見出し画像

今は「結果」じゃない

こんにちは。お久しぶりです、珠です。

前回の投稿から気づけば2ヶ月近く間が空いており、驚いています。前回の投稿をしてから、今日までの間に生活に大きな変化がありました。

前回の投稿から1週間ほどで、会社の人事異動が発表され、そこからの1ヶ月は引越し業者の手配、物件探し、実際の引越しのほか、業務の引き継ぎや、ありがたいことに送別会など、本当に1ヶ月って31日ある?と疑ってしまうほどあっという間でした。

2年間住んだアパート、住んだ土地、働いた部署、近くに住んでいた友人と離れ、いまはとても静かで穏やかな街に住んでいます。
以前から私の記事を読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、2年間いた部署はお客様対応が無く、自分よりも年上で経験もあるけれど立場が下の方々への指導や、進捗管理をしていました。経験が浅いだけでなく、自分に自信がない私にとっては、とてもストレスでした。
お客様対応がある部署へ異動してきた今、この1週間を振り返ってみると、やはり自分はお客様対応が好きなんだなと気付きました。電話が鳴り止まないことに焦ったりしても、以前の部署のように「お客様」より「自分たち」に重きを置きすぎることへのストレスがないのが本当に楽だなと感じています。今後の2年間がずっと楽だとは思いませんが、今後もお客様に分かりやすく説明をするにはどうしたら良いのか、をじっくり考えて、安心感のある人を目指そうと思っています。

正直なところ、異動が発表された時、希望していた部署ではなかっただけでなく、地元からも、当時の居住地からもかなり離れた場所への異動だったため、本当に落ち込みました。辛くて心をすり減らした2年間を耐え抜いても、希望は通らないのか、私の仕事ぶりは誰にも評価されなかったのかと落ち込みましたが、落ち込んでいるところを見せてはいけないと我慢しました。
今もまだ、この部署になったことに落ち込むことはありますが、「人事異動は2年間の答え合わせではない」と思うようにして気持ちを切り替えるようにしています。

こういう「節目」は、自分の行動の「結果」と捉えてしまうことが多いと思います。もちろん、志望校に入学した人は受験勉強を頑張った結果であったり、企業に就職した人は就活で努力をした結果であることに間違いはありません。ただ、自分の力ではどうしようもないことがあることも確かです。とても極端な例を出すと、今、総理大臣になりたい人がいて、どれだけ努力をしても、今すぐ、もしくは生涯のうちに総理大臣になるのは難しいでしょう。その人が努力をして、政治の世界に入ったとしても、次の選挙でその党が野党になる可能性だってあります。これはその人の努力だけではどうしようもないことです。
そういう時、努力をした人ほど「自分の努力が不足していた」と自分を責めてしまうことがあると思います。でも、その人の努力がそこにあったことは真実で、望む結果にならなかったことを誰かのせいにしなかったことも、素晴らしいことです。その努力の中で得たものは、望む結果に繋がらなかったとしても、次の目標の糧になったり、長い目で見た時に人生のほかの節目で必ず役に立つものです。
だから、なにかが変わる「節目」は、自分の行動の「結果」であることもあれば、そうでないこともあるんだと思うことで、自分を責めすぎない生き方ができるのではないかと思うんです。かといって、人を責めろとは言いません。ただ、もう少しだけ、行動の「過程」を褒めてあげていいんじゃないかなと、自分も含めて、このnoteを読んでくださっている皆さんに伝えたいです。

久しぶりのnote、長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
これからしばらく、静かな街で過ごします。noteの投稿頻度も前のように戻せるよう、引越し後の片付けを頑張っていきます。
桜の季節ですね、綺麗な景色を見て、皆さんが心穏やかに過ごせるよう願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?