見出し画像

世紀のカス「マナー講師」の抱える矛盾~バカと考えるマナーが必要な「本当の」理由~

マナー講師が嫌いなのでそれについて書きます。

そもそもいわゆる「マナー」というのがなんであるかというと、上流階級の方々のための文化資本なわけじゃないですか。

つまり自分は「高級な人々」しか知り得ない意味のない作法を知っているよ、ということを行動で示すために色々な手順を踏むわけです。

そのためには、他人が知らないことについて知らなくてはなりません。

ここでマナー講師という職業に立ち返ります。

彼ら彼女らは、マナーという意味のないものを教えることで、「あなた達も上流階級の仲間入りですよ」というのを約束し、お金をもらっています。

ただ、多くのマナー講師が誕生し、テレビに出たり講演をしたりして教えてきたマナーが広まってしまうと、そのマナーでは下流の人々との差別化を行えないので、マナーの意味がなくなってしまいます。

つまりマナー講師が抱えている矛盾とは、

世の中にマナーを広めていくことが仕事である、がマナーが広まるとマナーは意味をなくしてしまう

というところなのです。

マナー講師が失礼クリエイターと呼ばれる所以もここにあります。失礼クリエイターの方々は望んで失礼を作っているのではなく、自分たちの仕事の構造上、意味のない「マナー」を作らなくてはいけないのです。

厄介なのが「意味のないマナー」というところで、最初に述べたとおりマナーは上流階級であることの証明であればいいので、それ自体に意味を求めていないのです。

だからこそ失礼クリエイターの方々は無尽蔵に失礼をクリエイトし、それを流布してしまいます。


失礼クリエイターの方々にとって都合がいい点としては、民衆が馬鹿であるというところではないでしょうか。

マナーは「知らない人がいると不快になる」ものではなく、「マナーというものが存在してしまうことによって特定の行為を忌避するようになった」という構造なのです。

例えばハンコはお辞儀するように傾けて押す、という考え方自体が存在していなければ、誰もハンコの向きを気にする必要もなかったし、知らないことを咎められることはありません。

繰り返しになりますが、なぜならそのルール自体には意味がなく、ルールを知っているということ自体が自分の階級を示すために必要であるというだけだからです。

マナー講師様はマナーは「相手に不快な思いをさせない、そしてお互いに気持ちの良い時間を過ごす」ためにあるなどと言っていますが、これは少なくとも現代においてはちょうど逆になっており、失礼クリエイターの方々が様々な「正しさ」を作ることによって、そのルールから外れた行動を不快だと認識するようになっているのです。

(非常に詭弁が上手いという意味では、かつてのソフィストに通ずるものを感じますし、いつかマナー講師という言葉が「カス」という意味で使われて欲しいな、などと)

下記ページをありがたく参考にさせて頂きました。敬意を込めてこちらで紹介させて頂きますので是非ご査収ください。非常によろしくお願い致しますです承知いたしました。

マナーはなぜ必要なのか?!【ビジネスから日常生活まで】

ただ、ここまで理解してくださったあなたもマナーから逃れる術はありません。そう、マナーは勲章のようなものであり、どんなに意味がなくてもそこに意味を見出す人間が存在してしまうからです。

そしてそういう人々は社会の上流にいるので、我々がある程度ちゃんと生きていこうと思うとマナーは必要になってしまいます。

これは上流階級の方々による再生産が行われるからであります。文化資本による再生産は教育界でも問題となっているポイントでもありますが、あまりに大きな問題故に僕たちが一朝一夕で立ち向かえる問題ではありませんし、そして恐ろしいことに、恐らく僕たちが上流階級と呼ばれる側に片足を突っ込んだらこのポイントを見るようになってしまうのでしょう。(再生産が起こることが都合の良い側に行ってしまったら再生産の仕組みを壊そうとはしないでしょう。)

あれ、恐ろしいと恐らくを続けて使ったらマナー違反だったりします?これはまだ大丈夫?そのうち狙われる?

さて、この長い長いnoteがなんのために存在するかというと、僕のこの世界への諦めをどこかに吐き出すためです。

すべてのマナーに反骨精神を持ち続けている同士の皆様、一緒に頑張りましょう。

ちなみにnoteの文末に「うんぺろぱくぱく」と書くことは最低限のマナーですので、これからnoteを書く皆様は重々承知の上で作成をお願い致しますね非常によろしくお願い致します失礼いたしました承知いたしましたお先に失礼致します。

うんぺろぱくぱく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?