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金メダリストと菩提寺

2019年4月(令和を発表した日)に実父がガンで他界した。初盆の菩提寺に行くと、金メダリストの三宅義信先生の講話があるというので、お寺の構内で話を近くで拝聴させていただきました。三宅先生は、東京オリンピック(1964年)、メキシコオリンピック(1968年)の2回、重量挙げで金メダルを獲得しており、全盛期には160キロのバーベルを持ち上げていたそうである。太平洋戦争の敗戦から19年後に東京オリンピックが開催され、日本の金メダルの第1号であったという。それから日本も高度経済成長時代を迎えることができ、三宅義信さんの金メダルは日本国民に自信と誇りをもたらしたのだと思います。三宅義信さんは非常に研究熱心で、入念にフォームをチェックし、多いときは1日100トンを挙げた日もあったという。

やれることは全部やった。次は金しかない!」24歳の陸上自衛官は、明鏡止水のごとき境地で、東京オリンピックを迎えました。
大会2日目に、プレス、スナッチ、ジャークの計397.5キロの世界新記録を打ち立てて、三宅義信さんは、東京オリンピックの金メダル第1号となりました。それが、キッカケとなって日本選手団を勇気づけて、日本の金メダルは16個獲得したという。続くメキシコでも、三宅義信さんは金メダルを取り、弟の義行さんは銅メダル。兄弟同時に史上初めて表彰台に立ちました。

       (ゴールドメダリストを育てる会より)

  (東京、メキシコ、ローマオリンピックの金·銀メダル 川越の菩提寺より)

「子供たちに夢と希望を与えることが、五輪で金メダルを取った選手の役目ですから」現在は、「ゴールドメダリストを育てる会」を立ち上げ、2020年の東京オリンピックでも、重責を担うことになったと話しておられました。千日回峰行を2回達成された酒井雄哉さんは驚きましたが、こんな身近に三宅義信さんのような偉大な先輩(法政大学出身)がいることを誇りに思います。
川越の菩提寺で金メダルを拝観させていただき、「感動論」で金メダルの話を書いたら、まさかこんな出会いがあるとは驚きました。
ユングが提唱したシンクロニシティ(共時性)を感じました。三宅義信先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

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