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RCサクセションの子供たち(1992年11月7日)

RCサクセションを聴いて育った、RCに影響されたミュージシャンたちで企画された、TVK開局20周年記念イベント『RCサクセションの子供たち〜夜の散歩をしないかね〜』が、1992年11月7日、横浜本牧アポロシアターで行われた。応募総数約2万通に対し、招待状は200枚(500名)、倍率約80倍という狭き門を勝ち抜いた入場者たちが待ち受ける会場(清志郎が大好きなオーティス・レディングの曲が流れていた)に、午後6時40分、まずはこのイベントのプロデューサー、宮沢和史がステージに登場した。

フライングキッズの浜崎貴司、高野寛、ゴーバンズの森若香織、たまの柳原幼一郎を呼び出すと、全員で「ラー・ラー・ラ・ラ・ラ」の合唱。バンドはドラムに元スーパー・バッドの遠藤典宏、ベースにモージョ・クラブの谷崎くん、それにこの出演者たち、という豪華、豪華すぎるメンバーだ。

MIYAの「一発目は、忌野清志郎さんの登場です」との紹介に、どよめきと共に観客がジワジワとステージに詰め寄る。聴き慣れたあのイントロ。しかも、飛び出てきたのが清志郎メイクの宮田和弥(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)だからウケるわな、こりゃ。「つきあいたい」、その次は「高校を停学になったときに何度も聴いて勇気づけられた曲です」と話してから、必殺のバラード「ラプソディ」。

RCサクセションが好きだ、という共通点があるこの日の出演者たち。楽屋でも、浜崎さんと高野君は「ねえ、初めて聴いたアルバムはなんだったの?」という会話から始まり、挙げ句の果てに「冬物語」(ビールのCMソング。高野寛&田島貴男)の弾き語りまでやっちゃうし。チャボさんから届いた花束を記念撮影するし、それぞれのマネージャーも親交深めてるわで、通常のイベントでのゴチャゴチャ感、緊張感からはほど遠い、たりらりらんとしたほんわかさが漂っていたのである(「その中でも、緊張感、お互いの腹の探り合いもあった」とMIYAからの反論あり)。

高野寛が選んだ「空がまた暗くなる」は、〈大人になんかなりたくない〉という、そこらへんの情けないモラトリアムをねじ伏せ、〈大人だろ 勇気を出せよ 黙っていたままじゃ 空がまた暗くなる〉と歌う、正しき大人のロック。THE BOOMの「思春期」「サラバ」が好きな人はこの曲も聴いてほしい。もう一曲は、宮沢和史との「モーニングコールをよろしく」。


柳原幼一郎はピアノ・ソロで「多摩蘭坂」と「僕の自転車のうしろにのりなよ」。これは完全にたま(多摩)ワールド。この人が歌い出すと、そこに異界への入口が見えるようだ。

森若香織は、清志郎にお世話になってたアマチュア時代の話を披露。九段下から武道館を見上げ、いつかあそこでコンサートをと、清志郎さんと共に誓った話など、会場中がほのぼのとした笑いに包まれた。ギターにはラム・ジャム・ワールドの会田さんが参加。

浜崎貴司は、高野寛と組んだデュオ「ビューティー・ボーイズ」で登場。「汚れた顔でこんにちわ」と「君が僕を知ってる」の2曲。そして、僕たちはもうRCを卒業するべきだ、それぞれの解釈でRCをカバーすることがRCチルドレンである僕らがすべきことなのか、という問いかけを我々に突きつけた。

このイベント最後の出演者は宮沢和史。THE BOOMのツアーでも弾き語りをしていた「うわの空」をひとりで、「海辺のワインディングロード」をブロック・バスターズの上さんを加えて演奏。大阪万博公園での「夏祭り」以来、久々に聴くMIYAの歌。背骨が震え、知らず知らずに涙がこぼれ落ちた、そんな歌だった。

「忌野清志郎さんの書く詞の主人公が好きなんです」「今日ステージの袖で観ていて面白かったのは、RCには20年の歴史があるから、RCを好きだって言う人でも、どの時期のRCが好きかというのが少しずつずれてて、そこが面白かった」といった言葉の後、このイベントのシークレット・ゲストが紹介された。

「今夜は素敵なゲストをお迎えしています。……矢野顕子さんです!」というMIYAの言葉で、矢野さんがステージに現れたときの、会場中のどよめきはすごかった。悲鳴を押さえるかのように口に手を当て、呆然とステージを凝視する観客たち。僕も、夢じゃないかと頬をつねってみた(本当は知ってたけど)。

どよめきがまだ収まらないうちに「ありふれた出来事 PART 2」のイントロを、MIYAのギターと矢野さんのピアノが奏でる。「釣りに行こう」以来、培われてきた友情が作り出す親密さ、というのがこれまでTHE BOOMとのコンサートで観られたものだとするなら、この日の共演では、MIYAが矢野さんに真剣勝負を挑み、それに矢野さんも応えていた、そんな気がした。

最後の曲は、これもTHE BOOMでときおり演奏していた「夜の散歩をしないかね」だった。MIYAの瞳が潤んでいたのは涙だったのだろう。

アンコールではステージに全員が登場し、「眠れないTONIGHT」でイベントは終了。数時間後の打ち上げの席で、「このメンバーで各地をツアーしよう!」というMIYAの挨拶が、ミュージシャン、スタッフたちの笑いを誘いながらも、みんな、心の中では「いつでもオイラたちを呼んでくれ」と、密かに清志郎になりきってたはずだ。


(※THE BOOMのFC紙「BOOMER'S PRESS」1992年 39号より転載)



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