見出し画像

純文学への扉が開いた瞬間

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読みました。
この作品は、他の小説よりも思い入れがあって、僕の純文学の出会いがこの作品でした。(こんなこと言ってますが、これを読むのは今回2度目です)
この作品の感想を書く前に、まず純文学とは何なのか、僕の中の定義を書きたいと思います。

純文学とは
うろ覚えなんですが、中原昌也という小説家が、純文学とエンタメ小説の違いを書いていたのですが、それがすごく的を得ているなと思ったので、以下に記します。杖のおじいさんの話です。

ある男が、おじいさんを見かける。急な階段を、杖を使って登るおじいさんだ。この時、エンタメ小説だったら、彼はこのおじいさんに手を貸すだろう。けれど純文学だったら、彼はこのおじいさんを上から蹴り落とすのだ。

すごく不謹慎な話ですけど、純文学とエンタメ小説を分ける説明としては、いい例えだと思いました。
エンタメ小説は共感が大切で、おじいさんを助けるというのは、多数派が持つ道徳に即しており、安心します。けれど、純文学は違って「なんでそうなるの!?」と、全ての人間がその理不尽さに不穏さを感じ、眉をしかめ、不安になります。これが純文学です。純文学には、守るべき道徳や共感なんて必要ないんです。純文学に必要なのは、なぜそうなってしまったのかという複雑な因果関係です。この場合、彼が問題なのではなく、何が彼におじいさんを蹴らせたのか、ということです。それは、読者が安易に納得できるような物語ではダメです。
マジョリティな道徳を持つ人を描くのではなく、マイノリティーな歪んだ道徳で生きる人を描くのが純文学です。
けれど、ただそういう人を描くだけでは、エンタメ小説になります。繰り返し書くと、なぜそうなったのか、この因果関係が大切で、このつながりが、あまりに作者の妄想による作為的、誘導的なものであったらダメなんです。では、どうであればいいのかと言うと、因果関係の原因の部分は、私たちが実際生きている、この社会に絡めないといけないんです。
なぜ、こんな歪んでしまった人間が出来たのか、それを社会に問うのです。

現実社会は今、過去に前例のない、こういう問題を抱えていて、こういうケースがある。その影響で、皆が知っている既存の道徳は歪み、こういう人間が生まれてしまった。

という新しいモデル、人間の生き方を示せるかどうか、これが大切です。このモデルが前例的で、すでにある型にはまっていると、驚きや新鮮さはなく、純文学としては、つまらなくなります。
杖のおじいさんの話をまた出すと、純文学が描くフィクションは、なぜ彼がおじいさんを蹴り落としたのかは分からないけれど、彼が置かれていた環境、もっと包括的にいえば、作品の舞台となる社会に皆生きていれば、自分の隣人が彼のようになってもおかしくないし、最悪自分がそうなるかもしれない、いやもうそうなってしまっている、という不確かで捉えきれない構図を、リアルに痛切に描こうと挑戦しているのです。
ですから、純文学の作家には、一歩引いた、傍観者みたいなところを感じます。物語を自ら創るのではなく、物語を外から見つけ、それを仔細に観察し、自分なりに精一杯書いているっていう感じです。
あくまで、この純文学の定義は、杖のおじいさんの話から考えた、僕の定義です。でも、これにあてはめてみると、限りなく透明に近いブルーも純文学になります。

小説内容
横田基地。米軍の基地として有名であり、東京都の福生市にある。主人公のリュウはここで一人暮らしをしていた。上京して約1年になる。彼は学校に行かず、仕事もせず、この町で退廃とした生活を送っていた。リュウの周りには、ドロップアウトした若者がたくさんいた。彼らとは、ジャズやロックのレコードがある友人のお店で集まり、日常的に酒やドラッグに溺れていた。
リュウには、この集まり以外にも、別の繋がりがあった。横田基地で兵士をしている黒人たちである。リュウは黒人たちに自分の周りの女を斡旋し、定期的に乱交パーティーを開催していた。見返りはドラッグだった。彼らはドラッグでラリッて、黒人男、白人女、彼女、彼氏、友達の彼女、相手など誰彼かまわずセックスをして、気に入らない奴はボコボコにして、痴話げんかをして、リストカットをして、大音量でロックとジャズを聴いて、汚物のなかで眠る。そんな毎日だった。
ある日、リュウに異変が起こる。いや、ずっと起きていた。恐怖である。
時代の流れは、社会への反抗だった。それがかっこよくトレンドだった。その象徴が、ロック、ジャズであり、ドラッグだった。反抗していたはずが、いつしか彼は堕落しきっていた。生きる気力がすり減り、いつしかなくなっていた。腐敗した彼を社会が飲み込む恐怖。それが突然、彼の目の前に形として現れたのだ。それは、黒い鳥だった。黒い鳥に飲み込まれそうだった。暗い夜の中、彼は部屋を飛び出して、逃げた。躓き転びながらも、走って走って逃げた。途中、草むらの上に倒れた。口の中には草や虫が入り込み、虫の足のギザギザが口内にひっかかるのを感じながら、彼はポケットに手を突っ込んだ。ポケットのなかにはガラスの破片が入っていた。部屋の絨毯に落ちていたそれをポケットに入れていたのだ。部屋を飛び出す前、腕に突き刺したせいか、その破片の縁は彼の血で汚れていた。それを眺めていると、目の前で空が白み始める。ガラス越しに見る、影のような町は、肉眼でみるのと違い、なだらかに起伏し、優しい曲線に見える。それは、彼女の白い腕の曲線だった。彼は思う。自分は、この腕に優しく包まれていたのだと。

血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。

彼は、このガラスみたいになりたいと思った。彼自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。
リュウが龍になる瞬間である。

まとめ
村上龍の小説を読んでいると、毎回僕は、彼からのメッセージを受け取ります。

今、僕たちはこんな社会で生きている。理不尽で、つらいこともたくさんある。でも、現実から目を背けてはダメだ。この弱肉強食の世界で勝てるのは強者で、強者は常に現実を見て、情報を得ている。これを聞いて、自分は弱者だと思うもの。絶望することはない。僕の小説には、現実と、それを生き抜くための知恵が書かれている。本当のことしか書いてないから、読んでいてつらいかもしれないけれど、君たちに見せたいのは一つなんだ。
それは、希望だよ

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5

ツチノコ

小説を読むのが好きです。 本を読んで感じたことなどを書きます。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。