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『ゴジラ FINAL WARS』との付き合い方を、改めたい。

 2020年12月1日、Netflixにて『ゴジラ』全28タイトルの配信が始まった。Amazonプライムビデオでも配信されてはいたものの、こちらはアニゴジまでも網羅しており、12月18日からはゴジラを本当に神と崇める男が作った宗教映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』も独占配信されるとか。DISCの切り替えの手間もなく気軽に全ゴジラ作品を鑑賞できる土壌が揃った。うれしい。

 ハイローにゴジラと、この頃俺得コンテンツがやけに充実したNetflixさん、よりによってオススメしてきたのがあの『FINAL WARS』で、そのあらすじも独自解釈が強火すぎたため、ついうっかり再生してしまった。一度観たら忘れられない印象を残す本作だが、それでも通しで観るのは5~6年ぶりだろうか。時代を感じさせるCG技術や女性描写に呆気にとられつつ、これが思いの外面白い。酒の力も手伝ってか、トンチキでどうしようもない作品だと思っていたのに、なぜか愛おしくなってきた。もはや二度と拝めないであろう珍作にして怪作、有終の美を飾るはずが大爆死したこの映画との向き合い方を、大幅に修正する一夜になった。

 時は2004年。今やアラサーに成長した当時の少年少女にとって、ゴジラは年末のお楽しみだったという人は多いだろう。2000年以降に毎年新作が公開され、なぜかハム太郎と同時上映という需要が迷子な二本立てに困惑し、はじめて「大人も間違うんだ」という学びを得させてもらった、一年に一回の大イベントだったのだ。

 ゴジラ生誕50周年を数えるその年、確か朝の情報番組で見かけた初報では「シリーズ最終章」「15大怪獣が総出演」であることが報道されていた。小学生も高学年になれば、日曜朝の特撮やゴジラを卒業するクラスメートも増えてくる。九州の片田舎の映画館(シネコンではない)も年々入場客が減っていき、ゴジラ映画は初週でも席はスカスカだ。最終章、という言葉には「もうゴジラでは儲からない」ということを、子どもながらに感じたのだ。ヒットしなければ続かない。コンテンツとしての集客力の低迷に、怪獣王は眠りにつくことになった。

 毎年ゴジラの新作が観られなくなる。その分、まだ見ぬ『FINAL WARS』への期待は日々高まっていった。ついに地元から映画館が消え、映画鑑賞そのものが小旅行となりつつある限界集落にいながら、特典DVD付の前売り券が欲しいと親にねだり、他にもポップコーンバケツだとかパンフレットといった関連グッズとたくさん買ってもらった。初めてサウンドトラックを自分のお小遣いで買ったのもこの作品だ。ゴジラ最後の祭りを存分に楽しませてやろうという気概があったのか、母親や親戚一同も財布の紐を緩めてくれて、今となっては本当にありがたかった。

 かつてここまで事前に気持ちを高めて臨んだ映画は過去なかった。小学生にとって「シリーズ最終章」の言葉は重く、未来永劫、新作が作られないのだと本当に思い込んでいたからだ。今年は「ハム太郎と同時上映ではない」というのも、作り手の本気を感じさせた。だからこそ、一瞬でも見逃すまいと、最善のコンディションで劇場の椅子に座った。それが悪かったのだろうか、本編を終えての素直な気持ちはただただ「困惑」だった。

 当時のぼくは、怪獣王ゴジラが並み居る敵怪獣を薙ぎ払い、ゴジラを生んだ人類の愚かさにもケジメをつける、お祭り大作ながらも一作目のメッセージも踏襲した重厚な作品を期待していた。そして実際の本編は、確かにそれらの要素を取り揃えてはいた。ゴジラは全ての闘いに勝利し、反核のメッセージは短いながらも泉谷しげる演じるマタギに託されてはいる。にもかかわらず、「なんだかゴジラ映画じゃないものを観たような」不思議な気持ちにも同時に苛まれてもいた。父親とVHSで観た、荒い画質の『マトリックス』『M:I-2』のことを、なぜかゴジラを観ながら思い出す羽目になった。この気持ちをなんと表現してよいか、適切な語彙を当時は持たなかった。面白いか面白くなかったかさえ、よくわかっていなかったのだ。

 ただハッキリと言えるのは、「もうこれでゴジラとお別れなんだ」という寂しさで胸がいっぱいで、それゆえにこの作品のことを真に愛せずにいた。最終作なのに、アンギラスはサッカーボールになったり、ヘドラは数合わせの如く雑に退場するし、ミニラはマジで可愛くなかった。後になって、これらのおふざけへの怒りが増してきて、「もっとちゃんとやってほしい」という小学生ボキャブラリーで本作への評価を締めくくった。その癖、祖父母におねだりしてもう一回劇場に観に行ったり、DVDも買ってもらっていたりして、付かず離れずの距離でファイナルウォーズと共に歳を重ねていった。

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 そして時は2020年、ゴジラは再び海を越えハリウッド版が2作も製作され、延期にはなったがキングコングとの世紀のビッグマッチが控えている。国内では『シン・ゴジラ』が信じられないような大ヒットを記録し、後のアニゴジや『シンギュラポイント』への道を開いた。ゴジラ・ストアやゴジラ・フェスは大盛況で、等身大ゴジラが淡路島に建設されたりと、再びゴジラが「日本の顔」として君臨する時代が到来した。こんな未来、2005年から続く怪獣映画冬の時代を生きる当時の自分には考えもつかなかった。

 ファイナルウォーズで本当にゴジラが凍結しなかった。そんな今だからこそ生まれた余裕がそうさせたのか、2020年に観るファイナルウォーズは、それはもう格別に面白かった。確かにトンチキなのは否めないが、それも含めて「なんでこうした!?」「なんでこの人呼んだの!?」が終始続くファイナルウォーズ、引退を控えたゴジラ御大を祝う同窓会ゆえのカオスがあまりに異常なツイストを生み、それが唯一無二の面白さとして顕現してしまった、奇跡の事故フィルムのようだ。

 よくよく考えたら、「ゴジラの最終回つくって」とオファーされれば、そのタイトルのあまりのデカさゆえに普通は尻込みし、自分の色を出せないまま凡庸な作品に仕上がってしまう可能性が高い。だが、北村龍平は折れなかった。やりたいアクション、撮りたい画のためなら妥協せず、最終章ということで増額されたであろう予算を使い尽くし、「人間でもエビラくらいなら倒せる」設定にすることで人間アクションを強引に正当化!!それだけに留まらず、アクションを撮りたい欲求を抑えきれず、しかし東宝を納得させなければならない立場にいるこの男、「ゴジラにもアクションをさせる」というウルトラCでそれを成し遂げ、出来上がったのはTOKIO松岡メンバーVS北村一輝とゴジラVS怪獣が同時進行するという、世にも奇妙な光景である。北村X星人にマウントを制す松岡氏とゴジラがシンクロするという異常事態に、手を叩いて笑ってしまった。

 その一方で、東宝特撮全史を総括してやろうという気概を感じさせるのもすごい。あの海底軍艦をリニューアルしておきながら冒頭に旧デザインの轟天を登場させたり、妖星ゴラスの回収の仕方には頬が緩んだ。ゴジラシリーズにゆかりのある俳優陣のオールスターも楽しいが、特に水野久美、佐原健二、宝田明、中尾彬、上田耕一の大活躍は昭和から平成シリーズファンへの目配せとしても完璧だ。そうしたオマージュの傍らでいきなり登場する大槻教授役の大槻教授!!ここの討論番組が一番リアリティがある映画って何なんだよ。

 そして何より、度を越して強いゴジラがもう何と言っても最高。基本的に自分より小さい怪獣は投げる・殴る・熱線で吹っ飛ばすがデフォルトで、エメリッヒ版ゴジラからクモンガ級まではほぼほぼ秒殺、苦戦したのはシークレットボスのカイザーギドラくらいで、エネルギー充填してからは自分よりデカいギドラも背負い投げして大気圏外まで吹っ飛ばして爆殺という、あまりに景気が良すぎるフィニッシュで怪獣王の座を死守してみせた。その息子にはゲロ甘という萌えムーブで戦意喪失して海へと帰り、最後に振り返り咆哮で劇場に駆け付けたみんなにファンサービス。最後まで気前のいいヤツだった。

 本当に何なんだろう、この映画。どれだけでも貶す要素は数えきれないほどあるし、一作目至上主義のファンが観たら卒倒するような内容だ。それでも、チャンピオンまつりの豪華版みたいなツラしたマトリックス風アクションmeetsゴジラという歪なバランスに仕上がったこの映画のことは、やっぱり憎めない。一年おきくらいには見返して、あぁ、ヘンな映画だなぁと思い棚に戻すくらいには、友好的な付き合い方ができそうだ。

ただいまゴジラマラソンをしている面白い人がいるよ!
決断的にふぉろーしろ。

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