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思いをシュレッダーに(ショートショート)【音声と文章】

山田ゆり
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「では、これから
〇〇銀行の新年会なので私は上がります!」


3時間近くの重役会議が終わり社長室に駆け込んできた社長は、右手にブレザーを持ち、社長室の電気を消し、事務所の皆に向かってそう言い放ち、脱兎のごとく会社を出られた。


えーっ!


のり子はあいた口がふさがらなかった。

そうか。どおりで。

ほとんど毎日、残業されている奥様が今日は定刻になって「お先しま~す」とグッチのバッグを小脇に抱えて帰って行かれた理由がその時分かった。



のり子が今手掛けている案件は、社長に判断をいただけないと次に進めない段階にきている。

その件について、奥様に「CC」で、社長宛のメールを送っていた。



一日待っても社長から返信が来なかったので、のり子は題名に注意が行くように変えて再度メールを送った。

しかし、返事は来なかった。



今日こそは社長にその件の回答を聞こう。
直接、会議が終わったらすぐに社長室に行こうとのり子は決心して、残業しながら重役会議が終わるのを待っていた。




今の社長に替わって仕事のやり方が全く変わってしまった。


これまでのり子は、前社長の秘書的立場にあった。
前社長は超アナログな方で、思っていることは口頭でおっしゃる方だった。

だから社長室に呼ばれると1時間以上戻れないことは日常茶飯事だった。

PC操作ができない社長は、作ってほしい書類は全て口頭でおっしゃって、のり子がそれを作り、5~6回、社長の添削を受けた後に書類が出来上がる、そのような状態だった。

社長は今考えている事をいつものり子に話をされていた。
例えばそろそろ高所作業車を買い替えるとか、あの取締役の生命保険の金額を変えるとか、来年の人事のことなど、のり子に話をされていた。


社長が何を思われているかをのり子はいつも聞かされていたから、今このことをしているのはあの件に繋がるのだなと、会社の動きを察知しながら仕事をしてこられた。




しかし、70代の前社長から50代の新社長になり全てが変わってしまった。


一番変わったのが、社長は何を考えていらっしゃるのかをのり子には言わない事だ。
そして、社長に直接のり子が接することはできなくなった。


前社長の時はのり子とのり子の直属の上長にいろいろなことを話された。


しかし、新社長はのり子の直属の上長だけに全てを話し、のり子には話がこないことがほとんどになった。

これまではのり子から社長に直接お聞きしていたのが、社長が替わられてからは、のり子が直属の上長へ「この件で社長にお聞きしたいのですが」とお伺いを立てる。そして、その内容を上長が社長へ話し、社長から上長へ、上長からのり子へという流れに変わった。


直属の上長はとても忙しい方で、すぐには社長に聞いてくださらない。ジリジリとした思いでのり子はいつも待っている。


また、口頭では質疑の内容が残らないから、社長宛にメールをするようにとも言われている。
その際は必ず、直属の上長に「CC」で送るようにという条件付きである。
つまり、のり子の行動を全て直属の上長に報告するようにとのことなのだ。


口頭で言ってもすぐには答えが来ない。
メールを送っても、その日に返信が来ない。

「私には一日に100件以上のメールが来ているから、見逃すことが多いんですよ。」と社長がおっしゃっていたが、そりゃそうだ。

口頭で済むことでもメールにするようにしているからだ。


長引いている重役会議が終わったらすぐにお聞きしようとのり子は待ち構えていた。

しかし、社長は帰られた。
今日もこの案件は止まったままになってしまった。
明日こそは、社長のお返事をお聞きしよう。


たった、イエスかノーの言葉だけなのだ。
それを聞くことができず数日過ぎてしまった。

経営者にもいろいろなタイプがある。
のり子はこの会社に入って3人の代表者を見てきた。




くるりと振り向き、キャビネットの中からファイルを取り出す。
中には平成のものがあった。
これまで大事だと思ってファイリングしてきた書類。

もう、要らないかもしれない。



人を変えることはできない。
自分が変わるしかない。


のり子はその古い書類をシュレッダーにかけた。





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