ガリガリと進め

今日、ある事情で外国人とカラオケしたのだけど、どんな歌でも2拍ほど遅れて歌うことに驚いた。デュエットもしてみたのだけど、本当に2拍くらいずれてて、でも最高に気持ち良さそうで、合わせるのが大変だった。
変にリズムを是正しようとすると彼女たちの快感を阻害するような気がして気を使った。

「こんな状態でも楽しめるんだな」という気分で「ヘイジュード」と「ウィーアーザワールド」を歌い切った。

そもそもカラオケの施設なんて無い国から来た人たちなのだから、マイクを持ってオケに合わせて歌うなんて経験が希少なのだ。

だから、僕がその場を提供する(外国人を歓迎する)側として、そのとりあえずその場の快感は彼女のたちに預けないといけないし、比喩として、2拍ずれた状態でも楽しめるという、想定と実態のギャップをカラダに刷り込まなければいけないと思った。

僕がサービス提供者、彼女たちがユーザー。

ユーザーに思いもよらない使われ方をして、でもバーミヤンっぽい何かが脳に分泌されてる状態という機会は希少だ。

史上最高のボールペンを作ったのに、それを耳かきとして使われてしまい、ホーチミンっぽい何かがドバッと出てしまったのだ。

荒削りな成果物に残ったトゲやバリみたいなものが、受け手に受領される瞬間に、何かにぶつかってガリガリっと削れる感覚。

ユーザーがバードマンを分泌してないこともあるから、ガリガリがサービサーにとって心地イイとも限らないし、むしろストレスのほうが多い。

だからガリガリは疲れる。
だからガリガリを避けてコンフォートゾーンに留まろうとする力が働く。それに抗い続けること。

発明物が洗練に近づけば、トゲやバリの処理部は滑らかになり、ガリガリとしたノイズは聞こえなくなるのも当然だが、その音が聞こえないのは、目新しい何かを発明しようとしていない、ということと言えるのだ。

そうか、ドーパミンが正しいのだ。

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