ジョーカーは生まれたんじゃない、生み出されたんだ。
いやー、話題のジョーカー見てきましたよー
よかった。悲しいぐらいよかった。
このフィクションを他人事でないと多くの人が感じてしまう現実は実に悲しいけれど、それをなんのオブラートにも包まず、あからさまに描いたこの作品は素晴らしいの一言。
ざっくり言うと、社会的弱者が度重なる偶然と不運と悪意で、暗黒面にどんどん堕ちていく話。
いや、マジで他人事じゃねぇって。
ぼくだって今こうしていわゆる"普通"でいられるのは、家族や友だちをはじめとした周りの方々に恵まれてきたからであって、これがアーサー(主人公)のような状況であったなら、ジョーカーになってしまうと思います。
今ちょうどツイッターのトレンドには"手取り14万"という文字列が並んでいるけれど、少し覗いただけでも地獄。
不幸自慢、金持ち自慢、自己責任論の押し付け、詐欺まがいの副業アカウント、地獄かよ。
みんなジョーカー見に行こマジで。
ぼくもね、昔は過労自殺のニュースを見て、「いや、やめたらええだけやん」って自己責任論を振りかざしてました。
でもね、自分がそういう立場になったときに初めてわかったんですよ。
死にたくて死んでるんじゃないだなって。
あの線路に吸い込まれる感覚よ。
やめたくてもやめられないもどかしさよ。
やっぱり経験した人じゃないとわかんないんですよ。
手取り14万だって、その立場にならないとわかんないんですよ。
だから平気で自己責任論を振りかざせちゃう。
自分を奮い立たせるために使うのは勝手にどうぞだけど、それをマクロの社会を考えるときに使っちゃダメでしょ。
会社や社会のせいにしても何も変わらないから自分で努力していくしかない。
はい。そうですね。正しいよ。
正しいけどよ、それを社会全体で考えたとき、制度設計をしていくときにそれでいいのかよ。
各々そこは自分で努力していけばいいさ。
でもさ、努力だけじゃどうにもなんねぇことだってあるだろうよ。
強者の論理だけで世界は回ってるとでも思っているのか。
みんなできる限りがんばろうとしてるんだと思うよ。
それでも苦しい人だっているだろうよ。
為す術がない人だっているだろうよ。
努力しろ!なんて言われんでもわかってるんだよ。
それでもどうしたってうまくいかない人はいるでしょうよ。
そういう人をみんなで助け合っていこうねでよくないか。
そういう不寛容さがジョーカーを生むんだなと。
アーサーはジョーカーになりたくてなったんじゃない。
気付いたらなってしまっていたんだ。
アーサーにはどうすることもできなかった。
なるべくしてジョーカーになっていった。
世界にジョーカーにされたんだよ。
綺麗事かもしれないけど、ぼくらはなるべく寛容であるべきだ。
実際に経験しないとわからないことだらけだけど、だからこそ他者を慮って寛容になるべきなんだ。
自己責任論を押し付けて、なにがどうよくなっていくんだよ。
せいぜい自分が優越感に浸ってシコれるぐらいだろ。
だったらさ、寛容になって、どんな人でも困っていたら助ける、できる限りのことをやるでいいじゃないか。
次のジョーカーはぼくらであり、ぼくらが生み出すんだよ。
そうならないように、努めて寛容でやさしくありたい。
読んでいただきありがとうございます! ところで、カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究によると、人のためにお金を使うと、自分の幸福度が高まるそうですよ(乞食)