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大祓疫彦

 福岡県太宰府市白川にある小さな橋の上で、ブロンドのロングヘアーの美青年が憂鬱そうな顔をして御笠川の水面を眺めていた。モデルさんだろうか、と横顔をよくよく眺めると私の知人であった。
「アマヒコさんじゃありませんか?」
 彼はゆっくりと振り返ると、私の顔を見て安堵したように頬を緩めた。
「菅原様。良かった。お会いできて。先ほど、ご自宅の方にも伺ったんですが、お留守だったので途方に暮れておりました。その、お社の方は人が多いので」
「すいません、市役所に行っておりました。こうしてお会いするのは半世紀ぶりですね。どうかなさったんですか?」
 はは、と力なく笑って小石を川に放りこむ。川の下でひなたぼっこをしていた亀が迷惑そうにこちらを見上げて抗議の視線を寄越してくるが、アマヒコさんに気づく様子はない。また一個、小石を投じる。
「実は、最近、追い込まれていまして。期待が大きいと言いますか、ストレスが酷くて……。ほら、あの最近恐ろしい疫病が流行ったでしょう? それで、そのネット上で僕のことを誰かが思い出したみたいで。厄除にアマビエとか言い出して」
 アマビエとは熊本で目撃された時の呼び名だ。呼び名が多いのは、旅好きの神や神獣、妖怪にも共通している事だが、私は彼のことを初対面からアマヒコさんと呼んでいる。
「ええ。あちこちで見かけますね。神の面目躍如じゃありませんか」
「いや、僕はそのどちらかというと神使なので。まぁ、人間からしたら妖怪みたいなモノですし、区別もつかないと思うんですよ。それに、あの、当時の僕のファッションセンスって少し尖ってましたから……」
 確かに江戸時代のアマヒコさんのファッションセンスは現代のセンスを以ってしてもかなり尖っていた。黄色い嘴をつけて、鱗のついたスカート、お星様をあしらったワッペンをあちこちに貼り付けて海水浴をしたり、もっと昔にはチューバッカみたいな格好をしたりして、八百万界のファッションリーダーと言われていたのを思い出す。
「時代が追いついていない、くらいに思っていました。黒歴史ですよ」
「はは。そういえば、あちこちで色んな名前で呼ばれていましたよね」
「いや、もう本当に、なんであんなことをしたのかと。自問する日々です。いや、若かったなと。あの熊本で海水浴した後に見つかったのがマズかったんです」
「予言をなさった件ですよね」
「これでも未来が視えるんで、豊作が続くと教えてあげたかったんですよね。そしたら、やたら嬉しそうだったんで。思わず厄災避けに私の姿を絵に書け、なんて言ってしまって。ほら、僕ってすごく顔が良いでしょう? だから思わず……」
「ああ、成る程……。でも、今回は本当にあちこち駆け回っていらっしゃると大国主様に伺いましたよ」
「そりゃあ、必死ですよ。あちこちの神様に大祓をお願いして。もうクタクタです」
 そういえばWEB会議でも今回の疫病に関する内容は多かった。
「戦後、最大の危機でしたからね。神人一体となって事に当たらないと」
「そうなんです。日本中の神々が自宅勤務しながらも、御神徳を与えていらっしゃるのに。まるで僕だけが、その代表かのようにネットで流布されるのは申し訳ない気持ちがあります。それに、あんな大昔の恥ずかしい格好のイラストばかり! LINEスタンプにもなってるんですよ! 黒歴史ですよ、本当に」
 ああ、それで今はこんなに大人しい格好をしているのか。
 ジーンズにTシャツというイケメンにふさわしい出で立ちである。正直、江戸時代のアマヒコさんの格好は里に降りたら退治されかねなかった。やれ羽毛だの、鱗だので着飾ったあのセンスは時代の最先端どころか、はるか未来を先取りしていた。現代でさえ、まだあのセンスには遠く及ばない。
「元気を出してください。私のところにも疫病退散のご祈願がありますよ。御時世ですね」
「勉学の神でいらっしゃるのに……」
「ですので、今からお願いに伺おうかと。このような事態にこそ発揮される御神徳を持った方がいらっしゃいます。良かったら、これから一緒に如何ですか?」
 アマヒコさんの顔色がパァっと輝く。
「本当ですか!?」
「ええ」
「ちなみに、何を司る神様でいらっしゃるのですか?」
 期待に胸を膨らませるアマヒコさんに、私は笑いかける。
「石鹸です。牛乳石鹸の神に逢いに行きます」

   ●
 天地が開闢され、天の逆鉾によってこの国が形作られて幾星霜。天土に満ちる万物に神が宿る。一木一草にさえ神が宿り、天命を授けるのである。
 牛乳石鹸の神は、薬の神である炎帝神農様の一族に連なる方で、主に家庭の衛生環境を司る神である。某メーカーの商品との関連性は限りなく不透明であり、御本人も沈黙を守っているので真実はわからない。
 彼女は現在、福岡県北九州市に出張に来ていらっしゃる。理由は定かではないが、先の騒動では西へ東へと奔走された。手洗い、うがいの習慣が根づいたのも彼女の功績に因る所が大きい。
「アマヒコさんは小倉は初めてですか?」
「いえ、かなり昔に来たことがあります。ええと、確か細川忠興さんがお殿様だったような」
「江戸時代じゃなありませんか。それきり一度も来たことがなかったんですか」
「いや、小倉藩の細川さんて恐ろしくて。怪異とかばんばん斬り殺す感じの人だったんですよ。ほら、熊本は昔から妖怪天国みたいな所があるじゃないですか? いざとなれば阿蘇山に逃げれば良いや、みたいな。菅原様、ご存知でした? 阿蘇山の中岳って山には猫屋敷があったんですよ」
「ああ、化け猫研修センターですね」
 太宰府の猫たちも死期が近づくと、志のある者は中岳へ登っていたのを思い出す。確か明治の御一新の際に取り壊されて、現在は阿蘇の某健康ランドの敷地内に併設されているという。
「菅原様は小倉にはよくいらっしゃるので?」
「ええ。たまに会議があるので」
 そう言いながら、私は小倉名物のかしわうどんを啜る。かしわ、とは鶏肉のことで、それを甘辛く煮付けたものを出汁たっぷりのうどんの上に乗せた逸品だ。
「うん。相変わらず美味しい」
「いや、これは美味しいですね。クセになりそうです。でも、どうして駅のホームの店なんですか?」
「駅のホームでないとダメなんです。小倉駅のホームで食べる、このかしわうどんが名物なんですよ」
「なるほど。良いことを聞きました。昔、妖怪呼ばわりされて追い回された時のことがトラウマで、関門海峡を超えると震えていたんですが、これならもう安心して来られます」
 それは良かった。福岡は良い所だ。北九州は少し怖いというイメージを他県民の人は抱いているようだが、銃声が聞こえてくるのもそれほど頻繁ではないし、他の町よりもたくさんパトカーが走り回っているので安全だ。成人式で少々派手で威圧感のある、色とりどりの格好をした新成人を見かけることもあるが、あれはもはや伝統行事と言うべきだろう。
 ぶるぶると携帯電話が震える。メールが1通届いていた。
「あ、牛乳石鹸の神からです。ちょうど今、小倉城のベンチで小休止していると」
「急いで食べましょう!」
 残りを一気に流し込み、大急ぎで改札を飛び出す。
「タクシーを呼びましょう。菅原様、さぁ、急いで!」
「は、はい! アマヒコさん、走るの、早いですね」
 飛ぶように走るものだから、運動不足の私はついていくだけで精一杯だった。見苦しく言い訳をさせて貰うのならば、生前は生まれついての貴族であり、おまけに生涯有能な文官だったのでしょうがない。
「昔、散々逃げまわりましたからね。スタイルの維持にも毎日走り込んでいます」
 タクシーに乗り込んだ後も動悸が収まらない。
「しかし、どうして小倉城なんでしょう」
「城郭マニアなんですよ。日本中のお城を観光して回るのが趣味らしくて、九州にも熊本城を観によくいらっしゃいます」
「なんと! 熊本城は素晴らしいお城ですよ! 私は日本一だと思っています。いや、割とあそこの城下町に長く住んでいましたからね。多少の贔屓目はあるかもしれませんが、あの黒い質実剛健とした堅牢な城は別格ですよ!」
 それから小倉駅まで延々と熊本城の蘊蓄が語られる事になった。加藤清正との出会い、涙の別れ、葬儀に出ようとして百姓に追い回されて白川へ飛び込んだというエピソードが熱く語られた。
 大手門を抜け、小倉城の外観を眺めながら、アマヒコさんが小首を傾げる。
「なんと言いますか、その、随分小さいですね……」
「ストップ。それ以上はいけません。戦争になります」
「ひぃ」
 城というのは大なり小なり県の象徴であり、県民の誇りとも言えるものである。特に北九州市民は自分では小倉城のことを「小さかよねー」と自嘲したりすることもあるが、他県民から嘲笑されるのだけは我慢できない。熊本県民が小倉城前で漏らした浅はかな一言から、抗争が勃発したという歴史もあったりなかったりするのだ。
「菅原様、あちらをそっと見てください」
 言われた方向へ目を向けると、ベンチに腰かけた美しい女性が疲れた様子で空を仰いでいる。
「あのスタイル、素晴らしいと思いませんか? 特にこう、なんと言いますか、ねえ? いや、素晴らしい。あれは素晴らしいですよ。いや、実に良いものを拝ませて頂きました」
 放っておくと柏手でも叩きそうな勢いだ。
「ええ、そうですね。ちなみに、あちらの方が牛乳石鹸の神ですよ」
 女性がこちらに気付いて、ぺこり、と頭を下げる。
「どーも。ご無沙汰してます、天神様」
「その天神様って呼ぶのやめてもらえませんか。菅原で良いです」
「天神様は、天神様じゃないですか」
「随分とお疲れの御様子。大丈夫ですか?」
「ふふ、もう本当に寝る暇もありませんでしたよ。いつになったら完全勝利できるのやら。あたしが言うのもなんですけどね、神様に祈りたくなりました。もう何もかも投げ出してスウェーデンに家具を見に行きたい。もうなにもしたくない。資さんうどんを食べて、おはぎ買って帰る」
「ご苦労様です。しかし、どうして北九州へ?」
「うーん、なんとなく来た方が良い気がしたんですよね。スタンばっておこうかな、と。ついでに小倉城も眺めておこうかなって。ほら、スペースワールドがなくなってから活気が少しなくなったから、商店街にお金落としとかないといけないでしょう? 黒崎あたりは餃子が美味しいですからね。小倉城に来たのはそういう訳です」
「……そうですか」
 なんだか目の焦点も定まってないし、言葉の脈絡も何かおかしい。私も三日徹夜した後、帰宅して冷蔵庫の中へ必死に潜り込もうとしたことがあるが、神も人も睡眠時間を減らしてはいけない。
「少しお休みした方が良いですよ」
 へっへ、と乾いた声で笑う。
「天神様、天神様。ちなみに隣のイケメンは誰ですか? もしかして幻覚? 見えてます?」
「見えています。現実ですよ。彼はアマヒコさんです。アマビエという名前の方が有名みたいですが」
 おお、と感嘆の声をあげるのも無理はない。アマヒコさんは今や時の人である。
「どうも。はじめまして。お会いできて光栄です」
「こちらこそです。あの、ひとつ聞いても?」
「え? あ、はい。どうぞ」
「ネットのイラストとかなり違うように見えるんですけど」
「あの時、浜辺で書いてくれた役人が本当に絵心がなくて。僕だって、そりゃあ本当は俵屋宗達に書いて欲しかったですよ」
 風神雷神図の作者に自画像を書かせようとしないで欲しい。
「いや、そうじゃなくってですね。クチバシやウロコは創作ですか?」
「それはなんと言いますか、若気の至というか、ファッションの迷走と言いますか……。当時は、そういうのが流行ると思った次第でして」
 ぷっ、と彼女は吹き出すと、膝を叩いて笑い出した。目には涙まで溜まっている。完全に深夜のテンションのそれだ。
「ごめんなさい、こんなに笑ってしまって」
「楽しんで頂けたなら、嬉しい限りですよ」
「あー、笑った笑った。それで、私になんの御用です?」
「実はお力添えをお願いしたく」
「力?」
「疫病を祓うお手伝いをして頂きたいのです」
「え? ちょっと待った。アマビエの絵を写すと魔を祓えるんじゃないんですか?」
「いや、その、なんと言いますか、やや語弊があるというか。誤解というか、期待が過大と言いますか」
「…なんとなく事態は察しました。とにかく一緒にがんばりましょう。ちょっと待って下さいね。天神様も同じ要件でしょう?」
 彼女はそう言うと、鞄から小さな箱を取り出した。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
 私が受け取った箱を見て、アマヒコさんが怪訝そうな顔をした。
「それ、石鹸ですよね?」
「石鹸以外の何に見えるんです。これが御神徳なんですよ。要は、お守りです。社の手洗い場にひとつ置いておくと、境内で手洗いをした全員の災厄や穢れが落ちるんです」
「あの、僕みたいに社がないものはどうすれば……」
「ネットに画像をあげたらどうです? ご利益ありますよ。手洗い、うがいはだいじ!って文言入れて、写真に石鹸が写ってれば大丈夫。拡散されるのも早いでしょうし。はい、どうぞ」
 大あくびをして、牛乳石鹸の神がコキコキと肩を回す。肩も凝るのも無理はない。
「まだ当分、この疫病は祓えそうにありませんから、神と人が手に手を取り合って頑張らないと。さてと、あたしもホテルに帰って寝ることにします。天神様、またお抹茶と梅ヶ枝餅、御馳走してくださいね」
「ええ。大祓えが成った暁には」
「アマビエさんもお元気で」
 がんばりましょう、と踵を返して去っていく。
 ふわあ、と美女が大きく口を開けて欠伸をする姿はなんとも豪快で彼女らしい。
「菅原様。ありがとうございました。なんだか目が覚めた思いです。僕も自分にできることをひとつずつやっていこうと思います。微力であろうとも、期待に応えられるよう、できることをします」
「そうですね。がんばりましょう」
 それと、とアマヒコさんは真剣な眼差しで彼女の背中を眺めながら呟く。
「とっっても良い匂いがしましたね!」

「そりゃあ、石鹸の神様ですから」

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