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満月拉麺

 「そういえば、満月ラーメンのことを知っているかい?」

 夜行堂の依頼を終わらせて戻った私たちに、店主は煙管の煙を吐きながらそう言った。

 疲労困憊、既に時刻は日を跨いでしまっている。千早君などはもう白目を剥きかけていたのだが、ラーメンという言葉に急に目を輝かせた。

「知らねぇ。なに、それ。曰くつきのラーメン屋とか?」

 曰くつきのラーメン屋になど行きたくはないが、活力を取り戻したことは良いことだ。おかげで車まで背負って行かずに済む。

「屋敷町に夜な夜な出没するという屋台でね。その味は比類するものがないという話だ。もし良かったなら探してみるといい。君の右眼なら見つけられるかも知れない」

「深夜のラーメンか、最高だな」

 私の記憶にある限り、ここ数年、県下に屋台の営業許可が出たことはない筈である。曰く付きというよりも、それは無許可営業の闇屋台だ。神出鬼没なのも頷ける。

 聞かなかったことにしよう。この極限状態で仕事のことなど考えたくない。私は何も聞かなかった。

「つい先日、うちに迷い込んだ子に縁があってね。件のラーメン屋を見つけたという。あんなに美味しいものは生まれて初めて食べたと嬉しそうに話していたよ」

 この店に楽しげに報告にやって来る人間がいるという事実の方は驚きだ。ここは只の骨董店ではないのだ。放課後にちょっと立ち寄っていい場所ではない。

「若い子だって縁があればやって来る」

 心の声を聞かれたぐらいでは今更もう驚かない。

「大野木さん。今からそのラーメン屋探しに行こうぜ。どうせ帰り道だろ」

「冗談ですよね? もう間もなく二時になりますよ」

「探すだけだよ、探すだけ」

「そんな簡単な話ではないと思いますが」

 こうなるともうこちらの話は聞こえていない。私一人で家に帰ってしまえば良いだけなのかもしれないが、そうなると間違いなく明日の依頼に支障が出るだろう。最悪、明日一日、彼と連絡がつかなくなる可能性さえある。

「十五分だけです。それだけ探してみて見つけられなければ、帰りますからね」

「それだけあれば十分だ」

 どうしてこんな真夜中にラーメンの屋台を探さねばならないのか。

 その要因となった夜行堂の店主は眠気など一切感じない様子で、肩を揺らしてほくそ笑んでいるが、笑い事ではない。一刻も早く家に帰り、熱いシャワーを浴びてベッドで横になりたいのだ。

「件の店が見つかることを心から祈っているよ」

 いってらっしゃい、と煙管の煙を吐きながら手を振る店主に見送られて、私たちは夜行堂を後にした。

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