寺井龍哉

歌人、文芸評論家。 文章を少しずつ公開しています。

寺井龍哉

歌人、文芸評論家。 文章を少しずつ公開しています。

マガジン

  • 雑記

    日々、考えたこと、読んだことについて書きます。 毎週水曜日、夕刻に更新の予定。

  • 観画談

    映画は映画だ。映画を観て考えたことを書いています。文章でネタバレしても映画は楽しめるはず。記事の多くで作品の結末に触れています。

最近の記事

雑記(七〇)

 早稲田松竹は、六月九日から三宅唱監督特集で、『THE COCKPIT』、『ケイコ 目を澄ませて』、『きみの鳥はうたえる』、『ワイルドツアー』、『Playback』の五本を上映している。 『THE COCKPIT』は、小さな集合住宅の一室で楽曲制作を続ける若者たちの様子をとらえた、二〇一四年のドキュメンタリー作品。大柄なOMSBが、ターンテーブルの前にどっかと腰を下ろし、レコードを回し、パッドを打ち、トラックを作り上げてゆく。その背後で、小柄なBimが、丸型のサングラスをか

    • 雑記(六九)

       ラピュタ阿佐ヶ谷が今年の三月から、レイトショーの特集上映「絢爛ロマンポルノ時代劇 艶情夜話」をやっている。連日二十一時から、一般千三百円で一本立て。都内の映画館では、ときどきシネマヴェーラ渋谷でロマンポルノの特集があるが、定期的に観られるのはラピュタくらいではなかろうか。  上映作品は、曽根中生の『色暦女浮世絵師』、『性盗ねずみ小僧』、『㊙女郎市場』、加藤彰の『艶説 お富与三郎』、『性談 牡丹燈籠』、『㊙極楽紅弁天』、小原宏裕の『情炎お七恋唄』、長谷部安春の『戦国ロック

      • 雑記(六八)

         塚本邦雄の歌集『天變の書』に、「夏三日月子を金銀にたぐへたる歌ありきゆめうたはざらむ」という歌が収められている(『塚本邦雄全集第二巻』ゆまに書房)。初句は「なつみかづき」と読んでよいものだろうか。夏の三日月よ、子どもを金銀になぞらえた歌があったが、私は決してそんな歌はうたうまい、というほどの意味であろう。  ここに言う「子を金銀にたぐへたる歌」というのは、『万葉集』巻五の山上憶良の「思子等歌」の反歌一首、「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

        • 雑記(六七)

           作家の佐藤泰志は、一九四九年生まれ。一九九〇年に四十一歳でみずから命を絶った。代表作は「海炭市叙景」、「そこのみにて光輝く」など。  昨年十月、月曜社から『光る道 佐藤泰志拾遺』が出た。全体は二部構成になっていて、「Ⅰ 小説」と「Ⅱ エッセイ 迷いは禁物」からなる。巻末の「初出および収録」には、「迷いは禁物」について、「『日刊アルバイトニュース』の「News Plaza」に一九八四年五月二三日から一九八五年七月二日まで五六回連載。唯一の連載エッセイである。本書収録にあたり

        雑記(七〇)

        マガジン

        • 雑記
          70本
        • 観画談
          23本

        記事

          雑記(六六)

           二月に公開された映画『ウエスト・サイド・ストーリー』を楽しんで観た。主演の二人、アンセル・エルゴートのトニーと、レイチェル・ゼグラーのマリアも素晴らしかったと思うが、耳に残るのは「アメリカ」という楽曲だった。マリアの兄のベルナルドと、その恋人のアニータを中心に、かけあいで展開してゆく曲である。  いつの日かプエルトリコに帰ることを夢見るベルナルドが、アメリカへの憎悪と忌避を歌うのに対して、アメリカに残って生活を続けたいアニータは、アメリカの素晴らしさを歌う。たとえばアニー

          雑記(六六)

          雑記(六五)

           文藝春秋から出た「松本清張全集」を最初の巻から順に読んでゆくと、第三巻の初めに代表作「ゼロの焦点」があり、第六巻に「球形の荒野」がある。後者は、知名度の点では前者にやや劣るかもしれないが、戦時中の欧州における日本外交に材を得た、読ませる作であることは疑いない。  両者には、一読して明瞭にわかる共通点が多くある。以下、結末に触れてしまう部分があるが、ためらわずに書いておこう。両者の共通点は、まず、過去の生活や人間関係と訣別し、立場を変えて生きようとした男の人生が主題の一つに

          雑記(六五)

          雑記(六四)

           秋の唐招提寺を訪れた芦村節子は、芳名帳に「田中孝一」と書かれてあるのに目を留める。特徴的な筆跡が、死んだ叔父のそれに似ていたのである。松本清張の小説「球形の荒野」の序章には、こんな印象的な場面がある(『松本清張全集6』文藝春秋)。  節子の叔父の名前は、「野上顕一郎」。「戦時中、ヨーロッパの中立国の公使館で一等書記官だったが、終戦にならぬうち、任地で病を得て死んだ」という。もちろん、名前が違っているのだから、芳名帳に「田中孝一」と書いたのは叔父ではないはずなのだが、叔父の

          雑記(六四)

          雑記(六三)

           このところ、「コロナが終わったら」とか、「コロナが落ちついたら」という言い回しに、実感が持てなくなってきた。大人数の参加する会合や講演は、オンラインで実施されるか、オンラインでも参加できるようにするのが当然になってきている。  わざわざ、家を出て、歩いて、電車に乗って、食事や水分を確保して、それらにかかる時間を見越して行動しなければならなかったのが、せいぜい、身だしなみを整えて、端末の電源を入れて、設定された通りにアクセスすればいいだけになるのならば、そのほうが楽なのは確

          雑記(六三)

          雑記(六二)

           映画『ドライブ・マイ・カー』が、第九十四回アカデミー賞の国際長編映画賞に選ばれた。日本経済新聞の三月三十一日の朝刊の文化欄に、同紙編集委員の古賀重樹が「総括 第94回米アカデミー賞 上」として、「濱口監督 オスカーへの旅路」と見出しのついた記事を書いている。  それによると、古賀が濱口に初めて会ったのは、二〇一一年の十一月のこと。古賀は「相米慎二監督の没後10年にあたり、32歳の新進監督に話を聞きたかった」のだという。濱口は古賀に、「実は最初はピンとこなかったんです」と前

          雑記(六二)

          雑記(六一)

           京都大学の構内で学生たちが火炎瓶を製造し、ヘルメットを装着して角材を抱えて、行進の練習をする。研究室では煙草を片手に議論に耽り、革命の方針をめぐって激しく議論する。そうかと思えば、布団にくるまってじゃれあうこともある。アテネ・フランセ文化センターで映画『パルチザン前史』を観て、過激でありながら、しかし牧歌的な光景にいくつも出会った。  チラシによると、監督は土本典昭、小川紳介の小川プロダクションが一九六九年に製作した。撮影は大津幸四郎、一之瀬正史、白黒で百二十分。「関西全

          雑記(六一)

          雑記(六〇)

           日本の人々は、百年前、五十年前、三十年前に比べて、よく話すようになったらしい。ひとりで、ある程度の時間をかけて、まとまった話をすることができるようになったらしいのである。逆に言えば、それまでの日本の人々は、それがほとんどできなかった。  柳田国男は、「涕泣史談」という文章のなかで「今日の有識人に省みられて居らぬ事実は色々有る中に、特に大切だと思はれる一つは、泣くといふことが一種の表現手段であったのを、忘れかゝつて居るといふことである。言葉を使ふよりももつと簡明且つ適切に、

          雑記(六〇)

          雑記(五九)

           酒に酔って泣くことを「ゑひなき」という。「酔ひ泣き」などと書く。大伴旅人の歌に、「賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするしまさりたるらし」とある(『万葉集』巻三・三四一)。利口ぶって物を言うより、酒に酔って泣くことこそがすぐれているようだ、という意味である。  また旅人は、「世の中の遊びの道にすずしきは酔ひ泣きするにあるべかるらし」(三四七)、「黙をりて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほ若かずけり」(三五〇)ともうたっていて、世間の遊びの道で爽快なのは酒を飲んで泣く

          雑記(五九)

          雑記(五八)

           正岡子規が「歌よみに与ふる書」で紀貫之と古今和歌集を痛罵したのは、一九八九(明治三十一)年のことであった。ただし、このときの子規が、必ずしも貫之や古今集を全面的に否定すべきものと考えていたわけではなく、言わば戦略的な主張であったことには注意が必要であろう。  大岡信は、『紀貫之』(筑摩書房)の序章「なぜ、貫之か」の初めの箇所で、この事態を格闘技にたとえている。「私は子規の貫之、古今集否定の言葉を読みながら、一人の若くて上り坂にある覇気満々のボクサーが、年とって衰運にあるか

          雑記(五八)

          雑記(五七)

           論文や評論に誰かの名前を出すときは、敬称を付けないのが一般的であろう。「氏」をつけたものを目にすることも少なくはないが、わずらわしい。私信や挨拶の文章でなければ、敬称は付さないという原則にしてしまうのが楽だ。  三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社)の第四章「「うたげ」と「孤心」の射程」は、「大岡信の『うたげと孤心』は不思議な本である」という一文からはじまる。ここで「大岡信」に敬称を付けていないのは、まったく自然である。  それから三浦は、二つの段落にわた

          雑記(五七)

          雑記(五六)

           唐では、一日に百首の詩を作ることがあるという。それでは試しに、お前は二時間で、十首の詩を作れ。宇多天皇の第一皇子であった敦仁親王は、菅原道真にそう命じたことがあった。  二十四時間に百首ということは、単純計算で、二時間二十四分で十首。だが睡眠や食事の時間を考慮すれば、おそらく、十首に二時間はかけられまい。敦仁親王が命じた、二時間で十首という指定は、唐の例に比べても、かなり厳しいものであったようだ。  時は寛平七(八九五)年の三月二十六日。『菅家文草』によれば、親王は「即

          雑記(五六)

          雑記(五五)

           人前で何か話しているとき、いま自分の話していることが、急にばかばかしく感じられることがある。経験上、自分がそういう気分になってしまったら、その気分は、聞いている相手にも伝わってしまうもので、それまで一応は耳を傾けていたひとも、目をそらしてしまう。無理してその話をつづけるよりは、適当に切り上げて、別の話題に移るか、話をすること自体やめてしまったほうがよいようである。  文章を書いていても、そういうことはある。自分の書いていることが、突然、価値がないように思えてくる。あるいは

          雑記(五五)