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夜行亜譚『初恋』

 労働は地獄だと、心の底からそう思う。

 社会に出てすぐに、男女平等なんて言葉は存在しないことを思い知った。

 同期の男性ばかりが営業職に就き、私たち女性は事務や雑務に忙殺される。基本給さえ性別で違い、昇進の可能性さえない。

 丸々と太った上司に一日中絡まれて、行きたくもない飲み会に毎晩のように連れ出される。飲み会では必ず上司たちの隣に座らされ、景気の良かった時代の埃かぶった武勇伝を延々と聞かされるのだ。

 家に帰れば、すぐに携帯電話にメールが入る。執拗に連絡を取ろうとする既婚者である上司たちのメールを全て無視して、早々に眠りにつく。僅かばかりの給金の為に、会社に隷属して、自分の尊厳を切り売りする毎日。

 そんな日々がずっと続く。これから先もずっと。

 これが地獄でなくてなんなのだ。

 朝が来るのが怖い。

 会社に行くのが辛くして仕方がない。心も体も擦り減らして、あんな所へ行く必要が本当にあるのだろうか。

 あるのだろう。少なくとも、私はそうでもしなければ金銭を稼ぐことができない。

 友人の中には、既に結婚して子供を授かった子もいる。経済力のある相手と結ばれて、若くして家庭に入った子さえいるのだから、実に羨ましい限りだ。

 でも、今は結婚どころか、そもそも恋愛をしたくない。交際までに至るまでの何もかもが面倒だ。仕事に加えて、恋愛をするだけの気力も体力も私にはない。

 私は働くことに向いていないのだ。

 いや、向いている人なんているのだろうか。

 環境次第ではないのか。

 誰だって、会社の異性の上司からしつこく迫られたり、既婚者の先輩から毎晩のように電話をかけられたら参るのではないか。同性の同僚や先輩から陰口を叩かれて、昼食の輪にも入れてもらえなければ私のように辛く感じる筈だ。

 微睡むような浅い眠りの果てに、また朝を迎えてしまった。

 慢性的な睡眠不足のせいか。とにかく頭が痛い。

 まだもう少し眠れる。そう思って再び目を閉じようとして、携帯電話にメールの着信が入った。手に取るまでもない。表示されたメッセージは既婚者の先輩だ。この人は毎朝、自分が起きる時間にこうしてわざわざメールを送ってくる。奥さんに言ってやりたい。お宅の旦那様は十六も歳の離れた女性社員に毎朝五時からモーニングメールを寄越してくるんですよ、と。

 もう何もかもが嫌になる。

 辞めてしまいたい。そう思うが、職歴も浅い女の自分が正社員にまたなれるという保証はない。一度、このレールから外れてしまえば、二度と戻ることはできないような気がした。

 こういう時、実家を頼れないのが辛い。

 頭を下げて頼めば実家に戻れるだろうが、あの田舎で親戚たちの陰湿な嫌がらせに遭うのも、今の状況とそれほど違いはない。いや、こうして一人でいられるだけこちらの方がマシか。

 馬鹿男が、こちらが返事をするまでメールをやめないので、仕方なく返信を返す。内容は簡潔に。感情は込めない。私が男なら、自分が好意を寄せている相手からこんな文章が来れば、まず脈はないと諦めるのだが、馬鹿な男には大して効果がないようだ。

『どんな格好で寝てるの? パジャマ? ネグリジュ?』

 背筋が総毛立って、思わず携帯電話を投げ捨ててしまった。ベッドの上で携帯が二回跳ねて、ベッドの下へと転がり落ちる。しかし、とても拾い上げる気にはなれなかった。

 奥さんと生まれたばかりの子供がいるのに。どういう神経をしていれば、早朝に他所の女へこんな怪文書を送って来られるのか。

 男が嫌い。粗野で傲慢で、乱暴でいやらしいから。

 女が嫌い。排他的で陰湿で、群れない者を排除するから。

 一人になりたい。

 ここではない、どこかへ行きたい。

 膝を抱えて、少し泣く。

 僅かに開いたカーテンの隙間から、朝陽が容赦なく差し込んでいた。


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