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憧れの家計簿生活

「管理している」という言葉が好きだ。
自分の生活を自分が管理できている、つまり、把握してその上で思うようにできているとは、なんとも自由で気持ちの良い響きではないか。

しかし、こんなことを言っている人間に限って、管理とは程遠い生活をしている。かくいう私もその一人。私の現在を一言で表すならズバリ

行き当たりばったり

これもある意味自由で気持ちの良い響きではあるのだが、管理とは決定的な違いが一つある。大体の場合、後者は後始末が大変であるということだ。

私の理想の生活は、おそらく、結構大きな額の予算が私に割り振られていて、例えば主人からの毎月のお小遣いとか、自分の月収とか、株の配当金とか、名目はなんでもいいので毎月の可処分所得(この言葉好き)が100万とか200万とか1000万とかあって、なんの計画もせず、肌感覚で「これくらいなら大丈夫」と言う金額を直感で使っていく。
「それ、今だってやればいいじゃない」とおっしゃる方もいるだろう。まあ、結局肌感覚で「これくらいなら大丈夫」と思いながら日々消費しているのであるが、毎月使っていい金額を、毎月使った金額がこえていく。

こう書いていて気づいたのであるが、10万20万でできないのであれば、100万200万1000万になったらさらに難しくなるのではないのだろうか。

それも一理ある。なんだか書いてて恥ずかしくなってきた。そうだ、そうなのだ。今できなければ明日もできないのだ。

なんでこんなことを書き始めたかというと、ひとまず管理への第一歩を踏み出そうとして、溜めていたレシートをexcelに朝書き出してみていた。いわゆる家計簿というやつだ。そして書き出していて思った。

「お金使った後に、あれこれ後悔してもなぁ。」

結局私に向いているお金の使い方は、前述の通り、大体の予算を把握して、肌感覚で「これくらいは大丈夫」な金額の買い物をしていく。そしてその時に邪魔になるのが、「気分」というやつだ。

「いいじゃないか、これくらい!」(よくないことは実はわかっている)
「いいじゃないか、今日くらい!」(よくないことは実はわかっている)

という、謎の言い訳。
美味しいものを食べたり、きれいなものを買ったりすることで落ち込んだ心を上げていくタイプの人は、どうしても訳のわからない買い物をしてしまう傾向があるのだと思う。

今、やめた方がいいかもしれないがやめたくないものに、車の中でのむコンビニコーヒーというのがある。お金の管理が苦手と聞いてピンときたかた、その通り。家の中の物の管理も苦手である。平たく言えば、散らかっているのだ、いつも。だから、車の中という、割と必要最低限のものしかない(それでもたくさんある方かもしれないけど)空間は、落ち着ける場所なのだ。通勤や買い物など、10分20分車に乗る時、コーヒーを飲みながらYouTubeをバックグラウンド再生で聴く、とても幸せな時間である。何もしないで運転だけすると、少し寂しいのだ。

自分で淹れて、タンブラーに入れて車に持ち込めばいいじゃないかという声もあるだろう。それだと何かが微妙に違う。何が違うかはっきりわかったところで、きっと手が打てるだろう。

お金を始めとする、さまざまなものとの付き合い方、これが長いこと私の課題なわけであるが、お金もものも、嫌いなわけではない。むしろ大好きだ。だから、いい関係を築きたい。家計簿、巷に出回っているタイプのもので、私にピッタリというのにまだ出会えていない。けれど、家計簿じゃなくてもいい、自分が、自分と家族のお金と物の管理を気持ちよくやっていくために、これからも色々な試みをしていこうと思う。




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