Bitter Sugar

――その恋は、まるでアイリッシュ・コーヒーの様に
陶酔するほど甘く、ずっと舌に残るほどほろ苦く
そして――決して混ざる事のない、淡い夢だった

「だーっ!!どいつもこいつも!!」
3月10日、私達にとっては何の変哲もないその日、二人きりの部屋に彼の怒声が木霊した。
「まーた叫んでる。これで何回目?」
「だってよぉ!!どいつもこいつも!!」
いつも一緒に遊んでいる友達皆からフラれて気が立っている彼に向け、幾度目かの失笑を向けながら、彼が淹れてくれたカフェオレの残りを飲み干した。

そう、この日は世間一般では“お砂糖の日”。
性の隔たりから解放された昨今、恋愛関係を始め、友人、家族等々、そうした特別な関係を“お砂糖”と呼ぶようになっていた。
そして、今日は3月10日。
砂糖菓子の様に甘い関係を祝う“お砂糖の日”。
お砂糖持ちの友人達からフラれた私達二人は、ラジオ代わりに動画配信者のゲーム実況動画を垂れ流しながら、他愛のない話をしながら駄弁っていた。
「……お砂糖って、そんな良いモンなのかねぇ?」
私に続いてカフェオレを飲み干した彼が、ぼんやりと呟く。
「恋人、欲しいの?」
「んー……分っかんねぇ。俺はみんなと普通に遊んでるだけで十分満たされてるし。」
気怠そうな目線を、互いに宙へ飛ばす。
「……お前はどうなの?やっぱカレシ欲しい?」
「んー……わかんない。私も、みんなと一緒にお喋りしてるだけで幸せだし。」
流し目を送ってきた彼に、同じ回答と、同じ流し目を返す。
「だよなぁ……」
「だよねぇ……」
他愛のない返事を返しつつ、お茶請けのドーナツに齧りつく。
その時――。
「――セックス、は?シたい、って思う事、あるの?」
「んぶふっ。」
突然、爆弾を投げつけられ、堪らず咀嚼中のドーナツを噴き出した。
「いきなり変な事言うのやめて!?」
笑いと怒りが混じり合った声で、彼に噛みつく。
「だってさぁ、やっぱそういうの気になるじゃん!」
「デリカシーって知ってる!?」
けらけらと部屋に響く笑い声。
下ネタ混じりの、いつもの馬鹿らしいノリ。
何も変わらない日常の一幕。
そう、思っていた――。

「……で、どうなの?」
少しトーンを落として、彼は改めて聞き返してくる。
相変わらずこちらに向けてくる流し目には、どこか熱が籠もってる様に感じた。
「…………そっちが先に言ったら、答えてあげる。」
「……」
さっきまで五月蠅かった私達の声は、気付けば動画のボリュームよりも静かになり始めていた。
「……俺さ。恋とか、愛とか、そういうのはよく分かんねぇけど――興味は、あるよ。そういうの。エロい事したい、っていうか――『愛を確かめ合う』為にするセックスって、そんなに気持ち良いのかな、ってさ」
「……ふーん」
滅多に聞かない真面目なトーンでの返答に、つい押し黙ってしまう。
「……ほら、次はそっちのターン」
「……」
「…………言えよ。約束だろ」
「…………」
――気圧された私の唇が、ぽつり、ぽつり、と本心を綴る。
「……私も、シたい、って思う事は結構ある。エッチ自体に対する興味が強い――のも、あるけど。いつかは、好きな人とシてみたいな……って考える事は、たまにあるよ」
「……そっか」
――先程までの明るい空気が嘘みたいに流れる沈黙。
ゲーム実況者の絶叫だけが、静かな部屋に虚しく響く。
その沈黙に耐えられなかった私は――つい、魔が差した事を口走ってしまった。

「――今日だけ、さ。私と……“お砂糖”してみる?」
「……えっ?」

タイミング良く――いや、悪く、動画はそこで終わる。
ドラマみたいに訪れる、完全なる静寂。
流し目で見つめ合っていた私達は、気付けばどちらからともなく、正面を向いて見つめ合っていた。
「……なんて!冗談、じょ――」
「いいよ」
私の誤魔化しを、彼の返答が上書きする。
咄嗟に出てしまった言葉に自ら混乱していた私は、床に置いていた手の小指に、彼の小指が絡みついてきてる事にすら気付けていなかった。
「……本気?」
「一日限りのごっこ遊びみたいなモンだろ。ワンナイトな関係、ってヤツ?それだったら、別に……」
「言い方、最悪……」
悪態を吐きながらも、お互い、視線は釘付けで。
先程まで潤っていた口内は既に乾き切り、水分を欲した舌が、無意識に蠢き始める。
「――で、どうする?」
「………………」
その返事は――言葉でなく、行為で。
今度は私から、彼の手に視線を落とし、指を絡め、艶かしく這わせる。
そして視線を上へ戻すと――今迄見た事のない表情の彼が、目前へと迫っていた。
「■■■■■――――!!」
「――んっ、む……んんっ…………!!」

不意に重なる、二人の唇。
押し倒された私の口内に、彼の舌がぬるりと入って来た瞬間――私の理性(いしき)は、ぷつりと途絶えた。

――フィルムを剥がされたケーキのスポンジを、フォークの背が優しく撫でる。
とろりと溶け出した生クリームは、先端で掬い上げ。
トッピングの苺には、ねろり、ねろり、と舌を這わせ。
お腹を空かせた貴方は――後先考えず、がつがつとケーキを貪る。
空腹を満たす為に。
まるで、飢えた獣の様に――――。

……

…………

――いつ、彼の部屋から出たのか、もう覚えていない。
翌日まで続く、頭痛がする程の罪悪感と、胃がひっくり返りそうな嫌悪感。
そして――ズキズキと響き続ける、心の疼き。
「ごめん」
短い一言を送ってきた彼に、既読マークだけ返した後、カップの底に残っていたコーヒーシュガーを掬い上げ、ザリザリと噛み砕く。

その甘味は――トラウマになるくらいドロドロとした甘ったるさと、吐き気を催す程の後味を、私の舌に残した。

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