猪木に救われた話

※暴力描写を含みます。苦手な方は読まないでください。

暴力はいけない。差別はいけない。
それは分かっている。
しかし世の中には「話が通じない人たち」というのが居るもので、身を守るために暴力が必要な場合も、実際にある。


入学や新しい生活が始まるこの時期になると、どうしても思い出してしまう厭な記憶ではあるが、思い出してしまうついでに猪木の話と絡めて書き出してみる。


1983年4月、小学生から中学生になった。
小学校は楽しく過ごしたが、中学校は小学校の延長ではない、全く別の場所だと、入学して数日で察した。

暴力が支配していた。
漫画に出てくるような「ヤンキー」「不良」というのとは違う、暴力生徒達が学校を支配していた。

親が指定暴力団(暴対法や暴排条項なんて無い時代の)。姓が殆ど全員、同じ。「D」地区。
(名前も出したくないのでアルファベット表記にしてるが、ネットの、ソイツらを見たこともない人達がネットで見聞きしただけで言う「在日」とは違う、ということだけ書いておく)


入学した公立中学校はA小学校とB小学校出身の生徒で構成されていた。
A小学校7割、B小学校3割。

B小学校出身の生徒の4割ほどが「K」という姓だった。
なぜ同じ姓になるのか、今はインターネットがあるので、まあ…

俺はA小学校出身だった。
メガネをかけた普通の、今で言うと陰キャというのか、そういう生徒だった。

中1から見た中3男子なんて、ほぼ大人である。
声変わりもしてるし体格も全く違う。

その、中1から見たら大人である、中3の暴力人間と何かしらの繋がり、それは親戚だったり親同士(指定暴力団)の繋がりだったり、そういうものを持っている1年生は安全圏で暮らせるし、威張ったりする。


入学して半月しか経ってないのに俺はB小学校出身の「K」姓の1人から目を付けられていた。
そのK姓はK軍団の中でも下っ端というか、弱そうではあった。

休み時間等に俺を捕まえて小突いたりしてきてた。

ある日の放課後、教師が居なくなってすぐ、その下っ端の「K」が俺に
「おいメガネ、オレの子分になれ」
と言ってきた。

フィクション以外で「子分」という言葉を耳にしたのは初めてだったしその後も無いが、確かにソイツはそう言った。

これはもう、暴力しかないな。
叩くならコイツだ、
ということは入学してからの半月ほどで感じてはいた。

ソイツが「オレの子分になれ」と言ってきた場所は教室の後ろ部分で、
つまり、空間があった。

一発顔を殴った。ソイツは「痛え」と言いながら、俺に背中を向けた。

背中を向けたソイツの後ろから、俺はソイツの右眼に右手の指を入れた。
数秒、右眼に指を入れたあと、指の腹を眼球に擦らせながら、指を抜いた。
ソイツは叫びながら、右眼を押さえながら床に倒れた。
倒れたソイツの顔面を下から、つま先と足の甲を使って、何度か蹴り上げた。
ソイツは顔面を下にして床に蹲ったので、後頭部を足で何度も踏んだ。この目的は「鼻血を出す」ためである。
「眼の中に指を入れた」目的は「戦意を喪失させるため」である。

この一連の自分がやった暴力行為を、何故か俯瞰で見るように覚えている。
脳は記憶を書き換えるので正確ではないかもしれないが、やったことはだいたい合っていると思う。

失明など、相手に大きなケガを負わせることなく、大量の鼻血で教室の床を赤くし、
タイミング的に、他の生徒にもその光景を見せることに成功した。

もちろん、間違っている。
暴力はいけない。
しかし、そうする他なかった。

この行為のおかげで中学校3年間、親が指定暴力団の暴力人間たちから決定的なイジメ等を受けることなく、地域の進学校に入学できた。
あの「K」のような人たちがたくさん居る地域から逃げるためには、その進学校に入学するしか方法が無かった。
人生で一番、中学校の3年間が勉強をしたと思う。

高校以降は楽しく過ごせた。


俺が中1の4月にやった暴力行為を書いたが、
俺は喧嘩が強いわけでも、喧嘩の経験が多いわけでもなかった。
もちろん、格闘技の経験があるわけでもない。

ただ、プロレスを小学生の頃から見ていた。
新日本プロレスが金曜8時のゴールデンタイムに生放送中継をやり、「太陽にほえろ」「金八先生」の裏番組でありながら、視聴率20%以上を取っていた時代なので、多くの男子はプロレスを見ていた。

うちは祖母(極悪非道)がプロレス好きだったので、小2の頃には祖母とプロレスを見ていた。

その、小学生の俺の心を掴んだのは、アントニオ猪木だった。

アントニオ猪木はアスリートでもヒーローでもなかった。

映画やドラマでいえば主人公的な立場なのに、子どもの目から見ても分かるくらいの、あくどいことを、汚いことをプロレスの試合中にやっていた。

小学生の俺は猪木にハマった。
週刊プロレスになる前の月刊プロレス等、大人も読むようなプロレス雑誌を小学6年生までにたくさん読んだ。

猪木についての文章を読んでいくと、「猪木は試合中に相手の眼の中に指を入れたことがある」くらいのことは分かった。


プロレスは皆さんが知っている通り、試合結果はだいたい試合前に決まっている。
「八百長」とか「ショー」というものではなく、だいたい決まっている。
だから毎日、試合ができる。

だがアントニオ猪木は、「話が通じない相手」と試合をやっている。

有名な相手は以下の3人である。
・モハメド・アリ(現役のボクシング世界ヘビー級チャンピオン)
・パク・ソンナム(韓国の有名プロレスラー)
・アクラム・ペールワン(パキスタンで最も有名なプロレスラー)

このうち最も話が通じなかったのはパキスタンのアクラム・ペールワンで、試合開始直前に「じゃあもう、ガチで(リアルファイトで)やろう」ということになり、猪木はこの試合中に相手の眼の中に指を入れている。

「相手コーナーとテレビの死角を選んで」と書いているが、しっかり写真は撮られている

上記のことは大人になってからハッキリと知ることができたが、昭和のプロレスファンは薄っすらと、この事実を知っていた。


そういうこともあり、喧嘩も格闘技も知らない、父親もいない家庭の、ヒョロヒョロの陰キャの中1の俺が暴力人間の一味(弱いやつ)に対してどうにか暴力で対処でき、無法地帯な荒れた時代・荒れた地域の中学校生活を何とか潜り抜けることができた。


同時代の長嶋・王貞治のような子ども達のヒーローと猪木が決定的に違っていたのは
「汚いことをやってもいいんだぞ」
「逃げてもいいんだぞ」
というヒーロー的には矛盾することを(言葉では言わないが)テレビを通じて伝えていたこと。


中学生になると洋楽に目覚めていたのでプロレスはもう熱心に見てなかったが、小学生までに見た猪木のことは覚えていた。

猪木はスポーツライクなプロレスの天才であったが、同時に
「パフォーマンスとしての暴力」を見せるプロでもあった。


一昨年、猪木が亡くなった後、テレビ等で多くの方が猪木について語ってて、
確かワイドナショーを見た知らない人がツイッターで
「みんな、自分の話ばっかしてんじゃん。お前らの話じゃなくて猪木の話をしろよ」
と言ってたのを覚えてるが、

「猪木の話=自分の話」になるのだ。
分からんのか。


いや、猪木に限らず、

凄く好きな、影響を受けた人のことを話す時、
みんな「自分の話」をいつの間にかしてしまっているはずである。


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