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物理学における問題意識: テンションという名のマッチポンプへの苦言

2021年12月のクリスマス、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(James Webb Space Telescope: JWST)が(長い長い苦節の時期の果てに)無事打ち上げられました。ハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope: HST)のような初期不良もなく、超遠方宇宙の銀河や近傍の銀河、惑星などのシャープな画像は研究者の度肝を抜き、3年で2000編を超える論文が出版されています。この勢いはとどまることを知らず、宇宙物理学に革命的進歩をもたらすことは間違いないでしょう。

宇宙空間で主鏡を展開したジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のCGによる想像図。
(https://www.nasa.gov/images/content/529715main_013532_high.jpg)

現在の宇宙論や宇宙物理学において、いくつかの「未解決問題」とされる問題が活発に議論されています。それらについて「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡など最新の観測装置によるデータで解釈が大きく変更を迫られることになった」あるいは「定説が覆った」という言説をよく目にするようになりました。 とてつもないパフォーマンスを発揮している装置ばかりですから、原理的には十分あり得る話です。

ただ、果たして本当にそれらの未解決問題のすべてが本質的に重要な謎を含んでいるのでしょうか? 特に気になるのは、重要な測定量の値について独立したいくつかの報告が互いに矛盾しているというタイプの問題で、これは最近の業界用語では「○○テンション」という名で呼ばれることが多いです。また「現在の理論モデルでは××であるはずが、最新観測はそれと合わない」という話題もよく出てきます。これらの場合については「問題とされていること自体がそもそもそこまで強く主張できるものではなかった」というのが私の見立てです。例を挙げて見ていきましょう。

宇宙論で最も重要な測定量の一つに、ハッブル定数(時間に依存するのでハッブルパラメータという方が正しい)という量があります。これは宇宙の膨張の速さを表す測定量です。詳しくは、銀河の後退速度 (膨張の速さを近似した量)を v、銀河までの距離を r と置くと、近似的に

という比例関係が成り立ちます。これがハッブル-ルメートルの法則(Hubble-Lemaître law)で、この比例定数H0がハッブル定数です。

宇宙物理学の重要な発見に多くの名を遺しているエドウィン・パウエル・ハッブル (Edwin Powell Hubble)の1929年の論文で広く知られるようになりましたが、最初の理論的導出は理論物理学者アレクサンドル・フリードマン (Алекса́ндр Фри́дман: Aleksandr Fridman)の1922年の論文で示されました。またハッブルに先行すること2年、1927年にベルギーの物理学者・数学者。コンピュータ科学者ジョルジュ・ルメートル (Georges Lemaître )が上の比例関係を発表しています。ルメートルの功績を公平に評価するため、2018年の国際天文学連合にて2人の名前を冠して呼ぶことが決まりました。ハッブル定数は、実はハッブルの研究倫理の欠如に起因するドラマチックなサイドストーリーが色々ある測定量なのですが、それについては稿を改めます。

さて話がそれましたが、歴史的にこの量は50と100という2つの測定値を主張する学説が長らく対立しました。前者はアラン・サンデージ (Alan Sandage)率いるグループ、後者はジェラール・ド・ヴォ―クルール(Gérard de Vaucouleurs)が率いるグループの測定値です。両者とも観測的宇宙論・天文学におけるビッグネームでした。彼らの測定の不定性を表す誤差棒は、長い間互いに重なりませんでした。現在では、実は両者とも比較的早い時期に互いの測定法における系統的偏りを認識していたことが知られていますが、2グループが健全な科学的議論によって歩み寄ることはありませんでした。

そして時は流れ、2000年頃から始まったハッブル宇宙望遠鏡の大規模キャンペーン観測により、正しい値はちょうどその中間くらい、70前後だということが判明しました。結局、2大勢力のどちらも間違っていたという顛末です。あとから見れば、十分に成熟していない測定方法や誤差評価をもとに、無意味な対立が続いていたわけです。これもまた健全な科学の議論の発展であるという意見もあるとは思いますが、私の見解は異なります。私は、これは科学に不要なプライドと競争心が入ったことによる不毛な論争だったと考えています。

こういったグループ間の対立までいかなくとも、最近の素晴らしいクオリティの観測データがあるにも関らず複数の結論が互いに矛盾する「テンション」が数多く主張され、研究されています。それらを真に受けて真剣に議論している人々には悪いのですが、それはデータと理論に内在する不定性の吟味が足りていないだけです。上記ハッブル定数のストーリーが示唆するように、単に誤差棒が過小評価なのです。科学的真理が一つである問題において、独立な測定に適正な誤差評価をすれば、誤差棒は互いに重ならなくてはいけないからです。

この(不要な)テンションがむしろ科学的議論を盛り上げているというポジティブな見方もあります。しかし、研究者の人生の時間も有限です。困難を乗り越えて培った科学的直観と訓練された洞察力を無為な問題に向けるのは単純に才能の浪費でしかありません。そして現在は特に、国家による論文出版数至上主義への誘導に加え、競争的資金偏重によるプレッシャーが拍車をかけ、未熟な科学的議論が横行しています。このテンションの問題は科学史の一コマとしては残るでしょうが、物理的真理の発見自体とは無関係で、あまたと出される論文も時の試練によって忘れ去られる運命にあります。

100年後に残らない物理学の論文には、たとえば最終的に否定された天動説が持つほどの価値はありません。理論や方法が十分に吟味されていない拙速な議論の氾濫には飽き飽きしています。方法論や理論の未熟さに起因する、物理としては存在しない問題をだらだらと議論するのはただのマッチポンプといえるでしょう。研究者はその能力を学問の本質的な議論に活かし、資金稼ぎのつまらぬ論文を量産している暇があったらデータと理論と誤差を徹底的に吟味すべきというのが私の信念です。

(2024年3月25日 初稿)



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