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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第84回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載84回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。
 
 
六、勲章の章

原点は十字軍の騎士団修道会

 洋服の成立から、軍人の制服、さらに今日の紳士服への流れを振り返る本書のテーマの流れの中では少し本筋から離れるかもしれないが、肩章、軍人の階級、そして飾緒などを取り上げたので、さらに軍人にとって切っても切れない勲章についても見ておこう。案外に、勲章の通史を取り上げている書籍も少ないようだから、これを機に、ということでもある。
 日本人にとっては軍隊というものは明治時代に突然、出来たものだ。ヨーロッパの各国では、中世以来、徐々に騎士団から国家の軍隊となった。さらに大貴族が大佐となって領民を徴用し、連隊を私有した時代から、市民革命と国民皆兵の時代となる。地元名士が民兵大佐として民兵隊を指揮する時代、さらに現代の軍隊へと整理されていった流れがある。しかし我が国では、幕末期に高杉晋作の奇兵隊の登場を契機にいきなり武士団が解体され、それから10年ほどの間に、身分の枠を超えた兵科と編成が採用されたのである。
同じように勲章というものも、諸外国に合わせて俄かにこしらえられた、その意味ではどこか日本人にとって身につかない制度なのではないか。なにかしら、国家からご褒美として胸に飾るバッジをもらう、というイメージがあるだけで、だからなんとなくそらぞらしく、腹の底から尊重している気風はないように思えてならない。
が、そもそも胸に着けるデコレーションとしてのメダルは、あくまでも賞勲制度の中で結果として身に帯びる証の意味があるだけで、叙勲として受ける栄誉全体は英語でオーダーという。オーダーorderは日本人にとっては「注文する」といった意味合いしかなく、なぜこれが勲章を受ける意味になるのか分かりにくいが、オーダーという語の本義はまず「序列」である。そこから「命令」という意味が出てくるのだし、一般に注文という意味合いにもなる。本来は相当に権威的な「上から下への序列」を意識させる語感である。
オーダーを受けるとは、単にご褒美のお飾りをもらう、という意味ではなく、君主から見た序列に組み込まれる、という意味なのである。よって、日本の栄典制度でも明治以後、二〇〇三年まで叙勲には勲一等~六等までの等級があった。さらに戦前には勲八等まであった。これも本来は天皇から見た序列なのであって、古来の日本にある宮中での位階、つまり正三位だの従五位下だのというランク付けと同様のものであった。日本ではこの位階制度が明治以後も存続し、制度的には今日も(死後の叙階に限られるが)存在している。それで勲章のランクと二本立てとなり、意味があいまいになったようである。
では欧米ではオーダーというのは本来的にはどういう意味合いなのか。その原型は遡れば、キリスト教国の軍勢が中東に攻め込み、聖地エルサレムの奪回を図った十字軍の時代に至る。その大本はといえば、キリスト教会が認定した騎士団修道会(ミリタリー・オーダー)こそがすべての源流だ。すなわち、オーダーとは神や教会から見た信徒の序列付けであり、その結果として騎士団の意味も兼ねたのである。有名なテンプル騎士団(一一一八年創設)を始めとする騎士団修道会の騎士は、自分の家に伝わる紋章を記した楯を破棄して、修道会の紋章を身に着けた。勲章の原型はこれである。
十字軍の終了後、各国の君主は自分たちの親衛隊として相次ぎ世俗騎士団(シヴァリック・オーダー)を設立した。一三二五年創設の聖ゲオルク騎士団が古い例だといわれる。 
ここで時代は、英仏の騎士団がしのぎを削った百年戦争(一三三七~一四五三)の時代に移る。英国王エドワード三世(一三一二~七七)が自身の親衛隊として組織したのがオーダー・オブ・ザ・ガーター、つまりガーター騎士団である。そして、そのメンバーが身に帯びることを許されたのが、世界最古の勲章とされるガーター勲章なのである。英語で言えば勲章もオーダー・オブ・ザ・ガーターであって、英語圏の人にとっては勲章と騎士団は同義なのである。ガーター騎士団設立と勲章の制定は一三四八年ごろと伝わる。

ガーター勲章と伯爵夫人

あくまでもガーター騎士団の一員になることがオーダーの意味合いで、勲章はそのシンボルに過ぎない、と書いた。それにしても、なぜガーター(靴下止め)が栄えある騎士団員の証として採用されたのか。
一般によく知られている逸話としては、エドワード三世がエルサム宮で舞踏会を催した際、踊りのパートナーのソールズベリ伯爵夫人が脚に着けていたガーターが、脱落して床に落ちてしまった。当時の感覚では下着が落っこちて衆目にさらされたのも同然で、夫人は狼狽し、周囲の人は笑った。しかし国王はHoni soit qui maly perse.(他人をあざ笑う者に報いあれ)と言い、ガーターを拾い上げて自分の脚に着けた。今度は周囲の者が赤面した――、というものだ。これにちなみ、ガーターを名誉の証として騎士団員の印とし、フランス語のセリフを勲章に刻んだ、とされる。
なお、このソールズベリ伯爵夫人は、後に離婚をして、エドワード三世の長男で百年戦争の英雄であるエドワード黒太子(一三三〇~七六)と再婚し、妃となった。つまり、王様から見ると、後年になって「義理の娘」になった女性である。
どうして英国の王様がフランス語を? と感じる方も多いだろう。それに、交戦中の敵国の言葉を刻むのは奇異な感じもするが、当時の英仏王家はごく近い親戚同士で、エドワード三世がいったん断絶したフランス王家の継承権を主張したのが百年戦争の発端。すなわちエドワード三世は「自分こそ正統なフランス国王にふさわしい」と名乗っていたわけで、王室のメンバーはフランス語も出来て当然だったから、後の時代のような国民国家同士の戦争のイメージではなかった。
しかし近頃の異説では、エドワード三世が心酔していた十字軍時代の名君、獅子心王リチャード一世(一一五七~九九)……ロビン・フッドの物語で暗愚な弟ジョン王の悪政に苦しむ民衆が十字軍からの帰還を待ち望んだあの王様である……、その獅子心王が腹心の者たちとそろいのガーターを愛用していた、という故事にあやかったのだともいわれる。いずれにせよ、王様のごく個人的な趣味でガーターが特別の意味を帯びたことになる。ガーター騎士団のメンバーは国王、太子と二十四人の団員、および騎士コンパニオン、女性コンパニオンの若干名に限られた。
明治以後、日本の天皇も英王室よりガーター勲章を得ている、つまり騎士団員である。もちろん外国の君主はゲスト扱いであって、別に臣下であるわけではない。むしろ親戚扱い、という意味である。元首同士で高位の勲章を贈りあう、そして、その国を訪問するときには、その勲章を身に着けていく、というのが儀礼なのである。
ところでこの勲章は基本的に靴下止めのバンドなので、そのまま脚に帯びても女性などスカートの中で見えなくなってしまう。元祖ソールズベリ伯爵夫人にならって毎回、わざとガーターを落とすというわけにも行かない。それで、女王などは腕にガーターを巻くことがある。さらに常用として、胸に着けるバッジ、首にかける頸飾(カラー)も副章として導入された。襟元や胸に着ける勲章の原型ということでは、このガーター勲章の副章の方が現代人の勲章イメージに近い。
英国では、最上位のガーター勲章から、それ以下の各種勲章の序列とそれぞれの勲章の中の等級で、その人の功績を示すのであり、勲爵士としてサーと呼ばれる。サー・ウィンストン・チャーチル、という具合である。イギリスの大使は任命されると勲章をもらってサーになる制度になっている。勲章を受けるということは世襲貴族になるのとは違うが、それに準ずる身分に組み込まれることで、重い意味があるのである。


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