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冷徹な血のメアリ(最終編)

数ヶ月前、取引先に新商品の口紅のプレゼンをしにいった時だ。
何度か安藤を連れて行き、私のプレゼンを繰り返し見せ、いよいよ安藤1人でプレゼンをする日が来たのだった。
安藤はLGBTがより楽しくメイクをできるように、という企画をかねてから用意しており私もこれからのジェンダレスの時代に向けた良いプレゼンになると期待していた。


安藤が緊張する手をおさえ、勇気を絞り出して声を張ると、

取引先から
「メイク離れした20代女性向けのコンセプトだって口を酸っぱくして伝えていたはずですが?」と言われ肝を冷やした。

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上からは「新しい時代向けのメイク」というコンセプトだと聞いていたため、私は安藤に任せたのだ。「新しい時代=コロナ渦でメイク離れした女性たち」ということだったのだろうか。自由にやっていいと聞いていた私は安藤の初舞台を設定したのだった…のに…。


私はすぐに切り替え、培った営業力でフォローをした。

しかし結果は敗退で、部長から理不尽に叱られた。「自由」という言葉には何かしら制約がる。それは必ず確認しなければならないものだった。私は安藤の心を傷つけるリスクを考えず、LGBTであることをネタにプレゼンさせてしまった。

自分をネタにする企画ほど、失敗した時に精神的に堪えるものはない。ましてやLGBTというセンシティブな内容を…。

初戦のプレゼンは失敗したが、失敗なんてザラにある。私は次回に繋がればいいと思っていた。


だけど、契約社員に次回はなかった。


安藤は、正社員登用の話がなくなり、そのまま契約終了になった。私は慌てて人事に交渉したが、ただの正社員が契約社員を守ることなんて到底できるはずもなかった。

たった1つのプレゼンで…。私のその感覚は、間違っていた。安藤にとってはたった1つしかないチャンスだったのだ。化粧品業界は契約社員がとても多い。あと一歩、あと一歩と踏み出し、身を削って努力してきた安藤を、私は軽い気持ちで潰してしまったのだ。
いくら戦っていると言ったって、所詮私は正社員で、この不景気の中でも安定が保証されている。

腐りかけたトマトのように私の心も、考えれば考えるほど黒く侵食されていく。そんな私の顔を見て、鯉夏さんはその心地のいい声で話しかける。
鯉夏「噂は信じるものではなく、楽しむものだよね」
みなみ「え?」
鯉夏「当時、メアリー1世の様々な悪評が出回ったんだ。ありもしないことも沢山」
みなみ「…」
鯉夏「悪意あるデマの醍醐味は、一人歩きした噂が事実にされてしまうことだよ」
みなみ「それはどういう…」
鯉夏「みなみさんが、契約社員にミスを押し付けてのし上がってきたっていう嘘を皆が信じてるってことさ」
私は安藤の言葉を思い出した。

安藤「契約社員の定めなんですけどね。正社員のミスをなすりつけられるのは。みなみさんはそうやって今まで後輩に罪をなすりつけてのし上がってきたんですよね?!」

確かに、安藤が契約終了になったのは私のせいかもしれないが、私は決して安藤のせいにはしていない。
鯉夏「もう一度言うけど、安藤くんが契約終了になったのは、あのプレゼンが原因じゃないよ。会社の業績悪化が原因だった。それをみなみさんが自分のせいかもと引きずっているから、そこに漬け込んでこういうデマを流した人がいる。安藤くんはデマを信じてしまったのかもね」
私はため息を漏らした。こういうことはよくあるから慣れてはいるが、今回の噂はタチが悪い。
みなみ「まあ、誰が何を流そうと、私は今まで通り…」
遮るように鯉夏さんは声を張って言葉を放つ。
鯉夏「無理にとは言わないけど、安藤くんだけには誤解を解いた方がいいよ」
みなみ「…まあでも安藤は辞めた人間だし」
鯉夏「いなくなった駒は関係ないと言うのならば、前のみなみさんと同じだね。一緒に仕事する人を大事にするんじゃなかったのかい?」


私は顔をあげて鯉夏さんを見ると、思わずハッとした。
悲しい記憶の海と、寂しい刻の影がその瞳に淡く映っている。
セピア色の切ない過去を心のどこかに眠らせて、彼女はどの灯火よりも温かく微笑んだ。
鯉夏「安藤くんにうまく話せるといいね」
すると鯉夏さんは、後ろにある大きな窓を開けた。前髪がふわりと一斉に持ち上がり、頬に触れる夜風が火照りを奪ってゆく。

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外は息を呑むほど壮大な夜空が広がっていた。そこらじゅうに散らばる星が各々の光で輝いていている。鯉夏さんは私を手招きすると目を細めて空を見る。
鯉夏「まだ銀河鉄道が走ってないから見えるかも。まあ気分良い物じゃないかもだけど」
私は鯉夏さんの隣へ行くと一緒になって目を細める。
鯉夏「あそこ、薄い雲が見えるだろう?」
帰りそびれた夕暮れ雲が、まだ少しだけ残っていた。その雲の隙間から何かが反射しているのか映像が見える。
その映像が何かわかると、私は固まり、しばらく夜風にふかれていた。
みなみ「これは…」




気づくと、どろどろの化粧をした安藤が私を心配そうに覗き込んでいた。
まだ私の脳内ではあの無垢な瞳をした猫がバイオリンでマイケルジャクソンの「BEN」を奏でている。
私は上体を起こそうとするが、嫌な痛みがお尻を駆け抜け思わず「う」と声が漏れた。
安藤「だ、大丈夫ですか…?」
安藤は冷えた細い指先で私の手を引くと、気まずそうに横をむく。
街頭は黄金色に輝き、夜空はキャッチの色とりどりの宣伝文句を静かに吸い込んでゆく。
私はあたりを見渡し、元の場所へ戻ってきているとわかった。徐々に頭のネジが回転し始め、物事を整理する。
安藤は私の無事を確認すると、ゆらりと立ち上がり、背を向けて歩き出す。
みなみ「待って!」
私は思わず叫んだ。
みなみ「安藤には噂より私の話を信じて欲しい!だから聞いて!」
私は、崩れた姿勢で必死に安藤を引き留めた。白い吐息が口から出ては寒さに凍えて消えてゆく。安藤は背中を向けて静かに震えていた。
みなみ「時間をくれないかな…?安藤とは、これからも戦友でいたいの…」


何度、吐息が登っては途中で弛んで空に飲まれていったのだろう。
指先は凍えて感覚を失っていくのに、胸のあたりはドクドクと音を鳴らして熱くなっていく。
冷気の中を小さく消えそうな声が一縷の光のように私を照らした。


安藤「僕も戦友でいたいです。聞かせてください、みなみさんの話…」


安藤は振り返ると、私を真っ直ぐに見つめ、泣き出しそうな笑顔を浮かべた。


*エピローグ*


鯉夏「おお、修羅場だねえ」
さてさて、今回のお客様は竹川みなみさん、通称冷徹の女王だったね。
今、ナチョと湖畔で夕暮れ雲を眺めているのだけど、ちょうど彼女が映っているんだ。
どうやら大量の仕事を同期の菅原由依に押し付けているみたい。
何を話しているのか耳を澄ませてみたら激しい戦闘を繰り広げていたよ。

みなみ「噂、1つ間違ってるよ?同期に仕事押し付けてのし上がる、ってことに訂正しといて」
由依「…は?何言ってんの?」
みなみ「今までは目瞑ってたけど、今回のデマはタチが悪いよ。噂流したのあんたでしょ?」
由依「いきなりなんなの?濡れ衣なんだけど。てか証拠あんの?」
みなみ「あんたが言いふらしてるとこ見た。誰に、なんて言ったかも知ってる」
みなみさんはボソリと呟いた。
みなみ「夕焼け雲に映ってた」
由依「いい加減なこと言わないでよ」
みなみ「別に怒ってないよ。これからも噂を楽しんでもらって構わない。けど、今度、私が信頼してる人間を傷つけた場合、あんたを敵だとみなして排除する。覚悟しといて」
みなみさんは剣のような瞳で菅原由依を刺すと、長い髪を揺らしてなんだか少し気分よさげに歩いていったよ。
どうやら安藤くんとまた関係が戻れたみたいだね。

ナチョはさっきから空へ向かってバイオリンで「BEN」を奏でていてね。野原のネズミたちがナチョの周りに集まってきてるんだけど、ナチョは演奏に夢中で気づいてないみたい。

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BENはマイケルジャクソンがまだ幼い時に歌っていた曲として有名だね。友達のネズミ「BEN」を想って歌った曲なんだ。まあネズミが人間を襲うパニック映画のテーマ曲としてリリースされたのだけれどね。

ともあれ、私はこのフレーズが好きでね。
「Ben, most people would turn you away
I don’t listen to a word they say」
ベン、たくさんの人が君を追い出そうとするけど僕は彼らの言うことは聞かないよ。

そういう友人が1人でもいれば、周りの皆が敵だとしても強くいられると思うんだ。
きっと残虐の女王メアリ1世にも、そういう存在がいたんじゃないかって勝手に想像しているんだけどね。

今日はここまで、また来週飲みませう。


(次回は「ちょっちゅね」が口癖の88歳の会長が来店予定。この男性、ちょっとエッチ。「銀座のサキュバス」と呼ばれるホステスを本気で口説こうと頑張っていてね。では来週月曜、また一緒に飲みませう♪)

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