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愛しのマルガリータ(前編)

琥珀に色づく銀杏の葉。ひらひらと像の周りを舞い降りて、秋のじゅうたんの一部となる。

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例年美しいと思っていた全てが、今の僕の目には寂寥の景色に映る。
時の流れに身を任せ散り行き地面に散り積もるその様が、寂しく、虚しく、そしてじんわりと、悲しい…。

【本日のお客様 七星さま。 44歳。 大学教授】

扇子の要のような壇の上。そこで僕は生徒たちに囲まれながら授業をする。
煩悩まみれのお坊さんが、口先だけでお経を唱えるように、慣れて身に染み付いた言葉を、ただ口から出して羅列する。
なんとなく虚しい。その感覚がいつも僕の心を捉え、離さない。

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ガチャン。
後ろのドアからボサボサ頭をした生徒が入ってきた。
彼は三島君といった。牛乳瓶の底の形をしたメガネをかけており、いつも目を細め口を尖らせている。背を丸めひょこひょこと独特な歩調で歩くさまは、まるで尺取り虫のようだ。
彼はなぜか僕にお菓子を持ってきたり、頼んでもないのにおすすめの本を貸してくれたりする。女子生徒だったら僕に気があるのかと喜ぶところなのだが、変わり者の男子生徒からだとどう受け取っていいのか正直よくわからない。

いつものように、遅刻して入ってくる彼の姿がなんとなく視界に入ってきたが、今日は思わず2度見した。

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彼は大事そうに黒い子猫を抱えていた。子猫は彼の腕から首を出し大人しく埋もれている。
三島青年は何食わぬ顔で席に腰掛けると、猫を膝におき、左腕で抱えながら授業を受ける。猫に気付いた生徒たちが、チラチラと振り返ってはその魅惑のもふもふに悶絶している。
僕は彼が飼っている猫を大学に連れてきたか、もしくはどこかで拾って仕方なく連れてきたか、大方まあそんなとこだろうと想像すると、気に留めることもなく授業を進めた。


授業が終わると、猫を抱えたしゃくとり虫がひょこひょこと壇へ登ってきた。そして三島青年はニコニコと満面の笑みを浮かべ、さらりと僕の度肝を抜く。
三島「先生、この子をよろしくお願いします」
そういって三島くんは黒猫を差し出した。
七星「え…飼い猫じゃないの?」
三島「ええ。わざわざバイトの友達の友達のところまで訪ねて、もらってきたんですよ。ちょうど引き取り手を探していたみたいなので」
七星「…君が育てないの?」
三島「ええ。先生にプレゼントしようと思いまして」
お菓子や本だけではなく、ついに生き物まで渡してくるなんて…。
この青年が一体何を考えているのか考えれば考えるほど三島ラビリンスへ迷い込む。
三島「ずっと一緒に暮らしてた先住猫がいなくなったんですよね?」
七星「…」
三島「ただでさえセンチメンタルな季節に、大層孤独に心をえぐられているかとお察しします」
彼は出てきた鼻をズズッとすするとまたニコニコと悪意なき笑みを浮かべる。
こういう邪のない迷惑人間が一番面倒だ。
七星「気持ちは嬉しいんだけど、猫は引き取れないよ」
三島「僕は先生のウィットに富んだ授業がまた聞きたいのです。この子なら先生の傷をチロチロと舐めて治してくれるでしょう」
三島君は柔らかく微笑むと猫を撫でる。
やはり邪のない迷惑人間が一番面倒だ。
七星「そんなこと言われても…」
三島「この子、雌猫なので、雄猫と違って出て行くことはないと思います。ああ、先生の家の猫も、女の子だったかもですが」
その意味深な言葉に一瞬ハッとした。
数日前も三島君に元気がないと指摘され、ずっと一緒にいた猫が出て行ってしまったからだ、とは答えた。…しかしそれ以上は何も言っていない…。
七星「…君は…」
三島「では、大事にしてあげてください」
三島くんはそういうと、強引に猫を僕へ押し付けバネが弾むようにビョンと勢いよく外へ出て行った。
僕はあまりにも身勝手な奇人の行動に「はあ」と深くため息をついた。しかし僕の腕の中でちょこんと丸まり、わずかに震えながらこちらを見上げる子猫を見ると、あまりにも可愛らしく、か弱く、愛おしく、僕はたちまちその黒いもふもふに骨抜きにされた。
安心させるためにとりあえず何か食べ物をあげようかな。
七星「お前、お腹は空いたか?」
猫は、答えるように小さく鳴いた。
猫「うに」
一瞬、僕は顔をしかめた。
耳の調子が悪いのか、海に生息するハリネズミを指す日本語に聞こえた。
気を取り直しもう一度聞く。
七星「お腹、空いた?」
猫「うに、うに」

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その時だった。
突如猫が消え、目の前の視界が歪み、吹雪のように銀杏の葉がぐるぐると舞い狂う。


気づくと、僕は見知らぬバーにいた。
動揺して当たりを見渡すが、やはりここは紛れもなくバーの入り口だった。
七星「ここは一体…」
すると、奥から中国の弦楽器、二胡の美しい音が聞こえてくる。染み入るような寂しさに、慰めるような優しさが垣間見える曲。どうしてだろう、この不思議な体験中にもかかわらず何故か心が落ち着いていく…。僕は取り憑かれたように一歩一歩、奥へと入っていった…。

続きは来週月曜更新です!
(モデルのHさんに感謝です!)


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