を、尋常でない熱量で応援しておりました。大学の第一志望は無謀にも九州大学に定め、感度のいい中波のラジオを買って福岡の放送局にダイヤルを合わせ、ナイター中継を必死に聞き、試合経過に一喜一憂しておりました。結果、チーム同様、自らの学業成績も低い水準で安定し、まったくの無駄な放熱をしただけで終わりました。

 さあ、今回のご相談ですが、仏教の出発点は、初期の仏典に記されている「一切皆苦(いっさいかいく、人生は思うようにならない)」という観念を知ることから始まります。ここでいう「苦」は、「苦しみ」ではなく、「思い通りにならない状態」と解釈するのが一般的です。その「苦」の代表的なものが「生老病死(しょうろうびょうし)」で、生きること、老いること、病むこと、死ぬこと。これらは自らがコントロールできるものではありません。世の中のすべてのことは、なるようにしかならない。希望したように運ぶものではない。拙僧はこの観念を実践的かつ可視的に理解するために、自分の小遣いで株式投資もしております。

 こんなエピソードをご存知でしょうか。大昔、インドのある村の女性が幼子を亡くし、悲しみに身も心も壊れんばかり。死を受け容れられず、死んだ赤子を抱いて「この子を生き返らせて」と叫んだのです。それを見たお釈迦様は、こう言いました。

「この村の家をまわって、けしの実をもらい、私のところへ持ってきなさい。ただし、これまで一度も死者を出したことのない家のけしの実でなくてはいけない」

 もうおわかりでしょう。身内を喪ったことのない家族など、居ません。悲しみは均等に、すべての人にやってくるのです。もちろん喜びも。

 野球の勝敗もまたしかり。大逆転負け、自滅、大敗、惨敗。これらは長いシーズンの中で、どのチームにも発生するものです。試合の流れを思い出したくもない、スポーツニュースなど1秒も見たくない。そんな時は、ひいきチームがその日敗れた相手チームの、大逆転負け、自滅、大敗、惨敗の試合の映像を動画サイトで探して見る。いや、相手をディスるわけではなく、どんな勝ちも、どんな負けも、あらゆるチームに降りかかっている、という当たり前の事実を再認識するわけです。

 え? うちのチームは負けが多すぎる? 

 心配ご無用。2012年以降ずっとBクラスでいる球団など、どこにもありません。勝ったり負けたりするから野球は面白い。天空からの俯瞰的な視野、すべてを達観するかのような神目線、いや仏目線で、トップアスリートたちの競演を楽しみましょう。彼らのハイレベルな技術とファイティングスピリットに、精一杯の拍手を送りながら。

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