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謹賀神然

 この世には、神も仏もいないのか。
 私はこう見えて太宰府生まれの太宰府育ち、宮参りは勿論のこと、境内の中にある幼稚園に通い、齢二十五となるこの歳まで天満宮に通算3,000回は参拝に来ているのではなかろうか。勿論、信心深い方だと自負している。鬼すべ神事にも参加しているし、曽祖父の代から代々氏子という生粋の信者だ。
 そんな私が某有名私立大学を卒業しながら、未だに無職であるというのはどういう訳か。
「納得できん。世の中、不公平だ」
 行きつけの居酒屋のカウンターで焼酎の水割りを飲みながら、一人でぶすくれずにはいられない。12月31日の大晦日、自宅にいても父親と喧嘩になるのは目に見えているのでこうして一人で飲みに来たのだが、他の客は軒並みグループ客で仲間内で楽しそうに飲み耽っている。私だって友人たちと酒を飲み交わしたかったが、悪魔と取引でもしたのか、仲の良い友人たちは大学を出て数年で軒並み彼女を作るか、早々に結婚してしまい、誰も私の相手などしてくれなかった。
 こんな悲しい年末は今まで味わったことがない。私は世界一不幸だ、と恨み言をのたまいながらアルバイトで稼いだ金を消費していく以外にやることがないのが堪らなく辛かった。
 店の奥、壁に無理やり据付られたテレビからは紅白歌合戦が流れ、今年のヒット曲が楽しげに流れてくる。しかし、私は他人の幸せよりも、自身の幸せの方が大切であり、こんな人生の成功者たちの歌など聞きたくもなかった。
「親父さん、お勘定」
 早々に支払いを済ませ、ふらふらとしたまま店を後にした。
 雪がちらほら降っていて、いかにも年末らしい。
 知っている人間なら知っていようが、年末年始の太宰府といえば全国から集まる参拝客によって道路が飽和状態となり、一度買い物に行こうと街を離れてしまうと、家に帰るのに数時間もかかってしまうような有様となる。故に地元の人間、特に我が家のように参道から程近い場所で暮らす者は、正月が近づくと買い溜めをして自宅に篭る。ついでに開いている庭を開放し、臨時の駐車場として貸し出して稼いだりするのである。
「あー、寒ぃー」
 夜空に向かって白い息を吐くと、あっという間に消えていく。
 参道は大勢の参拝客でごった返しているので、地元の人間しか歩かないような裏道を選んで歩いていく。通りの方からは雅楽の音色が聞こえてきて、否応なく間もなく年が明けてしまうのだと実感させられる。
 酔い覚ましにはもってこいだが、如何せん寒すぎる。このまま風邪でも引いてしまいそうだ。けれど、家には帰りたくないし、どうしたもんか。
 目的地もなく、側にいてくれる友人もおらず、ただ一人時間を持て余しながら歩いていると、まるで世界から存在価値を否定されたような気持ちになる。説明するまでもないが、傷心している私を癒してくれるような可愛い恋人もいない。
 もちろん、これまでなんの努力もしてこなかった訳ではない。雨の日も風の日も懸命に活動していたのだ。のべ200社以上の会社へ就職活動を行い、その尽くに今後のご活躍をお祈りされただけだ。何も好き好んで現状に甘んじている訳じゃない。
 不意に、前方の小さな橋の欄干にもたれかかるようにして、小柄な老人が倒れているのが見えたので、慌てて駆け寄って抱き起こすと、顔を背けたくなるほどアルコール臭かった。
「なんじゃあ、お主は」
 顔を真っ赤にした爺さんは、いかにも偏屈爺といった風で、助け起こすんじゃなかったと早速後悔した。
「なんだとはなんだ。爺さん、こんなとこで寝てると凍え死ぬぞ」
「生意気な小僧め。小癪なことを言いよる。このわしが! こんな場所で死ぬものか!」
 いつもの私なら鷹揚に対応できるのだが、いい具合に脳味噌がアルコールに侵されているので、そんな余裕はどこにも存在しない。糞爺、と口にしなかっただけでも我ながら立派だと思う。
「おい、爺さん。早く帰らないと本当に死んじまうぞ。正月早々、全国に訃報を流させるなよ」
「たわけ。わしはな、迎えを待っておるのだ。何も行き倒れた訳じゃないわい。とっとと去ね!」
「こんな酔っ払いの年寄り一人置いていく訳ないだろ」
「小僧こそ酔っておるではないか、酒臭いぞ」
 ぎゃあぎゃあと言い争っていると、不意に小路の暗闇の向こうから提灯の明かりが二つ、ガラゴロと音を立てて近づいてくる。なんぞや、と目を凝らして見ると、思わず我が目を疑った。
「お待たせしました〜」
 それは見まごう事なき牛車であった。平安貴族の常用車である。黒毛の立派な角を持った牛が、大きな牛車をガラゴロ曳いてくる姿はどこはかとなく雅なりけり。
「うう、酔いが回りすぎてる」
 夢かな、と思って牛の首を撫でてみると、毛がしっとりとして心地いい。牛って結構可愛い。ここか、ここが気持ちいのか? よしよし。
「遅いわ! 凍えるかと思うたぞ!」
「いやー、道が混んでまして。人目を避けて降りるのも一苦労ですよ」
 御者は目の細い若い男で、神主のような格好をしており、怒鳴られた割にはまるで気にしていない。
「おや? そちらの方は?」
「わしが行き倒れておると勘違いしおってな。年寄り扱いしよる、不敬者じゃ。そんなことより、天津甘栗は買うてきたのか」
「はい、勿論。たんまりと」
「よしよし。それは重畳。ここらは人が多くてかなわん。社もうるさいでな。今夜は上で呑もうぞ。おい、小僧。褒美を取らす。ついて参れ。馳走してやろう」
 よく分からないが、この爺さんは恐らくは偉い人で、これから御馳走を食べさせてくれるらしい。いかにも正月ぽくて良い。一人で夜の太宰府を徘徊するよりも、ずっと楽しいに違いなかった。
「じゃあ、遠慮なく」
「えー、良いんですか? また勝手に人を連れさらったりして。いい加減、叱られますよ」
「たわけ。わしのすることに誰が文句をつけられようか」
「だって、この子って菅原様の所の氏子じゃありませんかね」
「あ奴はそれどころじゃないわい。今頃、ヒィヒィ言いながら働いておるに違いあるまいて」
「なんで少し嬉しそうなんですか」
「若い神が苦労している姿は見ていて心地よいわい。ふふ、勝手に牛車を持ち出したことが分かったら、さぞ驚くであろうさ」
 二人の会話はよく分からないが、爺さんはどうやら私を連れて行ってくれるらしい。
「おい、小僧」
「へい」
 全力でゴマをすりながら平伏する。
「わしの客人として連れて行ってやる。感謝せいよ」
「へい!」
 助けた爺さんに連れられて〜、と内心で笑ってしまう。
「先生、急がないと年が明けます」
「ええい、急かすな」
 バタバタと牛車に乗り込み、御簾を開ける。ほぼオープンカーなのにどういう訳か、この中はまるで寒くない。それどころか、えも言われぬ香りに満ち溢れている。
「うーん、古めきしずか〜」
「なんじゃ、歌なぞ読みおってからに」
「いや、なんかこの匂いを嗅いでたら勝手に」
「香を炊いておるからの。なんと言ったかの、蘭奢待か」
「へぇ、聞いたことないですけど、良い匂いですね」
 私も家でアロマを炊いたりするので、匂いにはうるさい方だが、この香りは今まで嗅いだことがない。香り高いなんて生易しいものではなく、香りに包まれて迷子になってしまいそうな程の奥深さだった。
「まぁ、木の煙じゃ。有難がるなら、ワシにせい」
「へい!」
「乗りましたね。それじゃあ、行きますよ」
 やっ、と若い男が声をかけると、牛車が思った以上に滑らかに走り出す。なんとなく牛車というのは凄く揺れるイメージがあったので、なんだか意外だ。これなら電気自動車の方が揺れるくらいだ、そう思って横の小さな窓から地面へ視線を投げると、遥か下方に太宰府の街並みが光の川となって見えた。なるほど、太宰府天満宮は空から見ると、こういう風に見えるものなのか。
「ん?」
 この牛車は空を走っている。そう理解するのに少し時間がかかった。
「ようし、よし。夜空は静かでよいわい。おい、小僧。転げ落ちると薄焼き煎餅になるでな、気をつけよ」
 少し飲みすぎたらしい。
「なんじゃ、難しい顔をして」
「いや、なんか変なものが見えた気がして。翼の生えた人みたいなのが飛んでいたような」
「それは天狗じゃな。大山武蔵坊あたりならハーレーで乗りつけてくるじゃろうから、大方、油山あたりの奴じゃろうて。この寒空にご苦労な事だ」
「ええ!天狗て実在したんですか? すげぇ! 初めて見た。つか天狗ってハーレー乗るんだ……」
「些事に一喜一憂してなんになる。慌てふためく姿ほどみっともないことはないぞ。男児たる者、悠然と
事に構えんでどうするか」
「いやでも天狗」
 やかましい、と爺さんが一喝する。
「浮世にはな、貴様のような小僧では知り得ぬ妙に溢れておるのだ。気にするない。それにな、人間共の車で道が使えんのだから、こうして空を駆けるしかあるまい。なに、目的地はすぐそこじゃ。今夜は無礼講、特別に貴様も招いてやるわ」
 爺さんの言った通り、牛車が砂利の駐車場へと着陸した。
「そら、とっとと降りんか。腹が減ってしょうがないわい」
 牛車を降りると、目に飛び込んできた絶景に言葉を失う。
 遥か下方に太宰府の街並みが広がり、宝満山の裾野が広がっている。夜空には満点の星が輝き、手を伸ばせば届きそうな程だ。
「盆の縁には行くでないぞ。転がり落ちるからの」
 盆、と爺さんの表現通り、どうやらここは馬鹿でかい空飛ぶ盆の上らしい。振り返ると、そこには木造のやたら豪華な屋敷があり、やいのやいのと騒がしい。まさに宴会の真っ最中という風で、聞こえてくる音を聞いているだけでも、なんだか胸の奥がもりもりと楽しくなってきた。
「小僧。感謝せいよ。高天原の屋敷での宴に、人の身で紛れ込むなど身に余る栄誉と心得よ」
 よく分からないが、とにかく御馳走が待っているらしい。もうこれは夢かもしれないが、期待に胸が膨らんでどうでもよかった。
「あざす! 爺さん、凄い人なんすね」
「うはは! いかにも! ワシは偉いのだ。奉れよ、小僧!」
「一生ついていきます!」
 話がわかるではないか、と上機嫌に歩き出したので、私は金魚のフンよろしく後に続くことにした。
 屋敷は外から見るよりも遥かに大きく、畳が千畳は敷けそうなほどの宴会場に入りきれないほどの人間が宴に興じていた。しかし、誰も彼もが白い輝くような服を着て、浮いたり、飛んだりしているように見えるから、私も相当に酔っているらしい。おまけに人間の姿をしていない者もなんだかあちこちにいて、ますますこれは夢らしい。
「おうおう。今年もようく集まっておるわい。小僧、言うておくが、くれぐれもワシから離れるでないぞ。ひとりでフラフラしておると、帰れぬやもしれんからな。ここは高天原の天津神の忘年会じゃ。先に言うておくが、上座には行くでないぞ」
「上座? ああ、偉い人がおわすんですね?」
「今年は三貴子がいらしておる。くれぐれも粗相のないようにせぇよ」
「よくわかんないすけど、社長とか取締役がいらしてるんですね」
「人の世のことはよく分からぬが、そのようなものじゃな。さぁ、ついて参れ。贅の極みを味あわせてやろうぞ」
「へい!」
 扇を広げて宴の席へ向かうと、誰も彼もが笑顔で私たちを迎え入れてくれた。
「おお、宇迦之御魂神様ではございませんか! ささ、どうぞこちらへ!」
「これは久斯之神殿! こちらにおわしたか! ほれ、お主もそこへ座れい」
 大きな瓢箪を抱えた白髪の老人が、驚いたように私の顔を覗き込むので、思わず笑ってしまう。
「おや、人の子ですか。珍しいですなあ」
「始めまして。お呼ばれして罷り越しました」
「私は久斯之神と申す」
「くすのかみ……」
「知らんわなあ。今時の若者は」
「たわけ者め。こちらの久斯之神殿は、酒造の神として名高い御方ぞ。出雲に八百万の神々が一堂に会し、男女の縁を決める大神事の際にも、八百万の神々に酒を醸して振る舞っておられる」
「あまり褒められますな。照れまする。まぁ、まずは一献」
 パンパンと柏手を打つと、ひらひらと何処からか蓮の花弁が舞い降りてきた。驚いて頭上を仰ぐと、天井が見えないほど高い。白いモヤと眩い光で、判然としないが、心地よい雅楽の音色はそこから響いてくるようだ。
「相変わらず良い趣向ですな」
「酒は花や草木によって醸すもの。これ以上の器はございませぬでな」
 爺さんの持つ花弁に、とろりと金色に輝く液体が注がれていく。
「では」
 ぐい、と一息に飲み干すと、くーっ、と唸る。
「至上の味わいとは、まさにこのこと!」
「大袈裟ですな。まぁ、今年は良い花がやってきてくれましたからな。さぁ、お若いのも一献」
 柔らかい蓮の花弁に、とろりとした金色の御神酒が注がれていく。香りは花のようだ。頭の奥が香気に痺れる。
「一息でいけい」
 ぐい、と飲み干した瞬間、舌の上で蜜のような甘味が弾けた。ありとあらゆる旨味が広がり、脳味噌からよくわからない汁がドバドバ分泌されて頭がおかしくなりそうだった。ぷは、と息を吐いた瞬間、金粉のようなものが天井へと向けて溶けていった。
「うっま!」
「語彙力のない奴じゃのう。もっとこう巧い言葉はないのか」
「だって、こんなのうま過ぎますよ!」
「酒造の神が醸した酒ぞ。今生では二度と飲む機会はないと思え」
「すいません、おかわりください」
「おお、よしよし。飲みなさい。いや、良い顔で飲みなさる。この酒を飲めば身に巣食う病魔は去り、悪運も近寄れぬ。お主と言葉を交わすものにも御神徳があるだろう」
 二杯目を煽りながら、もうこのまま死んでも良いと思えるほど幸せな気持ちになる。頭の奥が痺れるように蕩けて、ふわふわとした心地になった。
「なんだか自分の悩みなんて、ちっぽけなものですね。世の中は不公平だとぼやいていた自分が阿呆のようだ」
「なんじゃい。年の瀬にそんなくだらんことを思うておったのか」
 ふん、と爺さんは馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻で笑う。
「公平なものなど、この世にありゃせんわい。物事を測る物差しが皆異なるというのに。ワシらにも役割はあり、千差がある。人も同じであろう。それぞれが唯一無二ということに誇りを持たぬか」
「結局、公平なのは死だけか……」
「たわけ。微睡の中で安らかに死を迎えるものもおれば、苦痛の果てに亡くなる者もおる。公平なものなどないわい。死ぬときは死ぬ。故にこそ、生きておる間は懸命に生きる。死ぬことを恐れて、生きることを蔑ろにする阿呆が何処におる。どっしりと構えておれば良い」
 人も神も同じ事よ、と赤い顔でのたまう。
「でも、神様は死なんでしょう」
「死ぬる。のう、久斯之神殿」
「ええ。死にまする」
 思わず、言葉を失う。
 二人の神は、達観した様子で微笑む。
「生を謳歌せよ。若人よ」
 
   ●
 八百万の神々の宴に出てくる酒は勿論、供される料理もまた途轍もないものだった。
 例えば黒豆の煮物。一粒食べれば有頂天、滂沱の涙を流す逸品だった。煮しめもひとつ摘んで口に含むと、旨味の奔流で立っていることもままならない。大皿に並ぶ料理はどれもこれも、今まで食べてきたどんなものよりも美味だった。
 大晦日の夜ということもあり、神々の騒ぎ方も尋常ではなく、飲めや歌えやの大騒ぎ。火を吹く者、耳から米を出す者、頭から虹色の光を発する者などが酔って踊っている。
「年末って神様は大忙しなんじゃないんすね」
「いいや。そりゃあもう多忙を極めるぞ。太宰府天満宮の菅原たちは今頃、血涙を流して仕事をしておるだろうて。参道の脇にある料理屋の二階を毎年貸し切ってな、地元の神々が夜を徹して励んでおるぞ」
「え。そんな時に、呑んでていいんですか」
「ワシらはワシらの役割を全うしたからこそ、此処におる。神としての年季が違うわい」
 ワハハ、と笑って神々が酒を酌み交わす。
「うう、ちょっと御手洗いをお借りしても?」
「うむ。廊下を突き当たりまで歩けば良い。寄り道をするでないぞ。人を食う神もおるでな」
「え」
「ワハハ! そん時は走って逃げい」
 如何せん二人して酔っ払っているので、冗談か本気か分からない。
 神々の合間を縫うように抜けて、廊下へと出ると思わず息を呑んだ。地平線が見えるんじゃなかろうかというほど長い廊下。左右の障子が延々と続き、果てがないように思われた。突き当たりと言っていたが、突き当たりなんぞないのではなかろうか。
「うう、漏れる」
 膀胱を押さえながら、早歩きで廊下を進む。途中、着物姿の雀や鴉とすれ違ったが、不思議と恐ろしいとは感じなかった。いや、そもそもこの状況そのものが相当におかしいが、酒も肴も美味いのでどうでもいい。大晦日に八百万の神々の宴に混じれるだなんて、例え夢でも相当に縁起がいいじゃないか。
 いや、今はとにかく一刻も早くトイレに行かねばならない。こんな所で漏らすだなんて、絶対にまずい。
 しかし、10分以上歩いているが、一向に突き当たりが見えない。延々と続く廊下を、歩き続ける拷問のようだ。
 不意に、左の座敷の障子が開いた。中から眩い光が溢れ、目が灼けそうになる。太陽が目の前に現れたのかと思うほどの輝きに目が眩む。
「ま、眩しい!」
 思わず漏れた悲鳴に、あら、と答える柔らかい声があった。
 手で覆った視界の向こう。光の奥に誰かが立っている。じわじわと光量が落ちていく。
「ごめんなさいね。目は眩んではいませんか?」
「ああ、はい。もう大丈夫です」
 正直、まだ顔を直視できないくらいには眩しいのだけれど、神様相手に贅沢も言えない。
「人の仔が妾たちの宴の席に加わるなど、珍奇なこともあるもの」
「あの、成り行きで」
「まぁ、ふふ、成り行きですか」
 なんというか、言いようのない包容力のある方だ。女性というのは分かるのだけど、太陽みたいに明るくて容姿が判然としない。お召し物も豪奢な物であるように見えるのだけれど、とにかく直視すると目がくらむ。サングラスが欲しい。
「こうして人の仔と直接、会うのも久方ぶりのこと。余程の誓願があるのですね。良いでしょう。天津神の元に赴いてまで聞き届けて欲しい願い。言ってみなさい」
 願い、と言われても尿意の限界なので他のことまで頭が回らない。
「あ、道を尋ねても良いですか? お手洗いに行きたいんですけど。ここの廊下、延々続いてて途方にくれてまして」
「まぁまぁ。欲のないこと。ほら、お手洗いならすぐそこに」
 指差した先に、いつの間にかお手洗いが現れていた。さっきまでそんなものはなかった筈なのに。
「少しコツが必要ですからね」
「ああ、ありがとうございます!」
「ええ。良いお年を」
「はい! 良いお年を!」
 頭を下げてお手洗いに突入しながら、なんだかとても幸運なことに巡り合えたような気がした。
 さて、八百万の神々の使うお手洗いというのは、想像していたものとかなり違っていた。第一にそのスケールである。普通サイズのものから、巨人サイズのもの、果てはミジンコサイズのものまで千差万別。そんな便器が地平線の果てまで続き、私は自分のサイズに見合ったものを慌てて見繕い、立ったまま用を足した。
『おお、姉上! 涼みに出られておりましたか!』
 突然、廊下の方から巨大な雷が爆発したかのような大声が響き渡った。
「な、なんだ?」
『少し用を足しに行く所でしてな! うん? 人の仔が? おお、それは珍奇なこと! お任せくだされ! 便器に落ちて死んでおるかも知れませぬ! この弟が見て参りましょうぞ!』
 ずしん、ずしん、と地震のような足音が近づいてくる。体が揺れて目標が定まらない。
 ぬぅっ、と入り口から巨大な男が戸を潜るように入ってきた。そのあまりの大きさに唖然となる。思わずおしっこが一時停止するほど驚いた。
 鍛えた鋼のような黒髪をボサボサに伸ばし、パンパンに膨れ上がった筋肉をした巨大な男神だった。身長は3メートル強、体重は私の10人分はあるんじゃなかろうか。赤ら顔に鼻歌交じりでやってくると、私の隣にある巨大な小用便器の前に立ち、用を足し始める。
 思わず便器の中を覗き込み、驚愕した。
 まるで滝だ。あるいはダムの放水。ありとあらゆるスケールが違い過ぎる。
「おう。人の仔よ!」
 雷が隣で爆発したかのような声量だった。鼓膜がビリビリと震え、ちびりそうになる。いや、もう用を足しているのか、ちびっているのか分からないが。
「人の身で姉上と直に謁見できるとは! 身に余る光栄と!! 心得よ!!」
 豪快な笑みを浮かべながら、鼓膜を破りにくる男神にとりあえず頷いてみせる。いや、この手のタイプの人には尻込みしていても仕方がない。真正面からぶつかった方がいい。
「はい! ありがとうございます!」
「ああ? 聞こえねぇ! 声出せ、声!」
「ありがとう! ございます!」
「声が小せぇ!!」
「あるぃがとぅ!!! ございやす!!」
「よぅし! 足労大義と申し置く!」
 なんなのだろう。この体育会系のノリは。体育教師の神かなにかだろうか。
 放水もとい用を足し終わったのか、男神が先にお手洗いを後にした。ちなみに手を洗わずに出て行った。
「なんだったんだ。一体」
 体育教師の神は、さっきの眩しい女神様の弟だというから、あの眩しい女神様も学校にまつわる神様なのかも知れない。キャンプファイヤーの神様あたりと見た。
 お手洗いから出ると、先程の女神と男神の姿はなかったので、爺様の元へ戻ることにした。
 なんとなく、この場所は物理的に距離がどうこうという訳ではないようなので、試しに強く念じて障子を開けてみると、見覚えのある爺様をすぐに見つけられた。
「おう、随分と時間がかかったのう」
「お手洗いが遠いのなんの。途中で女神様に助けて頂きまして」
「そうかそうか。ん? 女神とな」
 隣に腰を下ろし、事細かく経緯を説明すると、爺様たちの顔色がみるみる変わっていく。
「なんと、なんと。よもや縁を結ぶとは。小僧、貴様は思いのほか強運の持ち主やも知れぬな。菅原の氏子であろうが、ここへ連れて参ったのはワシの戯れ。年が明ける前に暇乞いに行かねばなるまい」
 それが良い、といつの間にか周囲の神々も頷く。
「あの、もしかして偉い人すか」
「天上天下に比類なき、尊い御方よ」
 ついて参れ、と爺様が言って立ち上がる。その後ろを歩きながら、これはもしかすると怒られる奴ではあるまいか。途轍もなくえらい神様にトイレへの道案内をさせてしまった。これはやらかしたのでは。
「お爺様? もうお腹もいっぱいになったのでボチボチ帰ろうかなーって思うんですけど。どうしたらいいですかね」
「帰してやるわい。しかし暇乞の挨拶もなしに帰る訳にはいくまいて。貴様の無礼も詫びねばならん」
 宴会場の上座には三つの座があり、周囲よりも一段高くなっている。その中央に先ほどの眩い女神様が座していて、残る二つの座に神の姿はない。
 爺様が女神様の前で顔を伏せ、一礼する。慌てて同じように一礼した。危うく柏手を打ちそうになる。
「畏れ畏みて申し上げ奉る!」
「そなたの連れでしたか。人の仔とこうして言葉を交わすのも幾百年ぶりか。良い機会となりました」
「下賎の者を招き入れましたこと、平にご容赦頂きたく」
「今宵は年越しの大祭。無礼講です」
「過分の御高配、恐懼の念に耐えませぬ。誠に有難う存じます。然らば、これにて暇乞と致したく。ほれ、貴様もご挨拶せぬか」
 こういう時、咄嗟に難しい言葉が出てこないのが情けない。
「ああ、ええと、美味しいお酒に食事。有難うございました。正直、夢みたいで現実感とかないんですけど、すごく縁起がいいなって思います」
 語彙力がないのう、と横で呆れる声が聞こえてくるのも無理はなし。
「此度の縁に、神器の一つでも下賜したいのですが、弟たちに厳しく叱られてしまいました。いらぬ争いの元になると」
「ああいや、お土産とかは身に余るので、はい」
「せめて汝の道行をしかと見守りましょう。どうぞ、息災で」
 見守っている。その一言に、なんだか涙が出てきた。
 ぱん、と柏手の音が響いた瞬間、意識が遠退く。
 最後まで、眩しくて顔も満足に見えなかったが、どうやらキャンプファイヤーの女神様ではなかったらしい。

  ●
 気がつくと、見覚えのある場所にいた。
 太宰府天満宮の拝殿、その横にある大樹の根元に死んだみたいに寝転がっていた。
 朦朧とする頭を振って、身体を起こすと大勢の参拝客でごった返している。雅楽の音色がどこからか聞こえ、甘酒の良い匂いがした。
「?」
「こらー! そんなとこに入ったらいかん!」
「ああ、すんません!すんません!」
 縄を跨ぎながら、呆然とさっきまでのことを思い出していた。やけにリアルな夢だったが、今となってはいまいち内容もよく思い出せない。
「なんか、すごく良い夢を見ていたような」
 にわかに歓声が上がり、除夜の金が遠くから響いて聞こえる。携帯電話に目を落とすと、どうやら年を越したらしい。
「うう、なんか腹いっぱいだな。大人しく帰るか」
 大勢の参拝客でごった返す参道を歩いていると、とある茶屋の二階から絶叫が聞こえた。年越しのこの瞬間にも仕事に追われている人がいるのだろう。
 なんとなくポケットをまさぐると、天津甘栗が一粒出てきた。口に放り込んで齧ると、まだ温かい。
 「うめぇ」
 今年は、良い年になるといい。
 いや、良い年になるよう足掻いてみよう。
 そうだ。最悪のことを考えて、足元を眺めて生きていくなんて阿呆みたいじゃないか。
 空を見上げると、一瞬、巨大な盆のようなものが浮かんでいるように見えたが、目を擦るとすぐに見えなくなってしまった。
 
 

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