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日記135:「服なんてもう買うな」

果たして、本当にそうか?

服を買うのが好きだ。
嘘だ。そこまで好きではない。
やや嘘だ。どちらかというと好きな方だ。
そうは言っても、そこまでこだわって買っているわけではない。小さいイオンが憩いの場となるような程度の田舎なので洒落た店など存在せず、私の財布は本にばかり紐が緩むのでそもそも服にそこまでの金は使わない。月に1~3回程度、しまむらやavailに行ってしげしげと眺め、気分によってそれだけで終えたり、あるいは例の不調で動悸をドコドコさせながら退店したりする。

今日は隣町のモールに行ってきた。
目的はその中にある激ウマかつオキニのアイスを食いに行くことだったが、最近は例の動悸(二度目の登場)であんまり長居できなかったのが嘘のように好調だったので、厚さでへばりなりながらも店内を見て回った。なんと久々に書店でレジをおのれで済ませたりもした。セルフレジではないレジである。
2階のフロアをあちこち歩き、しまむらで白のサマーカーディガンを買って帰った。

帰って、絶望した。
また服を買ってしまった!心中で絶叫したい気持ちになった。
私の箪笥は腕1本分の長さよりやや短いくらいの幅の4段構えで、正直あんまりたくさん入るようなスペースはない。そんなにたくさん入れられるようなスペースはないのだ。
しかしながら先日服を見に行ったとき、私はとんだ見当違いをかました。パンツ類…ボトムスというのだったか?そういうのが確か春夏服には少なかったと思い、2本か3本かを購入してほっくりした顔で帰宅した。満足げな私を待ち構えていたのは、ボトムス(パンツ類というのだったか?)が少なかったのは冬の時期で、このぬくかったり暑かったりする時期にはなかなかバリエーション豊富なそれらが箪笥でスヤしていたのであった。

そういうことがあり、さらに春夏服を衣装ケースから衣替えしたこともあり、箪笥の中は非常に窮屈そうだった。今日も今日とて浮き浮きサマーカーディガンを買ったけれど、いざ帰ってみると、そういえば母が朝に上着類を引っ張り出してきてくれていたことを思い出した。
服なんか、もう買うんじゃない。どうせ外にもそんなに出ないのだし…と思った。

…ふと、思った。
昨冬は冬の長さが1年分に感じるくらいの驚異の活動量だった。今年だってわりと活き活きして毎日動いている。
これは、チャンスなのではなかろうか。買った服をちゃんと着るために外に出て、いらなくなった服をちゃんと選んで処分するために身の回りを整頓する。
確かに服を多く持ちすぎた感は否めない。しかしそれを、服なんかもう…ということだけで片付けるのは、単なる雑な自己否定で物事を片付けようとしているんじゃなかろうか。

とりあえずは、だ。少なくとも今月はもう服を買わないようにする程度の反省で十分だろうし、あとは手に余らないくらいの手持ちにすることを行動に移すことでいいと思う。
ひとりではやりにくいだろうから、母に手伝ってもらおう。こうして少しずつ、少しずつではあるけれども、日々に成長が生まれるわけだった。

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