インターネット瞑想

脳内報酬の「予感」が「やる気」である、という言葉を、”世界の真実が刻まれる場”こと””Twitter””で最近読んだけど、俺は何を報酬として想定し、漫画を描いているんだろうと、眠い頭で考えている。

俺は自分の絵と漫画が好きだから、自分の漫画が読めること、というのは第一に報酬としてあるけど、それ以外には何もない、という絶望的な気持ちになってきている。そんなわけない。でも疲れが出てきている。

俺が見たい物を見るためには、時間と労力をそれなりにかけなきゃいけない。しかし時間は無限にない。あったとしても、完成という報酬が遠くなるため、時間は区切らざるを得ない。結局は日々コツコツ描くしかなくて、それが一番早いのだが、1ヶ月くらい続くと鬱屈としてくる。今がそう。

理想が高い。どうやら。

自分の中にある萌えを描くためにやっている。それだけの為なら、もう”それなり”の表現手段を持っていると思う。だから満足する事は簡単なはずだが、上手く心が働かない。ワクワクしない。今できる事の中で済ませるのは本当に簡単だけど、俺にはもっと先があるはずなんだと、自分の中の妄想に囚われている。

現実が妄想に追いつくのは、遥か先であって、今じゃないのに、未来を見てる。

西尾維新が毎日2万字までしか書かない、という事をルーティンにしているらしい(最近は知らない)けど、そうだな。毎日ここまでしかやらない、があった方が多分良い。日々、その一区切りに集中する。先を見ると、心が擦り減ってくるから。

本作りをしている人たちは何を心の報酬にして作っているんだろう。コミケのデータによると、6割以上のサークルは赤字だという。5万円未満の黒字が15〜17%、それ以上の黒字が12〜20%という話だが、ほとんどの人間がまずお金の為にやっていないということだ。心の報酬としてお金は分かりやすいが、事実として殆どの人間はそれを原動力にしていない。

赤字の6割の人達は、時間と労力と金をかけて、何を心の報酬に得てるんだろう。いや、わかっている。一人でも読んでもらえたら嬉しいなんてことは当然理解しているのだが。誰かに読んでもらえる事にまず保証がない。少なくとも俺にはない。

だから、本を出す時に、何も期待していない層が相当数いる気がする。他人が何を好むかなんてわからないし、移り変わってもいく、一つだけじゃないから、読んでもらえるのかわからない。だから期待しない。俺が描くもんなんでも好き、なんて人間がいたら良いけど、俺だけだなそれは。同じ人が書いたものでも、普通は好き嫌いがある。

そうだな。だからこそ、ほんのひと言でも感想が欲しいのだろうな。長ければそれだけ嬉しいし、何か、作品に対して好きだという気持ちが湧いたり、思うところがあったり、また読みたいと思ったり。何か。何かがあれば良いなと。人の心に触れたい、という気持ちがある。それが難しい事だから貴重で尊く大事だ。

じゃあやっぱり、頑張らないとだな。全力を尽くして初めて、誰かの心に触れた時に胸を張れる。胸を張って、ありがとうと言える。その人が良いと思ってくれたのと同等に、あるいはそれ以上に、自分も良いと思えるものを作ることで、その心を正面から受け止められる。そうしたい。

いつも、褒められても少し後めたい気持ちでいる。本当にベストを尽くしたのか、出来たのか自問してしまう。でもこれがベストだというものを作ろう。自分のやることに胸を張れるように。自分に誇りを持てるように。そうだ。誇りが欲しいんだ。

インターネット瞑想おわり

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