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合宿に行きたい

結婚式を終えた頃
「死にたい」と思うようになった

今、幸せの頂点なのに
これからなんのために生きる?

これからいくつもの困難があるだろうし、大切な人との別れを体験するなんて耐えられない

幸せなうちに死なせて
もう生きていけないよ

よく、そう思って泣いていた

夫が心配そうに見ていた顔を思い出す

その頃からもう5年くらい経つのかな。

ビリーフリセットと出会って
人生が変わった、と
ありきたりな言葉でしか表現できなくて
すごくもどかしいんだけど

変わったし、楽になった。

そういえば「死にたい」が、
もう随分顔を出していない

だけど決して消えてはいないと思う
でもあの頃とは違い
怖さ、絶望、無力、もう生きていけないというニュアンスが強いものになっていると思う 

だから以前の「死にたい」とは違うかもしれない
一緒のようで全然違うのだ

まあ、だからなんだよという話で

それがあってもダメじゃないと思うし
感じたくない、はあるけど
それも含めて、まぁいいやという感じ


昨日夫に、親子ビリーフリセットの講座の合宿に行きたいと相談した。

まだアドバンスコースに進むことも決めてないのに

あかりさんに相談もしていないのに


もう8割型遊びに行くつもりで
ただみんなに会いたいと思って。

だけど夫からは
すんなりOKの返事はもらえなかった

「まだ赤ちゃんなんだよ。もうちょっと考えたほうがいいと思う。前とは違うんだよ。飛行機に乗るし、大丈夫かよ。お金もかかるんだよ」

「そもそも子供が生まれる前も、こういうのに俺はいい気持ちで送り出せてなかったよ。ダメじゃないけど、うーんってなる。」

「今、あーちゃんがやってることは、何か役に立つことなの?」

「そんなに、あーちゃんにとって大切なことなの?」

前も似たようなことを言われた

その時はなんだよ!って逆ギレしたけれど  

今回はそうならなかった

夫の言葉が、私の心にそのままあるものだと
観念したからだ

そうだよね、私もそう思う
私が一番自分にそう思ってると思うよ

今、ビリーフリセットっていうものを学んでいるんだ

ワークシートを使ったカウンセリングとか、
椅子を並べて感情を体感したり、幼少期の感覚を疑似体験するカウンセリングとか、
方法は色々あってね
最初は怪しいって思ったりしたけど
自分が体験したら全然ちがった

それから本音の私の気持ちを、本当に話せる場所でね

この世界に出会えてとっても楽になったの
死にたいとあんなに思っていたのに
すごく自分でも驚いてる

収入になることに繋げられていないし

なんの役にも立っていないかもしれないね

でもそれでもいいと思ってる

好き勝手にやって
家族に我慢させているかもっていう
怖さも感じてるよ

それでも、自分が幸せに生きることを選びたいと思ったの

私は子育てなんて立派なことはできない
でも子供には私が幸せに生きる姿を
見せていこう、って思うの



夫は「そうなんだね」と答えてくれた

真剣な眼差しで、受け取ってもらえた感じがした

  

「どうせ分かってもらえない」
というビリーフが奥底で疼く

そう感じることを避けるために、夫への言葉をずっと簡略化してきた

やはり心は鏡で、私自身も夫の言葉を「分かってたまるか」と思っていたことに気付く

夫だけじゃない
職場でも友達でも親でもそう

分かってもらえず
傷付くくらいなら
分かってもらえるように
話すしかない
そして
お前の言うことなんか全部間違ってる!と
シャットダウンする

だから結局分かりあえなかったんだろうな


夫に本当の気持ちを話してよかった。

「ブチ切れる回数、めっちゃ減ったでしょ?前は逆ギレしまくってたよね」

「回数減ったし、キレるポイントが変わったよね」

「なんとか、仕事休めるようにするから
みんなで行こう。まずは主催者にどうしたらいいか聞きなさい」

「わかったー」

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