その決断が、愛を確かめさせた

2009年末に杉内さんに一目惚れして、2年が経とうとした頃。
心のどこかで、杉内さんはずっとホークスにいてくれるものだと思っていました。
通算100勝を達成し、ホークスをリーグ優勝・日本一に導いた2011年の末。思いもよらぬ話を知ってしまいます。

杉内さんが、国内FA権を行使するというのです。

最初は、意味が分かりませんでした。
当時スマホを持っていなかった中3の私は、学校の授業でパソコンを使う時にこっそり「杉内俊哉」でインターネット検索をして、杉内さんに何が起きているのか徹底的に調べました。
調べを進めて分かったのは、杉内さんがホークスの上層部の方々とあまり良い関係ではなく、成績に対しての年俸のことなどで揉めていて、当時のオーナーさんに「お前なんかFA宣言したところで獲ってくれる球団なんかない」などと言われていた、という、あまりにもショックな事実でした。

そんな理由で杉内さんを追い出すなんて…。
私は、ホークスが許せませんでした。

のちに杉内さんに暴言を吐いた方は辞任されたそうですが、ホークスで10年頑張った杉内さんにあんなことを言って事実上追い出したことは、絶対に許せません。

そんな杉内さんの移籍先は、読売ジャイアンツに決まりました。オーナーの方にあんな暴言を吐かれた杉内さんは、読売ジャイアンツの原辰徳監督に、いわば拾って頂けたのです。
私はホッとしました。杉内さんは捨てられたわけじゃない、と思ったから…。

読売ジャイアンツに移籍した杉内さんは、当時ジャイアンツの選手会長だった内海哲也さんの計らいもあって割とすぐにチームに溶け込めたようで、中3の私も安心して高校受験に臨めました。

私はこの時、巨人ファンにはならないけれど、杉内さんがどこに行っても大好きだからずっと応援し続ける、と、心に決めました。
杉内さんのこの決断が、私の杉内さんへの愛を確かめさせてくれたのです。

今思えば、この時点でホークスファンを名乗るのを辞めるべきだったのかな、と思いますが、すぐには辞められませんでした。
杉内さんがFA宣言した年に入団した、甲子園出場経験のない高卒ドラフト1位ルーキー・武田翔太投手のことが、めちゃくちゃ気になっていたから…。

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