推しに振り回された中学時代

2009年の暮れに知った、当時ホークスの杉内さんに衝撃を受け、2010年のシーズン開幕から本格的に「ホークスファンの杉内さん推し」として、右も左も分からないままプロ野球ヲタクを始めた私。
とは言っても、愛媛県在住の中学2年生の女子にできることは少なく、まずは杉内さんやホークスに関する情報を収集すべく、家のゴミ出しから始めました。
なんで?って思った方もいるかと思いますが、我が家では、早朝にゴミ出しをした人は、帰りに郵便受けを確認して、新聞を持って帰るのが暗黙のルール。
そう、ゴミ出しの目的は新聞だったのです。
ゴミを出して、帰りに新聞を郵便受けから取って、スポーツ欄だけ読んでから帰る。これが、当時の私の密かな楽しみでした。
ただ、日曜日はゴミの収集がない為、外に出ようとすると、毒親気質で野球嫌いの母親に「何しに行くん?」と聞かれてしまう。
当時、母親が野球嫌いなのもあって、杉内さんが好きなことを家族に伝えられていなかった私は、下手なことをしてバレるのは嫌だ!と思った為、迂闊に外には出られませんでした。
そんな日曜日の楽しみは、TBS系列で毎朝8時から放送される「サンデーモーニング」。スポーツのコーナーが9時ちょっと前から始まるので、それを見るのが楽しみでした。
しかも当時、杉内さんはホークスのエースピッチャーなので、杉内さんが試合に先発出場するのは土曜日が多かったので、日曜日のサンデーモーニングではほぼ必ず杉内さんの話題が出てくる。
巨人ファンの祖母以外、周りに野球ヲタクがいなかった為、1人で杉内さんに酔いしれていました。

翌2011年、杉内さんはNPB通算100勝を達成しました。この時の私は中学3年生、クラスでいじめに遭っていて「自殺」の2文字が頭をよぎったこともあった時期でした。それもあって、杉内さんの100勝達成には涙を流し「杉内さんが生きているうちは、まだ生きていよう」と、自殺も思いとどまりました。

こんな感じで、私はずっとホークスの杉内さんを推し続けるんだろうなぁ。
いつかホークスの杉内さんに会いたいなぁ。
と、当時は思っていました。
杉内さんが、あの決断をするまでは…。

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