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今までのこととこれからのこと

こんにちは🌞
とても久しぶりに記事を書きます☺️

今回は自己紹介も兼ねて、私の絵描き人生(大げさ?)について書こうかなと思います😌

長いですが、超絶時間のある時でいいので読んでもらえると嬉しいです!

【幼少期】
元々父が絵を描くのが上手で、その影響で「私もこんな風に描きたい!」と思ったところから、私の絵描き人生は始まります。
幼稚園では絵を描くのと外で遊ぶのと半々くらいで遊んでいました。
たくさん描いてスケッチブックを新しくしてもらうのも好きで、余白がありながらも何枚も描いた記憶があります🎨
またブロッコリーの粒々をひとつひとつ描いてみたり、当時好きだったセーラームーンを描いたり、自由にのびのびと描いていました。

【小学生】
相変わらず絵を描くのが好きで、当時すごく上手に描く子の家に行って一緒に描いたり、ポケモンや動物を描いたりしていました。小学5年生の時に仲が良かった近所の子がポケモンのファンアートサイトを紹介してくれ、掲示板やお絵描きBBSでネットの方と交流するようになりました。そこからネットの面白さと世界の広さを知りました。またデジタルイラストを描くようになったのもこの頃からでした。(当時はペンタブがなかったのでマウスで地道に描いてました🙄)

【中学生】
荒れていた学校だったので、クラスでは目立たないように過ごしていました(笑)
当時は絵を描いたりしているとオタク扱いされ、気持ち悪がられる風潮が何となくあったので、学校では見せなくなりました。ただ吹奏楽部に所属していましたが、部活の仲間は漫画好きだったり、絵を描くのが好きな子が多く、よく絵を描いて交換してたりしました。
またプライベートでは自分のポケモンのファンアートサイトを作り、趣味で楽しんでいました。(キリ番とか、掲示板のアイコン描きます企画とか、、懐かしい!)
ペンタブを買ってもらい、本格的にデジタルイラストを描き始めたのもこの頃です。
人を描くのが好きだけど苦手意識がありました、、(特に体、、)

【高校生】
中学の名残からか絵を描くより、休み時間中は友達と話たり別のことをして過ごしてました。
席が近かった身長が同じくらい(私が146cmと小さいので、同じくらいの身長の人がいると勝手に親近感が湧きます笑)の子がアニメが大好きで、その子の薦めでハルヒを見始め、そこからどっぷりアニメとアニソンとボカロの世界へ🧚‍♀️笑
1年の後半からは休み時間や放課後は、仲良かったメンバーがダンス部ということもあり、アニソンの踊ってみたをみんなでしてたりしました(笑) 文化祭も有志でセーラー服着て踊ったり、楽しかったなあ.…💭
また最初調理部に入っていましたが、美術部に興味が出て途中から兼部しました。
そして2年生の時、友達に誘われて美術予備校の体験に行くことに。当時美術系の予備校があることも知らず、こんなところがあるのか!と驚きました。
体験に行き、とても良い刺激になったので、親にお願いして入ることになりました。
そして最初の課題が自画像だったのですが、当時の私は個性を履き違えて、変顔したプリクラ風の自画像に😂(もはや黒歴史、、)
他の子が普通に鏡越しに描いてる中、ある意味目立っていましたが、デッサンなんてまるでした事なかったので、色々指摘されショックを受けました。(自分的には上手く描けていたつもりだったので笑)でも今思うとちゃんと客観視できる人がいるのはとてもありがたい環境だったな、と思います。
その後静物を描いた時も途中から全然描きたくなさすぎて、ただ鉛筆を重ねているだけの作業になっていたり、今思うともっと描けるでしょ!と思うようなところでも集中力切れたり、絵を描くことに飽きたりしていました。でも先生が実際に描いてるのを横で見れたり、入学当時より上手くなっているのを感じていました。
2年生の後期では基礎コースからそれぞれの科に分岐していく形になるため、デザイン科かなーと何となく思っていたところ、一緒に体験に行って入学した高校の友達が、油絵も行ってみたいとのことで一緒に体験に行くことに。
そしたらもう油絵を描くのが楽しくて(笑)
先生も「いいね〜ねちっこいね〜笑(褒め言葉)」と褒めてくれるし、もりもり絵の具を乗せたり表情が変わるのが楽しくて、高校の友達も油絵科に入るとの事で私も一緒に入ることにしました。
しかし油絵科は想像以上にしんどかったです。
今でこそ正解がないからこそ、自分の好きや興味を見つけて試行錯誤しながら作品を作ればよかったと思えますが、当時は先生も言ってることがバラバラだし、自分もどうしたいのかもわからない。周りの子はどんどん評価されたり、自分なりに答えを出しつつある中、とても取り残された気持ちになっていました。(そんな中デッサンやクロッキーは比較的答えが分かりやすいので、好きになっていました)
人体に苦手意識があったので、クロッキーはたくさんしました。それは続けていたポケモンのイラストを描いた時に上達したなと感じたので、効果はあったんだろうな、、と思っています。(今でも描けなくなるとたまにクロッキーしたりしています)
ちなみに余談ですがブルーピリオドという漫画がまさにこの予備校時代の葛藤だったり悩みを的確に表現してるので、読んだこと無くて気になる方はおススメです!!!(突然の宣伝)
結局1番行きたかった藝大に1次は受かったものの、落ちてしまい、受かった別の大学に行くことにしました。

【大学】
大学では最初、絵を売ったお金でチャリティーするというサークルに入り活動していました。
ただ1年の夏に自転車を漕ぎながら、「私、絵描くのまだ頑張ってないじゃん。予備校の時なんでもっと必死になって描かなかったんだろう。」と後悔がいきなり押し寄せてきて、泣きながら帰り、その日に仮面浪人を決意しました。(青春ですね)
決意してからは平日は毎日8時〜9時まで残って、油絵を描いていました。当時好きだった雑誌を参考に描いてみたり、過去の藝大の課題を描いてみたり、表現する事ととは?自分の好きとは?という自分と向き合う作業を何度もしました。客観視もしてほしかったので、冬季講習だけ参加したりもしました。
結果は1次合格、2次は落ちてしまいました。
でもここまでやってきたという事実と、藝大1次に2度受かったということは今でも糧になっています。

また今はもうこれでいいやと開き直っていますが、かなりの人見知りで、それを直したくて、粗治療的に同じ科の色んな人に声を掛けて話をして、、という事をしていました笑
結果的に人と関わることの楽しさを知れたし(最終的に絵を描くよりそっちの方が楽しくなった)、何より学科の人たちが大好きになっていました。(たぶん私以上にあの代に思い入れのある人はいないと思う笑)
ただやっぱりどこか無理をして演じている自分も居たので、今は無理のない範囲で人間関係を広げて行こうと思っています。
仮面浪人が終わってからは、友達の制作の手伝いをしたり、毎週飲みに行ったり、グループ展したり、創作活動はゆるく楽しくしていました。美術館も大学に入るまで一回も行ったことなかったのですが、友達について行って行ったりしていました。

【社会人】
新卒の時は、町の印刷会社の営業事務として働いていました。(働きながら絵が描けるかな、、と思い入りましたが、結果あまり描かなかった笑)
また50人くらいの小さな会社だったので、興味があったデザインの仕事も、仕事の時間中に勉強時間もらって少しだけ印刷のサンプル作りや名刺などを制作したりしました。(今思うと本当に良い会社だった。。。)
ただ私が営業の仕事に興味が出たのと、違う会社も見てみたいという好奇心で転職することに。
そして苦労することになるのですが、それはおいおい、、(いらない)

そして再度絵を描き始めたのが結婚を機に専業主婦になった時でした。時間が出来たので、久々に描いてみるかー!と軽い気持ちでモデルさんの模写を始めたところからです。
ただ何せ5年近くほとんど描いてなかったので、手が鈍ってる鈍ってる(笑) こんなにも描けないものかーと思いながらも、でもやっぱり絵を描くのが楽しくて。
当時有名になっていた大学の後輩がインスタに作品をあげているのみて、私も載せ続けたらいつか有名になれるかなーと思い、SNSに投稿し始めました。
そして今、日中は絶賛イヤイヤ期の2歳の娘を見ながら、お昼寝中や夜寝た後に描いてSNSに投稿しています。(一緒に寝落ちして描けない日も多々ありますが😂)

SNSでも本当の友達のように話せる仲間ができたり、NFTでは神絵師と言われる方や素敵な作品を描かれる方がゴロゴロいて、日々本当に良い刺激になっています🔥やる気up💪💪💪✨✨

最近はAIの進化により、また、表現とは、というところを問われているような気がしています。
これについてもきっと正解はありません。
私としては技術力じゃ到底追いつけないから、張り合えないな、と思っているので、他の方法を模索して行こうと思っています。

AIを使って共存していく人、別の方法を模索していく人、アナログに行く人、きっと色んな道や方法があります。
どう生き残るか、どう描き続けていくか、考えることはたくさんありますが、時代の流れと共に柔軟に変化し、ずっと楽しく制作して行けたらいいなと思っています。

ここまで読んでいただきい、ありがとうございました😌💐

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