人生ドン底のニートが1年後に東京外国語大学でチアリーダーになった話

 
国際社会学部/東南アジア第一/インドネシア語
北村暁将

受験生の皆様、Selamat siang
国際社会学部インドネシア語専攻1年の☀️あさひ☀️です!

僕の合格体験記はかなり特殊で、普通に生きていれば経験することは無いです。

誇張はいっさいなく、少々長いですが最後まで是非読んでください。

外大合格までの長いお話

まず、僕が日本大学習志野高校を卒業したのは2020年の3月でした。RAMS同期の34期はほとんどのメンバーが2023年3月に高校を卒業している為、同期より3年早く高校を卒業している事になります。

現役時、特に行きたい大学もなかった僕は全く勉強せず将来役に立ちそうだと思って適当に経済学部系統を乱れ打ち受験して、幸運にも駒澤大学さんに拾っていただきました。

新しく始まるenjoy lifeを楽しみに喜んで入学をしました

しかし、待ち受けていたのはコロナウイルスの蔓延によるあまりにも過酷な学生生活でした。
高校の卒業式も無し、大学の入学式も無し。大学一年生の時に、大学に足を踏み入れた回数はたったの2回。
当然、全くenjoyなどありません。

毎日のオンライン授業という受動的な教育体制に耐えられず、毎日を掛け持ちバイトで過ごし、なんの成長もない、いわば時が止まった毎日を送っていました。
唯一成長したとすれば、この時期に自動車免許を取ったことですかね笑

こんな状況でもしっかりと学生生活を謳歌しようとしている高校の同期たちを見て、さらに自己嫌悪は加速、、、

彼等はしっかりと大学生活を謳歌し、今や大学四年生。それぞれの進路について立派に行動しています!厳しいご時世に大学生活をやり抜いた彼らには尊敬の念しかありません。



さて、話を戻します
バイトの方が楽しくなってしまって、オンライン授業はほとんど出席もせずバイトに行き、バイトの仲間と朝までボウリングやカラオケ、ダーツ、ドライブ、さんざん遊び呆けて、2年生に突入。この時期はそこそこenjoy lifeだったと思います(後悔することになりますが、、、)

今年から少しずつ対面を増やすだのなんだのと大学から連絡が来てましたが、馬(鹿)の耳に念仏。
すでに手遅れでした。

この生活はさらに一年続き、気づけば留年がほぼ確定。この2年の自分の振る舞いを死ぬほど後悔。人生全てが嫌になり何も考えずに親に無断で大学を休学!!!思い切りが早い!素晴らしい!

なんてことは当然ありもせず、休学はすぐに親にバレて激怒されましたが、「この一年でお金を稼ぎながら、自分がやりたいことを探してみたい。」と言い訳をしました。

そんな事宣言した割には、4月からはバイトの回数すら減り、毎日朝までゲーム三昧。
社会の最下層へ近づいているのを日々自覚し、急に押し寄せる不安に駆られる毎日を送りました。

自分が悪い事がわかってるからこそ本当に辛く、それでもコロナのせいだとして自分を正当化して正気を保っていました

そして4月末、このままだと本当に人間として終わるという危機感に促され、何度も自分のこれからの人生について考えました。
高卒でスキルもないまま就職、お金を貯めて留学、等様々な案が浮かんでは潰れ、最終的に1番現実的な案が残りました。

①このまま大学に戻ったところで、結局留年。留年したら終わり
②なんとか留年を避けたところで付け焼き刃の無能のまま社会に出ることになってしまう
③元から語学には興味があった。色んな言語を学んでみたい
④大学をイチからやり直すのもギリまだ間に合うのではないか
⑤忙しい大学生活はきっと素晴らしい

ざっくり説明するとこんな感じの理由で僕は5月には東京外国語大学国際社会学部インドネシア語を第一志望に設定し、人生2度目、年齢的な面も考慮して最後の大学受験に挑戦することを決めました。
外大に決めた当初は朝鮮語志望でしたが、5月にはインドネシア語を志望していました。理由経緯はしっかりありますが、かなり長くなるのでここでは割愛します。



そして5月からは、親には受験のことを隠しながら、大学2年の5月から続けている塾講師のバイトと並行しつつ自身も受験勉強を開始
更に、狂いまくった生活リズムを整える目的で朝6時からカフェのバイトを掛け持ちで始めました
アルバイトで月16万を稼ぐ月なんかもありました笑
そして、余った時間は受験勉強に全て充てました。

今までの人生で間違いなく一番濃い1年の始まりでした


正直、かなり辛かったです
受験からは2年のブランクがあり、そもそも現役時も殆ど勉強なんかしてなかった為、試行錯誤しながらとにかく机に向かいました。

自分には正真正銘後がない、まさしく背水の陣で落ちた時のことを想像して本気で「死」を考えることも少なくなかったと思います。
その恐怖があったからこそ、妥協せずに受験勉強に打ち込めたのかもしれません

毎日毎日同じようなスケジュールをこなし頑張ってはいましたが、模試の成績は振るわず、DとEが連続。
時効だから言いますが、外大受験を決めてすぐに受けた河合塾記述模試の英語偏差値は50もありませんでした笑

これは僕の一種の強みかもしれませんが、ここまで模試にブチのめされても模試の成績はあまり気にしてませんでした。

これだけやって伸びてないはずがない、英語も世界史もかなりできるようになったんだ、って自分でわかっていたからです。

模試なんぞの数値に惑わされず毎日努力し、
12月には明治、早稲田、慶應の過去問で十分に合格点が取れる実力が身についていました。
同時に、明治、早稲田、慶應の受験も決定。

この頃になってようやく親に受験のことを話し、
「受験料及び学費は奨学金やバイトを利用し自分で出すこと」
を条件に承諾を貰いました。
私立大に2年も通わせて、そこを辞めてまた大学に行きたいなどと言い出しても、親は応援してくれました。
本当にいい親を持ったと思います。



そして8ヶ月はあっという間に過ぎ、ついに共通テスト本番を迎えます。

、、、過去問の出来がかなり良くて調子に乗っていたのか、結果は良くありませんでした。

英語、国語は本番で過去最高点を記録したものの、その他の教科は振るわず、目標点からは大幅に足りず共通テストリサーチの判定はD

外大への思いを捨てきれなかった僕は、泣く泣くインドネシア語を諦めて前期B判定の出ていた東南アジア第二地域に志望を変更し、最後の望みをかけて出願しました

共通テストを引きずったのが悪かったのか、早稲田大学、慶應義塾大学は全落ち。

かろうじて明治大学は合格したものの学費や年齢等を考慮して再考した結果、進学するつもりは無かったので僕に残された道は外大合格のみでした。

一月、二月には外大の過去問もかなり慣れてきて、リスニングとスピーキングは特に重点的に対策を練りました。


二次の過去問もまぁ取れるようになってきたし、、、
志望も落としたし、、、
点数を計算した感じ、なんとか引っかかるだろう、、、
そう信じて当日を迎えました。

実際、前期試験の手応えは悪く無かったような気はしますが、結局合格の二文字は頂けませんでした。
ポケモンバトルで負けた時、画面にどんな表示が出るか知っていますか?
「めのまえがまっくら」になるんです。

その日は一日中ベットにこもって寝てました。3日ほど立ち直れず引きこもって考えていたのですが、
「この一年結構頑張ったよな」
「この一年のように、大学に戻っても頑張れるかもしれない」

1年間の努力はしっかりと自信へつながっていることに気付いんたんです。

人生は甘くない、ここまで努力してもどうしようもないこともある、いい経験ができた、と次に進むことを決意し親に不合格を伝え、駒澤大学の復学届を取り寄せました。
ここで、蜜の濃い1年間の受験生活はいったん幕を閉じることになります。

後期試験の存在を忘れていた訳ではありません。ダメ元でしっかり出願していました。

前期ですら受かるかどうか瀬戸際、後期は倍率も受験者のレベルも高くなる。
前期にしかチャンスはないと確信していたので、後期は本当に「とりあえず」出願していました。だから、前期の発表を終えた瞬間僕は受験生活に終止符を打ちました

「どうせ前期しか可能性ないし後期なんてどこに出しても同じ」と思い、1秒たりとも迷わず第一志望のインドネシア語に出願。

復学して3年生から頑張る覚悟もできていたので受験がまだ残っているという意識は無く、
後期試験の対策など全くせず、過去問すらも一見もせずに後期試験前日を迎えました。

その日はバイト先にいましたが、
「そういや明日が後期試験だったな。外大行くこともこの先無いだろうし記念で受けとくか」とか考えてました

受けに行くかどうか前日ギリギリまで悩みましたが、なんやかんやで当日受けに行きました。

結局後期の問題をぶっつけ本番で解くことになりましたが、当日受けた感想は「あれ、思ったよりだいぶ簡単だったな」です。
僕は時間を30分程余らせて、余った時間で自分の回答をちょこちょこと直したり。
でも、共通テストで他の受験生に圧倒的な差がつけられている上に簡単(に感じた)二次試験となると、逆転の可能性はほぼ皆無
「まあ落ちたわ(笑)」と特に悲観もせず帰宅し、駒澤大学の復学願を書き上げました。

繰り返しますが、後期試験に全く期待していなかった為、後期試験の合格発表日すら把握していませんでした。
それどころか復学後の単位獲得プランや一年で身につけた英語力をさらに伸ばす留学計画などを立てて士気を上げていました

受験から解放され夜更かしの癖が戻ってきていた僕は合格発表当日午後3時頃に起床し、その日の午前10時に合格発表がされたことを知りました

眠かったし期待もしてなかったので緊張感皆無でサッサと受験番号、生年月日を入力して
その後は、自分がどんな感じだったのか、、あまり覚えていません

吹っ切れて全く緊張せずにできたからなのか、
実力なのか、
豪運なのか、
運命なのか、

どうであれ、神様はしっかり僕の1年間を見ていてくれたのかなぁと今では思います。


何かを志すのに遅すぎるなんてことはなく、
僕みたいにたった三年遠回りする人が居れば、もっと遠回りをしている人だって大勢いると思います。
自分の可能性を捨てるのは勿体無い。
失速しながらも最後まで走ったからこそ、今自分はここで、この体験記を書いています。

RAMSの先輩方には歳下の方が多いですが皆とても頼れる先輩方で僕にとっては全員歳上としか見えませんし、年齢を理由に入部を迷っていた時も、そんな事は誰も気にしない、と言われてしまいました。

そんなRAMSの先輩方のかっこよさに完全に魅せられて僕は入部を決めました。
心機一転、まだまだ初々しい一年生として同期と共に日々上を目指し続けています。

今までの人生の失敗、反省が大きすぎるからこそ、僕はもう失敗できませんし、毎日頑張ることが出来ます。


「なんとなく」「とりあえず」を指標に生きてきた結果落ちる所まで落ちた人生ドン底のニートが

一年後には東京外大の学生で、
大好きな同期や先輩方に囲まれて、今を精一杯生きるチアリーダーになりました

この特殊な体験談が1人でも多くの受験生に勇気を与える事、心からお祈りしています。

ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
頑張る受験生みんなのチアリーダー☀️あさひ☀️でした!




📚✍🏻学習法について📚✍🏻


<英語>

とにかく単語、熟語を回し、毎日音読、リスニングの繰り返し
YouTubeやディズニープラス、Netflixなどを用いて英語音源にとにかく触れる事を意識。あとは東大リスニングの過去問などを回しました。
スピーキングは、日本語を勉強したい外国の方々と繋がれるSNSを用いるといいです🙆‍♂️
どの参考書がどうとか、勉強法がどうとかより、とにかく毎日毎日欠かさず英語に触れることが大事です!

〈世界史〉

スタディサプリの村山秀太郎先生の講座を受けて受けて受けまくって復習しまくって過去問に突入。
仕上げに一問一答をやりました。
共通テスト大事故起こしたのであまり参考にしないでください。

〈国語〉

「現代文読解の開発講座」「現代文キーワード読解」という参考書がかなりおすすめです(難易度はかなり高め)。これのおかげで後期の小論文は難しく感じませんでした。
古文と漢文は元からかなり得意だった為ほとんど対策しませんでした。
古文のオススメは単語叩き込んだ後に助動詞マスターになることです。これだけで、ほかの要素が理解できなくても大抵の読解はできます
漢文は「漢文のヤマのヤマ」これ1冊で共テは満点近く狙えます!

〈数学〉

好きな参考書適当に2周回したらすぐ共テの過去問入りました。十分だと思います

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