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血黒の聖女

「こうして、火の時代が始まったのです…」
少し寂れた教会で、修道服に身を包んだ女性が、読み終えた本をぱたんと閉じた。
女性の周りには、年端もいかない少年少女。
きっと何度も聞いたであろう「はじまりの火」の話。しかし彼らは、熱心に女性の声に耳を傾けていたようだった。
「さあ、皆でお祈りをしましょう」
女性の言葉に、子供達は嬉しそうな顔をし、女性の背後へと目を向ける。
そこには、凛々しい王の像があった。

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王は死んだ。
自ら、はじまりの火の薪となったのだ。
しかし、彼の王たる姿は、神として多くの人の心に焼き付いている。
女性--ジャンヌも、その火を焼き付けられた1人であった。
彼女は謳う。
はじまりの奇跡の物語を。
そして伝える。
次へと、未来へと。
そんな日が続いた。
彼女もまた、いつまでも続くと思っていた。

しかし。
彼女の祈りは、途切れた。
「貴女が、ここの修道女ですか。ジャンヌ、貴女を同胞殺しの罪で捕縛する。」

何が起こったのかは明白だ。
突然、同じ教会で働く神父が狂ってしまった。
いや、『本性を表した』のが真実か。
彼の神々への御心は、虚構であったらしい。
彼は、神を冒涜する狂言を吐き、信徒に手をかけた。
よりにもよって、ジャンヌの話を熱心に聞いていた、子供たちを。
よりにもよって、彼女の目の前で。

「…あ」
気づけば、教会は真っ赤に染まっていた。
生者など、聖者などどこにもいなかった。
祝福されたはずの彼女の刺剣は、赤黒く濡れ、その輝きを失っていた。

「違うんです、これは」
彼女の訴えは届かない。
どんな事情があったにせよ、同胞を殺めてしまった事実は変わらない。
『人殺し』の妄言に、一体誰が耳を傾けるか。
そんな言葉と共に、多くの信徒は彼女を嘲り、蔑んだ。
彼女の祈りは、届かない。
「そんな…信じてください、信じて……!」

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「…ん」
目を醒ます。
目の前には篝火。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
そして、長い夢を見ていたらしい。
「…昔の話だ。」
嗤うように、ぼそっと呟いた。
今の彼女に、祝福はない。
あの刺剣は、あの日からずっと暗いままだ。
光の中で、過去に覚えた奇跡の物語は、今でも頭に残っている。
でも、もうあの恩恵は受けられそうにない。
あの日。信じていた神に裏切られた日。
彼女もまた、神を裏切った。
その信仰心は、朽ち果てた。

あの日から、彼女は罪人の衣を着せられ、その身を追われるようになった。
彼女はひたすら逃げ続けた。自分でもわからないどこかへ逃げ続けた。何人もの「元」同胞を手にかけながら。
それはあまりにも無謀で、そしてあまりにも無意味に思われた。
でも、何も全てが無駄だった訳ではない。

流れ着いた先で、新たな光を見つけた。
どこまでも、暗い光を。

あの場所では異端とされていた、深みの奇跡。そして亡者の国、ロンドールの黒教会の奇跡。
彼女は、それを受け入れた。
暗い物語を貪り、深い海の加護を学んだ。
肥えた教導師から、肉を喰らう蟲の業を学んだ。
黒教会で、亡者達の戦いを学んだ。

そして彼女の手には、冷たい死霊の大鎌。
彼女の目的は唯一つ。
「神に仕える身にして、神を冒涜する愚か者共の首を狩り尽くす。手段など問わないさ。何のために神喰らいの夢を学んだんだ」

独りで、あるいは一期一会の戦友と共に。
黒く擦り切れた衣を羽織り、すでに朽ちかけた「あの時」からのタリスマンと共に。
彼女の使命は、赤黒く染まる。

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「うわあ、皆さん酷い傷!!待っててください、今癒します!!」
真白な修道服に身を包んだ女性は、タリスマンを構え跪き、とある物語を謳い始める。

ジャンヌと、共に戦った屈強な男の傷が、温かな光に包まれる。

つい先程まで、神を冒涜した愚か者と刃を交えていた。
「その身で惜別の奇跡など烏滸がましい。貴様の生に意味は無いというのに。」
愚か者の首は撥ねてきた。代償として奴の大斧の一撃をもらった。

傷が、癒されてゆく。
ジャンヌは、どこか懐かしさを覚えていた。
この寵愛。もう今の自分には謳うことの出来ない物語。まるで…
「太陽の光の恵み、か。いい術だ。」
修道服の女性は見た。
ボロボロのマスクで顔を隠し、真っ黒な服で身を包んだ彼女が。
まるで死神のような彼女が。
まるで聖女のように微笑んでいたのを。

「ご存知、なんですか?」
おそるおそる、女性は疑問を口にする。
この物語は、教えの中でも最も高位なものの一つだ。習得には相当の時間と修練を積んだ。それを知っている者はめったにいないはず…

「ああ、知っている。」
「でも、もう私には使えそうにない。」
「またそれを謳うことができるほど、私は救われていないんだ。」

その眼は、どこか寂しそうだった。

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