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ピクシブ百科事典更新マンの感情

最近、シアーミュージックV関連のpixiv百科事典を作成したり更新したりしている。まだ途中だが、続けていきたいと思っている。

基本的に、自分がやるべき事ではない…自分なんぞがネット上に彼女たちの情報を刻むなどおこがましい…とか思っているので、更新するたびに自己嫌悪し、怖気が走る。だがそれでも更新をするのは、俺が好きで応援している人たちの情報に、もっとアクセスしてほしいと、もっと多くの人が魅力に触れる機会を増えますようにと思っているからだ。最近、特にその気持ちが顕著になってきた。”願望の反映”。

より正確に言えば、”現実の否認”だ。”実力もあり”、”ユーモアもあり”、”活動を通して何かしようという意志があり”、”ファンにボジティブな感情を持ってもらおうという強い意志がある”、と、ざっくりそんな風にシアーミュージックVを見ているが、そんな前向きで楽しげな彼女らの情報にアクセスし辛いなんて事、あってはならぬ、許せぬ、という気持ちがある。”現実の否認”というエネルギーで百科事典を更新している。

しかし難点がある。普段から活動を完全に追っているとか、昔からずっと追っている場合ならいいのだが、自分はニワカで、シアーミュージックVの情報弱者である。究極の理想形としては、全ての活動、配信に触れた上で、コアな情報を抜き出し、記述していくのがいいのだが、何百個もある2時間級の配信全てを追うのは、現実的には出来ない。そして、そんな中途半端な状態でネット情報を書き込むことは、オタク的にかなり許せない。ここに葛藤がある。

ただ、コアな情報という点に関して、一つだけ確かな部分がある。彼女たちの魅力は間違いなく「歌」の点にあって、自分も彼女たちの「歌」のファンであるということだ。であるならば、まずはそこだけでも、と思う。本当なら、キャラ性やら箱内の関係性やら、ファンコミュニティの中に漂う、生き生きとした情報を書き込んでいきたいのだが、まだ潜り方が足りないので無理だ。今後の課題とさせて頂くか。

基礎的な情報と歌の埋め込み
それだけでも、あると良い気分になる。
彼女たちの歌を聴く人が増えればいい。
彼女たちの歌を聴いて、ストンと
好きになってしまう人が一人でもいればいい。
とか、思わないでもないが、
それ以上に、何より自分にとって強い意味がある。
自分が、彼女らを好きだったという事の記録だ。

卒業した戸根ちゃんのページを作った。
大事なのは歌動画を埋め込むことだ。
多くは書けないし、書かないでいい(俺の立場からすれば、である。深く潜っていれば書くべき事柄など無限にある)。
だがそれでも、コアな情報を探して配信を彷徨い、
自らの気持ちを振り返り、切ない気持ちになる。

戸根ちゃんがカバーしていた「天ノ弱」。
やっぱ戸根ちゃんの声、良かったよなあ、
とか思いながら、
「姿は見えないのに言葉だけ見えちゃってるんだ」という歌詞が刺さる。
もう姿は見えないのに、
存在の影だけが残っている状態。
「戸根かすみ」への
オタク感情の歌のように思えた。
「進む君と止まった僕の
縮まらない隙を何で埋めよう?」という歌詞が
「戸根かすみ」への好意が脳に焼き付いた
「かすみすと」の感情を書き記している
ように思えた。

良い活動者だった。精力的に活動していた。
慎重で、奥ゆかしさもあった。
ファンに対して、真摯だった。
応援する甲斐のある活動者だったと思う、と、
今更ながら振り返る。
振り返ったという事実の記録として、
Pixiv百科事典を更新する。
Pixiv百科事典更新マンになる。

元気にしていますように。

祈りと妄想の漫画

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