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[ためし読み]『ここにあることの輝き パウラ・M・ベッカーの生涯』の冒頭と「訳者解説」

メディシス賞受賞作家マリー・ダリュセックによる渾身の「伝記」=オートフィクション

激しい生命の炎を燃焼し尽くした、夭折の女性画家の生涯を、現代フランス文学を代表する作家ダリュセックが、研ぎ澄まされた文体で描く。男性のまなざしの外にある女性の姿が、そこに浮かび上がる――。

ドイツ近代絵画史において独特の「輝き」を放つパウラ・M・ベッカーは、歴史上初めて、裸体の自画像を描いた女性画家としても知られ、七百点を超えるポートレート、風景画、静物画などを遺した。長く美術の歴史において支配的であった男性のまなざしから
解き放たれた女性たちが、多く描き出されている。

本書の冒頭と「訳者解説」から一部を公開します。

◇   ◇   ◇

「ここにあることは、ひとつの輝きである」
          リルケ『ドゥイノの悲劇』

I

 彼女はここにいた。地上に、彼女の家に。

 彼女の家では、三つの部屋を見学することができる。部屋の入口は、赤いビロードの ロープで仕切られている。イーゼルのひとつには、彼女の最後の一枚、ヒマワリとタチアオイの花束を描いた油絵の複製。

 彼女は花ばかり描いていたわけではない。

 鍵の閉まった灰色のドアがどこかの階に通じていて、私はそこに亡霊たちがいるのでは ないかと思っていた。そして家から外に出ると、彼ら、パウラとオットー、モーダーゾーン=ベッカー夫妻の姿が目に入ってきた。亡霊ではなく、怪物で、当時の装いをし、極めて悪趣味な様子で彼ら死者たちの家の窓辺に、通りの上に、私たち生者の頭上にいた。蠟細工のマネキンが一組、醜悪な二つの頭をもたげて、この黄色くかわいらしい木の家の窓辺にいた。

*

 ぞっとさせるものが輝きとともにそこにあり、ひとつの生涯がひとつの物語であるとす れば、その物語の、人をぞっとさせるものを避けて通らないようにしよう。ぞっとさせるものとはすなわち、来るべき作品と生後十八日の赤ちゃんを抱えて、三十一歳で亡くなることだ。(後略)


訳者解説

 本書、『ここにあることの輝き パウラ・M・ベッカーの生涯』(原題はÊtre ici est une splendeur. Vie de Paula M. Becker)は、現代フランスの女性作家マリー・ダリュセック(Marie Darrieussecq)が出版社のP・O・Lから二〇一六年に刊行した、二十世紀初頭のドイツ人女性画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカーをめぐる「伝記」である。「伝記」と括弧をつけるのは、随所に語り手の「私」──それはほぼ著者であるダリュセック自身を思わせる──が顔を出す本作品が、まぎれもなく ひとつの小説、オートフィクションであるからだ。

 巻末の「謝辞」に記されているとおり、同年のパリ市立近代美術館における企画展「パウラ・ モーダーゾーン=ベッカー」の開催に合わせて本書は上梓されている。この画家の回顧展がフランスで行われたのはこのときが初めてで、ダリュセックは同展の担当学芸員や、ドイツおよびアメリカのモーダーゾーン=ベッカー研究者と交流しながら、この女性画家をめぐる主要な研究書とカタログを読み込んで「伝記」を書き上げた。小説は冒頭、ブレーメン近郊のヴォルプスヴェーデにあるパウラの家を訪れるところから始まり、読者を物語へと誘い込む。「私」は画家の絵を求めてドイツ各地の美術館をめぐる。百十年前に、パウラがパリを訪れて、ルーヴルやサロン、ギャラリーを観てまわったように。かくして、「伝記」を執筆する「私」と対象であるパウラの「私」が、その主客の違いを超えて時に重なり合う。そのとき本作は、多くの註と参考文献一覧によって研究書のような体裁を取る自らの擬装から解き放たれ、小説で「あることの輝き」に包まれる。不思議な魅力を持つ本書は、多数の読者を得て二〇一八年には文庫化され、すでに十数か国語に翻訳されている。

 巻頭に置かれた銘から明らかなように、タイトルはライナー・マリア・リルケの『ドゥイノの悲歌』の引用である。第七の悲歌にある詩句、「この世にあることはすばらしい」(「ある」を「在る」とする翻訳もある)がそれだ。この一節は、若い女性が短い生涯を精一杯、燃焼し尽くして生きたことを物語るものであるため、まさに三十一歳で亡くなった女性画家の「生涯」を副題とする小説にふさわしい。とはいえ、「この世にあることはすばらしい」では日本語としてあまりにも散文的すぎてタイトルとして響いてこない。そこで、ドイツ語の形容詞「すばらしい(ヘルリヒ)」がフランス語では女性単数の不定冠詞つきの名詞「すばらしさ、輝き(ユヌ・スプランドゥール)」と翻訳されていることから、「ここにあることの輝き」とした。(後略)


【書誌情報】
ここにあることの輝き パウラ・M・ベッカーの生涯
[著]マリー・ダリュセック
[訳]荒原邦博
[判・頁]四六変型判・上製・232頁
[本体]2300円+税
[ISBN]978-4-910635-06-4 C0097
[出版年月日]2023年11月20日
[出版社]東京外国語大学出版会

【著者紹介】
マリー・ダリュセック(Marie Darrieussecq)
1969 年、フランス南西部バイヨンヌ生まれ。パリ高等師範学校卒業。 1997年、ペレック、ドゥブロフスキーなど、4人の小説家における オートフィクションを分析した博士論文で学位を取得。その前年、1996年に小説『めす豚ものがたり』でデビューすると、「サガン以来の大物新人」として注目を集め、30か国語以上に翻訳された。女性人物を中心に据えて文化的な紋切型を問い直すアフォリズム形式の試み『あかちゃん』(2002年)、 自身が受けた「剽窃」の告発体験をふまえて引用という本質的行為に迫る文学論『警察調書』(2010年)を経て、『待つ女』(2013年)でメディシス賞を受賞。10編をこえる小説作品のほか、 ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』のフランス語訳(2016年)、 演劇やラジオ番組の制作など、その活躍は多岐にわたる。

【訳者紹介】
荒原邦博(あらはら・くにひろ)
東京外国語大学大学院教授。専門は近現代フランス文学、美術批評研究。著書に、『プルースト、美術批評と横断線』(左右社、二〇一三年)、共著に、『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』(水声社、二〇二一年)、『アンドレ・マルローと現代』(上智大学出版、二〇二一年)、『プルーストと芸術』(水声社、二〇二二年)、翻訳に、ヴェルヌ『蒸気で動く家』、『ハテラス船長の航海と冒険』(インスクリプト、二〇一七年、二〇二一年)、ミシェル・ビュトール『レペルトワールI・II・III』(共訳、幻戯書房、二〇二一年、二〇二三年)などがある。

※肩書・名称は本書刊行当時のものです。


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