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「相手のことを思ってしたこと」実は自分のためだった【音声と文章】

山田ゆり
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私は愛されています
大きな愛で包まれています

失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています

.。*゚+.*.。   ゚+..。*゚+



おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
「相手のことを思ってしたこと」実は自分のためだった
ということをお伝えいたします。
※音声と文章、どちらでも楽しめます。



毎日ちょっとした悩みはいくつも抱えている。

それはほとんど大したことは無い。

でも数年に一度くらいしか起こらない
大きな困難が今起こっている。



私は本業で事務をしている。
今月は3月決算を終わらせる時。

決算業務が大好きな私にとって
一年で一番、血沸き肉躍る季節。

ところが
思いもよらぬ出来事が起こった。

私は自分の仕事用のデータは
外付けHDDに入れて処理をしている。

PC本体には入れていない。

先日、その外付けHDDの中のひとつのフォルダだけ、
突然、データが消えてしまった。

私のことだから間違って別のところへ
移してしまったのかと思い、探したがない。


データの復旧を試みた。
250個くらいのデータは復旧できたが
それはほんの一握りだ。

日を追うごとに事の重大さを感じている。



毎日の事務処理。
10分もあればできる書類。
しかし、データが全くなくなり
そのフォームを一から作らなければいけない。
だからかなりの時間を費やして
やっとその書類を終わらせる。

簡単な書類だったらまだしも
7~8年分くらいのデータを1枚にしているものは
その数字の入力だけでかなり神経がやられる。

これまでだったら過去の金額は
過去のデータを開けて
コピー&ペーストですぐにできた。

それが今は一つずつ手入力をしないといけない。
そして、その入力が間違っていないかをチェックして
やっと次の作業に進む。



私は舐めていた。
「データのバックアップをしないと」
そう思っていたが、
その内に
と、後回しにしていた。

「その内」はほぼ、いつまでたってもやってこない。

自分で決めないと行動はできない。



今のこの状況は
私に何を気付きなさいといっているのだろうか。



私は以前までは
自分の作ったデータを人さまに渡すのは嫌だった。

それは、稚拙な作り方が分かってしまうという恥ずかしさと
貴重な時間をかけて作ったものを
簡単に人さまに与えるのは損だというケチな自分がいたから。

だから、相手が書類をメールで送ってほしいと言われたら
それらをPDF化して送っていた。
社内でのデータのやり取りは
PDFで渡すのが一般的になっていることもあってのこと。

しかし、ある時から私は
相手を選んで、エクセルはエクセルデータのまま、
ワードはワードデータのままでメールに添付するようになった。


自分の作ったデータが相手のお役に立ったら嬉しい。

勿論、誰にでも生のデータをお渡しするのではなく
ある程度、信頼のおける方にだけ送っている。



「相手のために」

そう思っていた。

しかしである。

今回、突然、データが消えてしまい
とても難儀している。

全て最初から作らないといけない・・・
そう思うと、
とても困ってしまっている。

でも仕方ない。
やるしかない。

フォームを作りながら
どうすれば短時間で作業が終わるかを考えていた。



そして閃いた。

そうか、
以前、エクセルデータを送った時の
メールのデータが残っていないだろうか。

そしていくつかは
「送信トレイ」に残っていた。

しかし、
普段はメールの中をそのままにしているのに
たまにスイッチが入って
メールの中を綺麗にすることがあり
完璧ではなかった。


データが消えたことはあまり人には言いたくなかった。

しかし、あのデータはどうしても欲しい。

私は過去の送ったであろう相手に連絡して
当時のメールが残っていたら
データを送ってほしいと依頼した。

そしていくつかのデータを頂くことができた。

その数は失ったものの数%にしかならないが
しかし、それらを一から作るとなると
膨大な作業時間がかかる。

今は1分でも惜しい時期である。

私が送ったデータをいただけて嬉しい。



ここで気づいた。


相手の為にと思って行っていたことが
実は、自分を助けることに繋がっていた。

つまり
全ての行いは、自分のためなのではないだろうか。

自分が行ったことが自分に跳ね返ってくる。
それは使い古された言葉であり
誰でも知っていること。

あまりにも当たり前の言葉であるが
窮地に立った時のこの出来事は
その意味が身に染みている。



人のためと思ってする行いは
実は自分のためなのだ。

自分のために行うことは
何かいやらしさを感じるが

純粋に
全ての行いは
自分のために行っているのかもしれない。


大事なデータを失って
このような気づきを得た。




他人のため
家族のため
最愛の人のため

地球のため
世界平和のため

そう思って行っていることは
実は
自分に全て返ってくる


そんな気がする。





今回は
「相手のことを思ってしたこと」実は自分のためだった
ということをお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。





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