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雑記

平和ボケしている。
6月、西陽が入る台所のシンクでアク抜きした水蕗の皮を剥きながら思った。

平和である。
今年は玉ねぎ高いな〜晩ごはんどうする?なんて午前中は母親とスーパーに出向き、午後からはLINEを返したりネットでハローワークの求人をチェックしたりとダラダラと過ごし職務経歴書を作り、夕方に差し掛かる時間帯に洗濯物を取り込み母親が台所に立つと並んで手伝う。
去年の喧嘩などを考えるとかなり関係は修復した様に感じる。実際そうだ。わたしが仕事を辞めたタイミングで母親の仕事が忙しくなり、代わって買い物に行ったり何なりしているので。自然な流れで関係は修復され回復した。家事を進んで行うことで、絶対母政のわが家の人権は保たれる。先のこと=家の在り方を考えることで自由に出来る。

平和だ。
友人とランチだったり美容室だったり対相手が伴う予約だと絶対忘れないのに、自分のための更新だとか予約だと謎の勘違いを起こして忘れる癖があり、受ける予定だった資格試験の受付も試験日から2週間前までが受付できると思っていたが試験日から1ヶ月前が受付締切で間に合わず受験出来なかった。ボケてるのかと本気で思った。
さらに好きな韓国アイドルのファンクラブの更新も忘れて退会になった。しかもそれを後日未読メール整理で知るという体たらく。うつつ抜かしてるのか?

以前の職場を辞めて4ヶ月と少し。
こんなにも何もしなくても良いというのは少なからず焦りもありながらも悠然と構えていた気がする。
なんとかなるでしょ理論。流れるままに、どうにかなる。良くも悪くも焦っているように見えないなんてよく言われるが、焦ってるところを見せたところで余裕がないように見えるのは嫌だ。
(とはいえ本当に焦ってるところ見たことない、焦ってるように見えない、肝が据わっているなんて言われるが、焦り故の判断の早計が必ず出るので極力焦らず常に余裕を持ちたい・持っているふうに見せているだけだ)
(ものすごく焦るし考えすぎて人生生き急ぎすぎとよく言われる)

と言ってるうちに次の職場が決まった。
5社目の面接で、これはもう受かると思っていたところが落ちて、気落ちはしたものの落ち込んでもいられない、次を探しますなんて、ランチしながら前の職場の大好きな先輩に話して、夜ごはんに誘ってくれた好きな人に、わたしって焦ってるように見えないよねという話をし、たしかになんて肯定をもらったところで、そんなに見えないか?割と焦ってはいるけど焦っても良いことないよなと思いつつ翌日朝一、自分の条件をクリアしてる求人を応募はまだいけるかハローワークに確認しに行ったところ、その日の夕方に面接が決まった。
面接後、職務内容として職場見学したものの出来るかこれ…と不安になり採用来ても蹴るか……?と考えていたが採用の電話を受けてしまった。
正直に書くと、焦りが出た。次の7社目の面接を終えて選考中でどっちを取るか悩んではいた。何なら採用の電話が来た時一旦保留にした。でも受けた。
正解かどうかなんてわからない。毎回自分の選択に不安を感じる。
どっちを選択しても、選んでない方を選んでいたら・いればの考えになるのだから選んだ方で好転し続けるよう進むしかない。
わたしは、自分のことを選択出来なかったり悩んだりするから、これからは自分が選んだことに責任を持っていこうね。道から外れない限り選んだことに間違いはないから。

自分が置かれた状況や辛さを、星の周りのせいとか気圧のせいだとか、そういう風に出来なくて何でも環境要因のせいだと思うのは良くない。
ざっくりした、自分ではどうにもできないような規模の大きいもののせいに(一時でも)すればいいのに、ちょっと投げたっていいのに、自分の経験だとか環境だとか自分がわかりやすいもののせいにする。
過ごしてきた環境は今更どうしようもない。引き続けたカードでやるしかない。
数字が近かったり柄が似てれば良しと捨てていけば良いのに、一緒じゃない同じじゃないから違うと捨てれずに馬鹿みたいにカードが増えてゆく。
もう少し簡単に進めてもいいと思うよ。優しい人は待っててくれる。わたしのそばに居てくれる人はみんなそうだよ。みんな優しくて、話を聞いてくれる。

iPodのシャッフル程度の神様しか信じてないってSNSのフォローしてる好きな女の子が呟いてたドラマの台詞、本当にそうだなって思っている。
今はもうiPodではないけれど、iPhoneやカーステレオから自分の心境に合ったシャッフルされた曲が流れることに一喜一憂している。
自分の置かれた状況や心理によってそんな神様に感謝したり怒ったりしてて、都合が良いというか責任転嫁をしているというか。
その程度の神様、信仰心が高いような低いようなそれくらいでいいよ。
本当に存在しているかわからないのだから、自分が信じれる神様を作ってしまえばいい。
そうやって何かのせいにすればいい。

これが8月14日までの記録。
それから、

仕事が無事決まって少し落ち着いたので美容室に行ったら帰り際、担当してくれたお姉さんが珍しく車まで見送ってくれるな〜と思ったら言いづらそうに後頭部が円形脱毛症かもとしれないと話してくれた。
手持ち鏡を持たされて後ろがこんな感じで〜と回転イスを回されて鏡を見た時、なんか薄いところあるけど角度的にそうかなと思い会計を済ませた。

仕事決まったって話してくれたからまさかとは思うけど、なんて話されてマジかと思った。
「円形脱毛症?マジ?笑」と、出来ちゃったか〜の笑いと信じられないの驚きよりも、外見に出てきてしまったことへのショックが大きくて笑った。
大なり小なりストレス下での生活をしてきてフェイスラインが荒れたりだとかそういう類のはあったが、こうも先立ってマイナスなイメージを持ってしまうものが出てきてしまうとは。なんなら、症とついてる時点でダメージが大きい。
最初はショックを受けても徐々に立ち直るか、何となく受け止めて後からじわじわショックがくるか、どちらかといえば毎回後者なので誕生日のタイミングで連絡をくれた気の知れた友人たちに話すと、大丈夫だよ気にしすぎも良くないと言ってくれた。でも病院には行っておいでと口を揃えて話してくれたので病院に行った結果、うっすら生えてきてはいるから回復期じゃないかと。
まあ3月の中旬あたりから後頭部が痒くて、気づけば掻いており、家では酷いと無意識に掻きむしってたから、間違いなくストレスだろうなとは思っていたから発症したならそのタイミングだろうな。

それから、11月になった。
美容室に行って円形脱毛症ぽかったです〜なんて言いながらいつもより長めに刈り上げてもらってたら、繊細なんだから自分を大事にしないと!と言われて繊細なんだろうかと思いながらぼんやりとしていた。
繊細かは分からないけど、もう少し自分を大事にしないと。
仕事も上手くやれているかは分からない。まだすこし他の人の顔色を窺いながらだけどなんとかやっている。
前の職場の別部門の人が退職するから送別会に行ってきた。久々に会う顔ぶれに安心しつつ、過去の場所なんだなとぼんやり思った。
月日が経つのが早い。



あなたからの褒めてくれる言葉や、労りの言葉でわたしは強く生きていていけるような気がして嬉しい反面怖い。
でも今はその強さで生きていたい。

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