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「映画を複雑に観てなにがおもしろいの?俺は単純に観る方が好きかな。」と言われた話

「映画を複雑に観てなにがおもしろいの?俺は単純に観る方が好きかな。」と言われたのが、『グリーンブック』を観た先週土曜日。今日、水曜日。その言葉が、いまだに私にこびりつく。映画をどういう視点でみるか。自由でいいと思う。私の深読みはミスリードかもしれないけれど、思考停止を促すような、悲しい言葉を言われたくなかった。

「そんな難しい見方をして楽しい?実際作ってる側ってそんな深く考えていないと思うよ。いつも伏線がどうとか、シーンに隠された意図とか考えながら観てるの?」
と聞かれたけど、私は映画オタクだから、そういう見方しか出来ないと答えた。すると彼は、「単純に観る方が好きだな」と言った。

 私は、一緒に観る人がどんな視点で映画を観ようが、自由だと思う。作る人の手をはなれ、観る人に委ねられ、その人の価値観によって複数の世界が広がる。彼はオタクの方が奥深くておもしろいって言った、はずだった。それは、ただのおべっかだったのか。それとも、私がオタクすぎたのか。そこから、彼との会話はすべてちぐはぐ。私が喋るたび否定の言葉が返ってきた。最悪だったのは「30代でその考え方はやばい。20代のことは多めにみてあげなよ。」というカテコライズ。私は穏やかな笑みを浮かべ思考停止。笑顔の裏、心の中でずっと中指を立てていた。

 自分の世界の外には、相手の世界が広がる。共通項がなくても、想像力をもって相手の世界を尊重し合える、そんな豊かな男性が、私のまわりには多くないのが実感だ。

 また別の男性に、私がRADIOHEADを聞くっていう話をしたら、「闇が深すぎて、ダメだわ。女の子が聞く音楽じゃない。R&Bとか聞いててほしかった。」と言われた。あなたが聞く音楽も割とダウナーじゃない?と返すと「俺は男だからいいの。」という答え。またカテコライズ。そもそも私はRADIOHEADを闇が深いとは思わない。何年か前のサマーソニックでライブを観たとき、彼らは闇に差す強烈な光で、光に埋もれた闇だと感じた。そもそも、光と闇のは両者が存在しないと、その概念もない。どちらか一方に断定できるほど、単純なものではない。

 闇が深い、複雑、歪んでる。好きなカルチャーの話をした後に、相手から返ってくるのは大体こんな言葉。だから、「ね?私って歪んでるでしょ?」と先手を打った。「いや、あなたは思慮深いんですよ。」って言ってくれた紳士が昨年末、一人だけいた。英語の勉強仲間。最近では、私の映画好きに少し感化されている。『ROMA』や『女王陛下のお気に入り』を観る予定みたい。

 「思慮深い」その言葉が素直に嬉しくて、相手が私になにか不快な言葉を放つ時、私は人よりすこし思慮が深いだけ、と彼の言葉を繰り返す。
 その言葉に頼らなくても、落ち込まない世界に住めたらいいのにな。

#映画 #グリーンブック

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