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謹賀更夜

 私は太宰府天満宮に祀られる主神、菅原道真である。

 正月三ヶ日の忙しさは例年の如く、地獄の底もかくやといった殺人ぶりで、助成に来てくれた福岡県下の神々も次々に倒れ、中には出雲まで逃げ出す神や、現実逃避の為にコミケに途中参加しに行くと泣き出す神も現れたが、どうにか正月三日間を無事に乗り越えることができた。

 毎年、参道に面した古い喫茶店を貸し切り、八百万の神々が集まって気絶するほど御神徳を振り回す。私は主神なので逃げ場などなく、貝のように閉じこもって延々と願いの浮き上がるノートを読み上げ、その者の助力となるような御神徳を他の神に丸投げするのが常だ。

 大晦日の夜などは、人間たちは新年を迎える準備に心踊っているのだろうが、私などは昼間から次々と県内外を問わずにやってくる参拝客の車が、少しずつ広大な駐車場を埋め尽くす様子を恐怖と共に眺めなければならない。あれほど広い駐車場が真夜中には完全に埋め尽くされ、近隣の駐車場もすべて全滅する。天満宮へ続く道には車によって長蛇の列が築かれ、地元の人間は正月三ヶ日は車で外出することを諦めなければならないほどだ。

 仕事場たる喫茶店の二階の座敷には、八百万の神々が長机にしがみつくようにして座り、テレビから流れてくる特番に耳だけを傾けて、差し入れの梅ヶ枝餅を頬張るという姿が例年の光景だ。ちなみに他の神々にも自らの社のことがあるので、シフトを組んで仕事に当たってもらっている。

 ピークは間違いなく三ヶ日なのだが、正月明けの最初の土日までが長い。特に休日は県外の参拝客が多くなるのだが、それは我々としても非常に大変なことなのだ。

 例えば、東京の人間が参拝に来たとする、そうなると彼の地元の産土神や土地神にも助力を請わねばならない。私は学問の神だが、偏差値を上げたりすることはできないし、試験中に答えを天啓として与えることもできない。もしどうしても他人に偏差値を操作してほしいのなら担任の先生にお願いする方が良い。私ができるのは、試験当日までに風邪をひかないようにしたり、無病息災でいられるようにすることだけだ。特に地元での事故などから身を守る御神徳を得るためには、どうしても地元の神に話を通さねければならない。

 地元の神々にそうした助力要請をすると、自身の暮らす土地神の神社へは参っていないというケースが多い。こうなると土地神の気分もよくない。自分の氏子が他所に参拝に行くのは寂しい気持ちになるものだ。

 そうして、私の正月は過ぎていった。今年の正月も本当に大変だった。こんな大変な思いを死んでからもするくらいなら、いっそのこと神になど祀られたくはなかった。そもそも雷なんぞ宮中に落とさなければよかったと後悔することもあった。

 しかし、私たちは今年も乗り切ったのだ。

 七日の夜、貸し切っていた喫茶店を後にした神々は疲労困憊、自分の神社へ帰り着く前に倒れそうなくらい消耗しているので、打ち上げの類も何もなし。ただ無言で参道を歩き、西鉄太宰府駅を目指す。もう電車に乗るのもだるいので、タクシーに次々と乗り込み、屍のようになりながら家路に着くのである。

 住み慣れた四畳半のアパートに帰り着くなり、私は布団を襖からひきずりだし、服も着替えずに横になった。携帯電話の電池も切れていたが、そんなことなどどうでもいい。

 目を閉じると、一瞬で眠りに落ちた。

   ○

 どれほど寝ていただろう。

 目を覚ますと、すっかり暗くなっていた。時計を見ると、ちょうど日付が変わったくらいだ。

 5時間も寝ていたのか、と思う反面、腹が空いたな、と思う。考えてみればこの一週間まともな食事といえば、うどんと梅ヶ枝餅くらいのものしか摂っていなかった。

 冷蔵庫からいろはすを取り出して飲みながら、コンビニへ行こうと決めた。この時間では飲食店も閉まっているし、私はコンビニ飯が割と好きな方だ。

 簡単に身支度を済ませ、家を出ると随分と寒い。そういえば冬の神が「疲れたから今夜から雪降らす。そして寝る」と不貞腐れていたのを思い出した。

「うぅ、寒い」

 私の住まうアパートは五条駅の程近くにあり、太宰府駅からは一駅の距離なのだが、歩いても10分程度しかない。本当はもう少し天神寄りの街で暮らしたいのだが、天満宮からあまり離れると慢性的に腹を下すようになるので仕方がない。別に太宰府に文句がある訳ではないが、もう1,000年近く暮らしているといい加減に飽きる。

 最寄りのコンビニへやってくると、知り合いの顔があった。

「神功皇后様。先日はご助力頂きまして誠に有難うございました」

 深夜のコンビニで女性雑誌を立ち読みしているのは、三社参りでもお馴染みの宮地嶽神社の御祭神である神功皇后様だった。神としても私より格上、尊敬する先達である。

「ちょっと。外でそんな呼び方するのやめてくれない? 先輩でいいわよ、先輩で」

「そんな学生じゃあるまいし」

「神様としては、あなたよりは先輩だからいいのよ。なに、こんな時間にどうしたの? 夜食でも買いに来たの?」

「先輩こそどうしたんですか。こんな遠くまで」

 宮地嶽神社は福岡市よりも東、福津市という海沿いの街にある福岡屈指の大神社である。

「それがね。宗像三女神の御三方に誘われて、天開稲荷の爺様と呑んでたの」

 宗像三女神様というのは古事記にも名をつらねる大神で、須佐之男命の剣を噛み砕いて天照大御神が産み出したとされる三柱で、神代の時代に神勅によって玄界灘に降臨し、宗像大社で祀られている。ひらたくいえば、神様の貴族様だ。

 私も何度となくお会いしているが、大変見目麗しい三姉妹で非常にミーハーである。神功皇后様と共にアイドルの追っかけをしたりしているので、女神というのはすべからくイケメンが好きらしい。

「宇迦之御魂神もご一緒でしたか。それはさぞ呑まされたことでしょう」

「まだ篝火焚いて呑んでるわ。私はもう無理。ついさっきまでそこのトイレで報いを受けてたのよ。二度と飲まないって毎回神に誓うんだけど、また呑んじゃうのよね〜」

「もう終電終わっていますけど、大丈夫なんですか?」

「それがね、使いの神馬に迎えに来いってLINE送ったんだけど、既読つかないのよね」

「寝てるんじゃないですか。もうこんな時間ですし。タクシーでも見つけて帰ったらどうですか?」

「嫌よ! 福津市までいったい幾らかかると思ってんの。年末のライブ遠征やらでお財布事情はかなりシビアなのよね」

 私は適当に相槌を打ちながら、飲み物をカゴに入れ、カップヌードルのシーフードを手に取る。

「私はしょうゆ味が好きなのよね。シーフードやらカレーやら経験したけど、結局ノーマルが一番なのよ」

 そんなことを言いながら、人のカゴにカップヌードルを放り込んでくる。

「ちょっと何しているんですか」

「呑んでばっかりでお腹空いたの。どうせ暇なんでしょ? 夜食に付き合いなさい。菅原」

「嫌です。帰って撮りためた正月番組を見るんですから」

「使いのものがくるまでの間よ! 一時間もかかんないわ」

「本当に来るんですか、迎えが」

「来るまで付き合いなさい。それとも私のいうことが聞けないって?」

 その昔、そうやって朝まで宝満山の頂で呑まされたことがある。たしかあの時も宗像三女神様がいらっしゃったのだ。こういう時、やはり神々も縦社会なのだなと痛感せずにはいられない。私よりも700歳も先輩なのだから、もはや何も言えぬ。

「うぅ、パワハラですよ。これ」

「わはは! 高天ヶ原に労働基準法はないのだ。大人しく従え」

 結局、暖かいお茶やお菓子なども買い、ついでにカップ麺にお湯を注ぎ、近くの公園を目指すことと相成った。

「この寒空の下、カップヌードルですか」

「温まるもの食べるんだからイケるイケる」

 お湯がこぼれないよう注意しながら、御笠川沿いの歩道を歩く。今夜は月明かりがあるので、転んでしまうようなことにはならないが、いかんせん目指す公園が遠い。

「皇后様。もうダメです。3分経ちました」

「嘘! ああもう、じゃあそこのベンチで食べましょう。ほら、そこ座って。お箸ちょうだい、お箸」

「すいません。フォーク派なんです、私。フォークでもいいですか?」

「どっちでもいいから早くちょうだい。麺が伸びるでしょうが」

 湯気で視界が真っ白になりながら、麺をすすり、スープを飲む。

「ああ、美味しい」

「うん。美味しいわ。どうしてこう夜食のカップヌードルって美味しいのかしら」

 私も同意見だ。神として祀られるようになって1,000年あまりの年月が過ぎたが、日の本の国は随分と豊かになったと思う。とにかく戦乱で同国人が殺し合うこともなくなり、幼子が無慈悲に殺されたり、飢えて死ぬことも少なくなった。無論、今もなお痛ましい事件は起きてはいるが、少なくともそういう事件が罪であるとして罰せられる世の中は素晴らしい。

「平和ですね」

「平和ね。本当に有難いことだわ」

 神功皇后様も生前は亡き仲哀天皇に代わって戦や政を行った女傑だ。文官の私なぞよりもずっとご存知なのだろう。

「ほら、宇美八幡宮ってあるじゃない?」

「ええ。たしか応神天皇を御出産なさった社ですね。それにあやかって安産祈願の妊婦たちが石を預かりに来るとか」

「そうなの。もう福岡はもちろん日本中の妊婦が安産祈願にやってくるのね。でも、昔はやっぱり医学的な水準も低かったから赤子が亡くなってしまうことも多くってね。悔しかったわ」

「わかります。うちにも安産祈願の方は多く参拝しますから」

 特に生まれて間もなく亡くなってしまう命は、八百万の神々も憂慮している。

「こうやって平和に年を越して、氏子たちが寝静まった町並みを眺めながらカップヌードル啜るのも幸せなことよ。私たちは見守ることしかできないけれど、できることなら手を差し伸べてあげたいといつも思うわ」

 そうですね、そう言おうとしてなんだか奇妙な声が聞こえる。

 唸るような音だ。

「ねぇ、これってイビキじゃない?」

 立ち上がって周囲を探してみると、生垣の向こうに新聞紙に丸まって横になっているスーツ姿の中年男性を見つけた。

「ちょっと! こんな所で寝たら死ぬわよ」

 男性は顔を真っ赤にして固くを目を閉じて眠っている。見るからに疲労の色が濃い。

「この人、休日出勤でもしていたのかもしれませんね」

「おまけに酒で酔い潰れてるわ。まったく。現代の人間たちも大変ね。死ぬまでこき使われて。加護する神々の身にもなって欲しいもんだわ。私、自分のとこの氏子が過労死なんかした日には会社ごと潰してやるわ。菅原、あんたその時はまた雷落としてやんなさい」

「避雷針に当たるだけですよ。まったく物騒なんだから」

 しかし、神功皇后様のいうことも分かる。氏子というのは文字通り、自分たちの子供のような存在だ。赤子の頃から見守り、家庭を作り、子を成し、やがて死んでいく。その人生がより良いものであるよう、我々は天命を尽くすのだ。

「あら。お財布の中に免許証があるわ。なに、このおじさんったら古賀市の人じゃない」

「ああ、隣町ですね。送り届けて下さるんですか?」

「企業戦士にも御神徳があってもいいでしょ。それに、この人うちにも何度か参拝しに来てるわ。なんだか見覚えがあるもの。たしか娘さんはうちで宮詣りと七五三をした筈よ。うん」

 夜空を流れ星が一筋、音もなく落ちてくる。光は地上にぶつかるよりも早く、白馬の姿となって歩道に現れた。若干、息切れしているように見えるのは、相当焦ってやってきたからに違いない。

「おお、さすがに皇后様の神馬は早いですね」

「アンタの所は神牛だものね。でも、牛車を引けて便利じゃない」

 いや、牛車の乗り心地はお世辞に言っても酷いものだ。移動するならスクーターの方が良い。

 神馬は器用に酔いどれ男性を背中に乗せると、鞍の上に神功皇后をお迎えした。

「それじゃあ帰るわ。今年もよろしくね」

「こちらこそ。何卒宜しくお願い致します。途中で落とさないようにしてくださいよ」

 もちろん、そういうなり流れ星が空へと疾走する。光の尾を引いて、やがてすぐに見えなくなった。

 虚空へ白い息を吐く。

 年はまだ開けたばかりだ。

 きっと試練や騒乱、痛ましい事故もあるだろう。

 だが、今年もまた人々にとって豊かで実りある、祝福に満ちた一年になるよう私も祈ろう。

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