見出し画像

素直になれよ、オトコたち!なエストニアンムービー。

私と同じ顔の、おじさん」エストニア🇪🇪

ちょっと風変わりなタイトルの本作品。おじさんって誰やねん、と言いたくなるような。

離婚の経験からなかなか立ち直れない音楽評論家フーゴの一番の望みは、静かな日常の中で書きかけの本を完成させること。ところが、元ジャズマンで奔放な父親ライヴォが突然やってくると、生活は次第に思うようにいかなくなる。(イベント公式サイトより転記、若干追記)

えーとですね、このフーゴという主人公がそもそも曲者でして。超超超こじらせ男!なんですわ。

えーい! 35才の男が、なに、ウジウジしとんねん! (色々)ハッキリせんかい! と私でも言いたくなるような。

ですので、独り住まいでウジウジしている息子のところに父親がジャマをしに来て、というより、発破をかけに来たって意味では良い薬になったのではないかと思います。

しかし、この父親もなかなかのもので、超自由人にして、歯に衣着せぬ物言いで、多分それもあるのか結構周りからウザがられている孤独な老人。自分はガンで余命いくばくもないとか平気でウソもつくタイプ。

そんな二人がそれぞれ違った形でしっくりくるのがセラピストのマリアンという女性なんですが、彼女がまた鷹揚な人で、彼女がいなければ、この父と息子は交わろうとすらしなかったんではないかと思います。

二人の間にいる(はずの)母(フーゴの母、ライヴォからしたら妻)の存在がない分、潤滑油的役割が、今回はそのセラピストの女性だったのかもしれません。

ダメ親父に、それに不満を持つ息子のやりとりって、ストーリーとして、新しさはないけれど、彼らの行き違いやわだかまり、交流、そして打ち解け合うまでが描かれているのは、笑えるけど、痛々しくもあって、こういうお悩みは全世界共通なのねと思いながら見ました。

***

父と娘、父と息子、母と娘、母と息子の親子系交流物語の割合を考えてみると、あくまで私調べですが、同性同士のストーリーが多いなぁと感じます。同じ男だからわかる、女だからわかる、親子ってそういうものよね、と持っていく話が多いような。

また、そのどれにも共通するのが、親がバカやって、それを子どもが諌める系が多いかと。特に父親か。

なんだろう、子も親もある程度の年になると、バカでもやってみないと素直になれないっていうのか、そうでもしないと、歩み寄れないところまでお互いガチガチに身も心も固まってしまってるんだろうなって。

子が昔、親にそうしてもらったように「お父さん(または、お母さん)、もうよしなよ、バカすんなよ」って宥めて、諭して、親子の関係が深まるって言うの? そうまでして初めて、お互いに素直な気持ちに戻れるのかな。

今回の映画を見て、そんなことを感じました。

私はエストニアは首都のタリンしか訪れたことはないのですが、この映画に時折映し出される草原や海辺の景色が、エストニアらしいというのか、微妙な光加減が美しく、本作品をやさしく彩っていたように思います。

私と同じ顔の、おじさん。「おじさん」は父ライヴォのことを指すと思う。でも何でおじさん? それは本編を見て、感じてほしいです。私もよくわからないのです。多分ライヴォとフーゴは血の繋がった親子だと思うんですけど、本当の本当は、どうだったのかなって。それが、ラストのフーゴの将来にも関係していて。

2018年59本目。EUフィルムデーズ4本目。京都文化博物館にて。

#映画 #cinema #シネマ #感想 #レビュー #エストニア #EUフィルムデーズ #私と同じ顔のおじさん #note映画部

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?