おにぎり

遠足・参観日 ほとんど親に来てもらえなかったけれど【音声と文章】

山田ゆり
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忙しく働く両親の姿を見て育ったので、アルツハイマー型認知症になってしまった母には優しい介護をしたい。しかし、実際は、心とは裏腹の態度をとってしまう私。介護をしていた当時の日記を振り返りました。本日は、全くの日記の振り返りです。介護には特に思い入れが大きいので8分の音声になってしまいました。音声と文章、どちらでもお好きな方をお時間のある時にどうぞ。

(ここから文章)
2012年7月21日 
(認知症と分かって4年目の頃)

お子さんが大学進学などで親元を離れてしまい、
今は、子育てがひと段落して
自分の為だけに時間をさいている同僚から

「ゆりさんは、お子さんが大きくなって
自由な時間が増えたでしょう?」
と言われ、返事に困りました。

私には愛しい3人の娘がおります。
確かに、長女が遠く離れた東京都内へ入学し
そばには二人の子どもしかいません。

はた目には手のかかる子が一人減りましたよね。
子どもだったら、成長と共にできる事が増えてきて
親の負担も減っていきます。

でも、我が家には
子ども以上に手のかかる大きな子どもがいます。
そして、育児とは逆に
日増しに手がかかっていきます。

ゴールの見えないトンネルを
トボトボ歩いているようです。

会社には母が認知症になった事を話していません。
私の会社には、介護をしている人がいないから。


社外の友人に介護の大変さを話したら
「ふーん。ドラマでそういうのあるけど、本当にそんな事あるんだね。」と他人事のように言われ
やはり、介護をした事がない人には
この大変さは分かってもらえないと思いました。

そういう私も、
母がアルツハイマー型認知症と分かる前までは
認知症は全くの他人事で同じだから
だれも責めることはできません。



私が保育園児だった頃の事です。

その日は遠足でした。
みんな、お母さんと一緒に遠足。

でも、私は近所の親戚のおじいちゃんと一緒。

父は田植えと稲刈りの時期以外は
県外へ出稼ぎに行っていて、
留守を預かる母は、田畑の仕事とパート勤めで
休む暇もありませんでした。
だから、ご近所の親戚のおじいちゃんが
代わりに遠足の付添をしてくれました。

お昼、そのおじいちゃんが持ってきたお弁当を一緒に食べました。

お弁当にはおいしそうな卵焼きが入っていました。
当時、貧乏な我が家にとって
卵焼きは大変なご馳走でした。
なんでも物が溢れている平成生まれの人には
その気持ちが分かってもらえないかもしれません。

その卵焼きを食べるのがもったいなくて
最後に食べようと
我慢しながらお弁当を食べていました。

すると、おじいちゃんがあっさり食べてしまい
本当に残念な思いをしました。
ずっと後で聞いたのですが
私が卵焼きを嫌いなのだと思って食べたとの事です。


忙しい共働きの両親だったので
参観日にはほとんど来てもらった事はありませんでした。


小学校高学年のあたりから給食が始まりました。
でも中学校には給食がなく弁当持参でした。

私は一日の中で、お弁当の時間が一番嫌いでした。

お弁当箱を開けると
白いご飯に梅干しと焼いた魚半分
きゅうりなどの漬物
毎日、そういうお弁当でした。

他の人達は卵焼き・ウインナー・
ミニトマト・ハンバーグなど
とにかく彩りよくおいしそうなお弁当で
自分の弁当を見られるのが嫌で
お昼は息がつまりそうな時間でした。

母は尋常小学校しか行ったことが無く
がさつで教養がなく、お弁当作りも下手で田舎者。
見た目も良くない。
田舎のおばちゃんって感じ。
どちらかといえば清潔な方ではない。

そんな全くカッコよくない母でしたが
家族の為に一生懸命働いていました。

遠足に一緒に来てもらえなかったけれど
参観日はほとんど来てもらえなかったけれど
一生懸命働いている両親の姿を見ていたから
私はグレる気持ちも起こらず大人になれました。


母が認知症になった今
親孝行をしなければいけないのに

いつもぼーっとしていて
何を着れば良いのか
何を今すれば良いのかが分からなくなっている母に対して

むかついたり怒ったりしている私は
本当に親不孝者です。


優しい言葉をかけてあげなければと思うのですが
つい、意地悪な態度をとってしまいます。
他人が見れば
「なんて事しているの!」と言われそうです。


夜、布団の中で
「明日はもっと優しい態度でいよう」といつも決心しています。
そして、朝、目覚めた時も、
今日こそはと思っています。

でも、その時になると結局また
いつもと同じ繰り返しです。

今、介護をされている方は
どのような気持ちで接しているのでしょうか。
どうしたら優しい態度で接することができるのでしょうか。
****日記はここまでです****


転職してまだ数年しか経っておらず
残業や休日出勤も多く
大きくなったとはいえ
3人の娘たちの送り迎えや
朝練の為に早朝からのお弁当作り
休日は部活動の応援
さらに母の介護。


そして、長女が高校生になる直前
夫が会社を辞めて農業を始めたので
収入が激変しました。

靴下・下着・帽子・お財布など
頻繁にものを無くす母のために
何度も買いそろえたり紙パンツなどを購入したり。

更に娘二人がその後、東京都内の学校へ入学し
学費・家賃・交通費・電話・水道・電気・ガス・
その他生活費などで
一人年間 およそ200万円かかり
金銭面でもとても厳しい時期でした。

時間がない、お金がない、精神的ゆとりがない。
無いない尽くしでした。

この頃、週に1、2回、お世話になっている
デイサービスが唯一の支えでした。

一日のほとんどを過ごす職場には
介護の悩みや不安を相談できる人がいませんでしたが
デイサービスやケアマネージャーの方に
その都度相談できたことが
私が精神的に壊れなかった理由だと思います。


本日は、母がアルツハイマー型認知症と分かって
4年目の頃の日記を振り返ってみました。

本日もお聴きくださりありがとうございました。

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日にしましょう。
山田ゆりでした。

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