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日本初のボサノバPOPSはあの曲か?

私が初めてボサノバという音楽を聴いたのはたしか大学生のころだったように思う。
工学部生でありながら、バンドサークルに所属しオリジナル作品(作詞・作曲)を少しずつ発表していた。

オリジナルを作っていくには音楽の引き出しを多く持っていないと、すぐにマンネリ作品になってしまうことは痛感していたので、ロック・クラシック・日本の流行歌などむさぼるように聴いていた。

そんな時に、アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「WAVE」に出会った。当時の感想としては、あまり主張するメロディは感じられないし、どことなく浮遊感のある音楽だなあと感じた。
それがボサノバのリズムとテンションコードのせいであると理解したのはずいぶんと月日が経過してからだった。

ボサノバという音楽は1950年代にブラジルで誕生したサンバを基調にモダンジャズの影響を受けて誕生したといわれている。世界中に広まったのは以下の逸話が有力な説であろう。

1963年にアントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトが作ったアルバムの1曲に「イパネマの娘」があった。ジョビンが作ったこの曲、録音ではジョアンが歌ったあと、その妻だった二十二歳のアストラッドが英語で歌っていたが、曲の尺が長すぎてシングル化できないため、アストラッドだけの歌唱のシングルが発売された。

https://youtu.be/a8wcZUUXJFs

この曲がアメリカだけでなく世界に、ボサノバという新しい音楽の話題を爆発させた。ブラジル音楽を知らない人たちに、アマチュアでしかなかったアストラッドの舌足らずなヴォーカルが、ボサノバという音楽のイメージを作りあげた。


私はその後も様々なブラジルの歌手のボサノバをCDで購入して楽しんだ。その歌詞カードの日本語訳に頻繁に出てくる「サウダージ(saudade)」という単語の響きが心に残っていたのを思い出す。サウダージの意味について、「ボサノヴァの真実」ウィリー・ヲゥパー著に以下のように書かれている。

ブラジル音楽を理解するキーワードとして「サウダージ」という言葉も挙げておこう。

ブラジル音楽を長く聴いている人なら一度は耳にしていると思うが、実は的確に当てはまる日本語はない。
あえて訳せば「郷愁」「無くしたもの、もう手に入らないものの懐かしさ」といったような意味になる。

母国を離れ新大陸に渡ってきたョーロッパ系白人やアフリカから強制的に連れて来られた黒人奴隷等、彼らが遠く離れたルーツを想い出すときの心境に近いだろう。

ブラジル音楽にはョーロッパ伝来のキリスト教会の讃美歌の旋律やアフリカ奴隷の望郷のリズムが溶け込んでおり、彼らの遺伝子が無意識に反応しているのかもしれない。

アイデアとは既存のものに何か少しの要素を付け足すことによって生まれるといわれるが、音楽もまさしくそうなのである。
サンバ+ジャズ→ボサノバであるならば、今ある日本音楽に何か新しい音楽を組み合わせると、世界を席巻するような新しい音楽が誕生する可能性は十分にある。

日本の歌謡シーンに初めてボサノバをベースとした楽曲でのヒットは、おそらく荒井由実の「あの日に帰りたい」だろう。
この曲がリリースされたのは1975年10月、日本の音楽シーンは歌謡曲(流行歌)の中に、フォークソングというジャンルが台頭してきた頃である。そんな中、教会音楽の要素などを取り入れて、ニューミュージックという言葉の礎となったのが、荒井由実の音楽だった。

その他、丸山圭子「どうぞこのまま」や、八神純子「思い出は美しすぎて」がその後ヒットしたが、どちらも秀逸な歌謡曲であると思うし、私も大好きである。

最後に手前味噌で申し訳ないが、私もボサノバの曲を作曲してリリースしたことがある。
1997年9月、日本クラウンレコードから、木村みゆきの歌唱で「ミッドナイトボサノバ」(作詞:南田圭、作曲:塚本誠一郎、編曲:青木望)リリースした。

残念ながらもう廃盤になっているが、YouTubeやSoundcloudでは別の歌い手がカバーしている動画や音源をいくつか見つけた。自分の作品が知らないところで歌われていることを知るのは作り手として本当に幸せを感じる。

ボサノバはこれからも意欲的に作っていきたいジャンルのひとつである。

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