スポーツ選手はタレントたるべきか

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Posted by 武井 壮 on Sunday, May 30, 2021

武井壮さんのこれを読んだ上での感想です。

これはズルい質問なのですが、競技の頂点を決める大会において、競技自体の上手さはあるものの対人コミュニケーションが苦手な人と、競技自体は下手だが人をよく惹きつける人がいた時、どちらを優勝とすべきなのでしょうか?

私個人としては競技自体が上手い人だと思います。なぜなら競技がうまいので。

多くの分野においてコミュニケーション能力が重要であり、人を惹きつけるタレント性が重要であることに関しては反論の余地がありません。

ただ、世界中ありとあらゆる分野においてそうなるというのは多くの人に取って得ではない結果をもたらすのではないでしょうか。

例えば研究者においては明らかにコミュニケーション能力よりも研究能力が高い人の方が価値があるでしょう。コミュニケーションではワクチンは作れないので。

スポーツ選手もこちら側にいるのではないでしょうか。

スポーツの才能、かけた時間をというのは他の人では代替不可能であり、だからこそ価値があると考えています。

一方でコミュニケーション、タレント性というのは言ってしまえば誰でもよく、武井壮さんのファンであっても実は武井壮さんでなくてもよいのです。

そういった代替不可能性を武器として戦っている人を、コミュニケーションの欠如を理由にコミュニティから追放した先には何が残っているのでしょうか。

なんとなく面白いことを言うちょっと運動が出来る人たちの集まりにどれだけの価値があるのでしょうか。

現状の枠組みではスポンサーなどが満足しない、というのであれば、それは枠組みの問題であると考えられます。なぜなら代替不可能なのは選手であり、大会のスタッフやスポンサーではないからです。

例えば負けた時にはコーチにインタビューして反省点を俯瞰的に見るとか、インタビューに答える仕事を新たに作って選手の近くで見守り続け、インタビューの際にはその人が来るとか、大会の名前をスポンサーの名前にするとか、来場者にアメニティを配ったりだとか、

自分の能力が足りないゆえにいいアイデアがパッと出ることはありませんが、スポーツ大好きマンが何万人もいたら少しくらいいいアイデアが出るのではないでしょうか。

これからインタビューが不必要なプロスポーツの枠組みが出来たら、例えば小さな話者がほとんどいない国からとんでもなくスポーツが上手い人が表れ、世界をときめかせるかもしれません。

その上でスポーツの才能がない、3番手くらいにしかなれない人は魅力でカバーするなどの行為を行うのがよいのではないでしょうか。

既存の枠組みの中でのよりよい案を考えて気持ちよくなることは簡単ですが、より色々な人が得をする効率的なしくみを考えるのが今問題に直面している私達が行うべきことなのではないでしょうか。

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