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めざせ言語学習ハイ

朝刊に国公立大学二次試験の問題と解答例があった。

ロシア文学研究者が自らのロシア語学習歴について述べたものである。
これを読んで後の問に答えよ(50点)

これは京都大の国語の問題文

相変わらず中国語学習に翻弄されているので同じ外国語学習、
この人はどうしたんだろうと興味がわいて読んでみた。

NHKのラジオでロシア語講座を聞こうと思い、近所の本屋でテキストを買ってきた

京都大の国語の問題文(抜粋)以下引用文同じ

おおお!同じ同じ。やはりNHKのラジオ講座からですよね

それから少し大きめの本屋へ行って教科書を物色した(中略)教科書を買い、ついていたCDを丸暗記した。

いやいやいやいや、いきなりここで差がついている(爆)

CDを丸暗記ぃいい?!

確かにCDついている。最近は音声ダウンロードなどもある。
そういえば老師はやみくもに暗記しなさいと言っていた。

のんびり学習を始めた当初は、赤ちゃんが言葉を学ぶように
わけわからずともひたすら聞いていれば、
そのうちわかるようになるんじゃないか、
なんていう甘い考えだった。

だが朝から晩まで中国語しか聞いてないわけでもなく
根気よく教えてくれる人がいるわけでなく
間違いをただしてくれるわけでもない

これは大人として、文法を学んでロジカルに学習した方が
早いんじゃないかと、今度は文法に舵を切ったけども
ここにきて、やはり老師には、暗記しないと言われるのだ。
っていうか、老師はずっと暗記しなさいと言ってたんだけどね。
そもそも語学は暗記なんだよな(遠い目)
(おいら暗記できなくて英語に落ちこぼれたのでは?)

10代の吸水ポリマーみたいな脳みそと
還暦間近の、びっちゃびちゃの雑巾みたいな脳みそと
一緒にしたらアカンと思うけど・・

問題文に戻ろう。

そんな風にして基礎だろうと応用だろうと歌だろうと節操なくロシア語という言語に取り組んで数年が経った頃、単語を書き連ねすぎて疲れた手を止めたとき、突然思いもよらない恍惚とした感覚に襲われてぼうっとなったことがある。何が起こったのかと当時の私に訊いても、おそらくまともには答えられなかっただろう。それくらい未知の体験だった。
(中略)
今思えばあれは、語学学習のある段階に訪れる脳の変化からきているのかもしれないーー言語というものが思考の根本にあるからこそ得られる、言語学習者の特殊な幸福状態というものがあるのだ。たぶん

なんと『言語学習ハイ』なるものがあるのか!!
学習者仲間に、中国語が楽しくて深夜までやってしまう人がいるが
もはや『言語学習ハイ』の域に達しているのかもしれない。

かく言う私も学習してる時は楽しいのだ。
それは知らなかったことを知れる喜びだとか、覚えていられた喜びとか
発音ほめられたら嬉しいとか、そういうもので
まだまだ『言語学習ハイ』の域には達していない。

筆者は二十歳のころにペテルブルグに行くのだが
元々社交的ではなくて世間話が苦手だったので
会話はてんでダメだったらしい。

試験を受けてもリスニングや筆記は満点なのに
会話だけが落第点だったとか。

つまりは聞き分けのいい犬のようなもので、聞けばだいたいなんでもわかるのに、うまく言葉が出てこないのである。ガウ。

そうか。まだ犬以下なんだな、ワタクシ。
テーブルくらいだな。
食材にもなれないw
(誰が四つ足やねん)

その後筆者は意識的に会話を頑張ったわけではないが
ある時期から言いたいことがあればいくらでも語れるようになったそうである。

まずは言語学習ハイを目指して、ひたすらにガムシャラに
取り組まねばならないのだな。

说起来容易,做起来难


ちなみに問題文の出典は
奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌をー文学を探しにロシアへ行く」
そういや問題文は読んだけど、問は読まなかった。

※今日の内容とちょっと関係あるタイトル画像は、この間食べた鹹豆漿 と油条

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